念彼観音力を想う②
念彼観音力とはなにか
観音さまがつぎつぎと現れる
河合隼雄『で』語り合おうを始めてからひと月、コンステレーションとシンクロニシティの嵐であったことは、念彼観音力を想う①で書きました。
ひと月の間に、河合先生を媒介にいろいろな方との繋がりができ、noteのなかにとても温かい居場所ができました。
河合隼雄倶楽部に記事を寄せて下さるかた、コメントを下さる方、スキをしてくださる方、本当に現実の人間関係では話せないようなことを話し、お聴きできないようなことをお聴かせいただきました。
あくまで、わたしはnoteの世界の中だけだと思っていたのです。
でも違うのです。なにか小さい揺れが、共振して、壮大なものを揺り動かしているようなんです。
塔の中でだけで行われていたことが、現実を揺らしている感じ。
私が河合隼雄倶楽部・・のようなことをしたいな・・と思っていた時、noteのなかに何人か念頭にある方がいらっしゃいました。
私が倶楽部発足の日に投稿したこの記事を書こうと思った直接のきっかけはかぼちゃさんのこの記事でした。
私はこの記事を拝読して、激しく心を揺さぶられ、やはり物語ということについて考えることにしようと思いました。
河合先生は知の巨人なので、間口も広ければ、奥も深くてとても私が網羅的に紹介できるものではない、物語ということを手がかりにしようと決定づけてくださったのはかぼちゃさんでした。
そして、河合先生繋がりでやりとりのある方の記事を思い出し読みしていたら、この記事に当たります。
木さまは海外在住の方で、その知性はしっかりと日本で育まれたものと海外で学ばれたものが素晴らしいブレンドで存在している深い教養の方です。
この時点でわたしはこの先も会うことがある方だなんて、一寸も思っていませんでした。
ただただ、ご縁があってやり取りができることが嬉しく有難く、河合隼雄倶楽部にも是非記事を寄せて頂けたらなぁ・・ぐらいが大いなる野望でした。
でもこのコメントのやりとりをきっかけに、一時帰国のご予定があること、奈良にも行ってみたいな・・というお話がありました。
でもちょうど、その頃は私が東京出張で奈良を離れていて、観光案内をすることができない、せっかくだから奈良の観光案内をしてくださってるnoterさんの記事を集めておこう!と思って書いたのが拙記事です。
そのなかで私は、ゆらゆらミルコさんの奈良観光案内を取り上げています。
ゆらゆらミルコさんは奈良の大偉人で、私がかねてより最大限の尊敬をささげている方です。
マガジン発足の折には祝電をいただきまして、もうこれは額縁表装ものでした。
大牟田雄三先生とゆらゆらミルコ先生の対談は是非実現してみたかったことのひとつです。
そうこういろんなやりとりいろんな想いが渦巻く中で、あやのんさまのすごい記事が爆弾投稿されます。
私がこの記事を書いたのが10月29日。
あやのんさんが観音さまの記事を書かれたのが10月31日。
デスクトップに観音様が現れたのはいつだったんでしょう?
あやのんさんのデスクトップに忽然と現れた観音様は、中宮寺の半跏思惟像、如意輪観音様で、私が初めてnoteであやのんさんを知ったのは、写仏部活動として、その御姿を写された絵に感動したことに由来します。
でも、あやのんさんは色々な活動にいそしまれてお忙しいそうでもあったので、永らく隠れアヤノタンでした。
永らく一方的に記事を拝読し、あやのんさんのあり方に河合先生や仏様を感じながら、コメントも残したことはなかったのです。
私にとっても大きな意味を持つ観音さまの記事にあっけにとられていると、くりすたるるさんのこのコメント。
てのひらに観音さま?もさることながら、奈良にいらっしゃるんだ・・ということを知ってとてもうれしく思ってました。
でも、わたしはその週東京に行っているから、入れ違いだなぁ・・のような軽い気持ち。
でも、「あなたとなら大和路」を編集しながら、るるさんのお役に立てたらいいなぁとも思っていました。
先に述べた通り、「あなたとなら大和路」記事は木さまのために書き始めたものでした。でもるるさんが喜んでくださった!!!
こんな嬉しいことがあるでしょうか?
そして、この時点でわたしは奈良を離れていました。
そして、まだ反応できていなかったものの、圧巻のるるさん記事に茫然としていました。
私にとって、くりすたるるさんはnote界に燦然と輝くスターでした。
書かれるものがもうはっきり素人芸ではなくて、こんな文章が書ける、こんな世界が描ける方がnoteにはいらっしゃるんだ・・という憧れの人です。
そして、るるさんファンから寄せられているコメントは、全員のかたのものを掲載したいほど、生き仏?なかたの言葉で溢れかえっていました。
観音菩薩があちこちに現れ、舞っている。
観音菩薩がやってきた
もうおわかりでしょうか。
11月6日に、わたