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タコ吹き観音のサトリ

あなたと共にうたいたい。

元高校教師(国語)の
たこせん枝瀬です🐙

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教育は
自分が変わらないと
他人を変えることなんてできない。
       =「主体変容」

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【たこせん枝瀬の発信の足】

タコマンダラ

【河合隼雄『で』語ります!!】


ん?観音とな?

河合俊雄『100分de名著 河合隼雄スペシャル』より

この間(スイスから帰国して以来三十年)、
自分はユング派分析家であるという自覚は
あるとしても、

仏教徒であるということを
特別に意識したこともなく、

まして、

仏教の教義に基づいて
心理療法を行っているなどとは、
まったく考えたことはありませんでした。

ところが、
自分のこれまで行ってきた心理療法について
ある程度まとまったことを
西洋で発表するとなると、

そこに仏教的な要素が
深くかかわっていることに
あらたに気づき、愕然としました。

河合隼雄『ユング心理学と仏教』

推し好きが高じて

共同運営マガジン
河合隼雄『で』語り合おう
はじめて早1か月弱。

「語り合おう」というからには
一方通行に記事を書くだけでは
物足りなさは否めない。

せっかくならば、

マガジンメンバーの記事や
コメントに応答する内容も
書いてみたいと思うわけで。

となると、

noteを通じて

2024年度、僕のそばをずっと
並走してくださっている印象のある
(そういう方は他にもいらっしゃるのですが)

くりすたるるさんの
この記事とのシンクロには
心底驚き、ひっくり返りました。

というのも、
僕は、るるさんの記事の存在を
(失礼ながら)認知しないまま、

同趣旨の記事を書いていたので。
(表現の違いはありますが)

るるさんはおっしゃいます。

わたしは、人はみな菩薩さまだと、
いま心から思えます。
あやのんさんは、あやのん菩薩。
わたしは、くりすたるる菩薩です。
あなたも菩薩。あの人も菩薩。

くりすたるるさんの記事より

いいなあ、この言葉。

そういえば、お経の文言にも

一切衆生悉有仏性
(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)

【現代語訳】
すべての人間は生まれながらにして仏様である

というフレーズがありました。

というわけで、

るるさんの言葉や
お経の文言に甘えて

今回ばかりは、
枝瀬も

タコ吹き観音

を名乗るとしよう。

一切衆生よ。今からタコ吹くぞよ。

手塚治虫『ブッダ』

前回の記事で

僕は教え子の女子生徒に
吉川英治『親鸞』を貸した
エピソードを書いた。

それに触発されて・・

今度は
僕自身の中学校時代、

社会科の先生に
手塚治虫『ブッダ』を
貸したことを思い出した。
(記憶は芋づる式に掘り起こされてゆく)

というのも、
僕は、その社会科の先生が大好きで

あるとき、
その先生が授業で

手塚治虫の『ブッダ』は読んでおきなさい。
マンガとは思えない深さがあるよ。
先生も中学時代に読んで、感激したものだ。

この前、読み直そうとしたけれど、
本がなくなってたんだ。
買い直そうか悩んでいる。

そんな話をしていたので、
僕はすぐさま親に催促し
『ブッダ』を買ってもらって、

1巻ずつ読み終わるごとに
その先生に貸しては、

職員室で感想を語らう時間を
楽しんでいたのだ。

「苦行」では悟れない

特にお気に入りは
主人公シッダルタ(ブッダ)が
悟りを開く場面。

それまでのシッダルタは
悟りを得るべく

先輩僧たちのアドバイスをもらいながら
自らに厳しい苦行を課していた。

断食、禁欲はもちろん、
火や淵に身を投げて
肉体を痛めつけ、

呼吸を止める、
生き埋めになるなど 

極限までやせ細り、
骨と皮だけの姿になるまで
苦行を続けるうち、

シッダルタは
ひとつの疑念を抱き始める。

手塚治虫『ブッダ』より

自分を苦しむのに夢中になるのも
苦しむばっかりでおろかじゃないのか?

そんなことで人は救われない!!
ほかに・・・まだ方法が
あるはずだ・・ほかに

手塚治虫『ブッダ』より

これは当時の宗教観

肉体を痛めつけることで魂を浄化する。
苦行することによって来世で報われる

とは大きく異なるものだった。

実際、
苦行仲間から
激しい反発をうけつつ、

シッダルタは

苦しみの先に幸福が訪れる

という教えに疑念を抱き、

ついに
苦行をやめることを決意。

ときを同じくして、

骨と皮だけになったシッダルタに
村の娘スジャータが
乳粥を施す。

手塚治虫『ブッダ』より

乳粥を口にすると、

「それは堕落だ!6年の修業が台無しだ!」
と言って苦行仲間は去っていくのだけど、

このあと、
菩提樹の下で

シッダルタは
大きな悟りを得るわけで。。

手塚治虫『ブッダ』より

要するに、

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苦行をやめ、
若い娘から乳粥を授かることが

悟りの大きなトリガー(引き金)
だった

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と考えると、

るるさんが記事で書かれていた

世界が既に幸せに満ちていて、それに氣づくだけでよいのなら『きっかけ』さえあればいい。方法は本当に何でもいい。
(中略)
氣づく。氣づいて開く。
それだけでよかった。

くりすたるるさんの記事より

という内容が
僕の中で完全につながったのだ。

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苦行したければ、すればいい。
苦行をやめたければ、やめればいい。

若い娘からの乳粥を受け取りたければ
受け取ればいい。
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ちなみに枝瀬は迷わずご馳走になる派だ。
  #なんのはなしですか

悟りは、目の前にある

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世界は、もともと
「悟り」に満ちている。

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「悟り」は目の前に
氣配として漂っていて

それに

僕たちの「氣」が付くか否か?

文字通り

「氣付く」か
「氣付かない」か?

それだけが問題で

そこに
一切の疑念をもたず
信じて受け入れる姿勢さえあれば、

□□□□□□□□□□□□□□□□□
あなたも仏
わたしも仏
□□□□□□□□□□□□□□□□□

の世界は「すぐ」手に入る。

その証拠となる記事がこちら
 ↓ ↓ ↓

そういうことを
僕は現代の歌い手の中では

ユーミン観音こと
松任谷由実のうたから教わった。

小さい頃は神様がいて
不思議に夢をかなえてくれた

優しい気持ちで目覚めた朝は
大人になっても奇跡は起こるよ

カーテンを開いて 静かな木漏れ日の
やさしさに包まれたなら きっと
目に映る全てのことは メッセージ

荒井由実『やさしさに包まれたなら』

僕は常々、この歌詞は
1000年後お経になっていてもおかしくないと
本氣で思っている。

なんてことを思っていたら
先日来懇意にさせてもらっている

風の歌のナウシカさん
推してらっしゃる
藤井風観音も

シャーマンというか
この世界の「氣配」をキャッチする
感度がものすごく高くて

たとえば、この歌詞

晴れてゆく空も荒れてゆく空も
僕らは愛でてゆく
何もないけれど全て差し出すよ
手を放す、軽くなる、満ちてゆく

藤井風『満ちてゆく』

このポエムも
悟りの歌だなあ、なんて思う。

『満ちてゆく』の「く」の歌い方がたまらん

悟ることは難しくない。

おそらく、
多分、、
いや、、、
きっと!
ぜったい!!
間違いなく!!!

タコ吹き観音の真言

このあたりで、

タコ吹き観音は
自らの立場を明確にしたい。

枝瀬は

苦行はイヤダ!
マッピラゴメン!

若い(に限らずすべての)女性の
お粥はウエルカム!!

一言で要約すると「南無阿弥陀仏」

言いたいことは以上です(苦笑)
  #タコ吹いてんじゃねえよ

※この記事は、うる覚えで書いている部分が多く、
史実や経典の教えと違うところがあったらごめんなさい。手塚治虫『ブッダ』もフィクションです。念のため。

今日は、ここまで。

最後までお読みいただき
ありがとうございました。
嬉しくてタコ吹いちゃいます‪(˶˙๏˙˶)♡‬


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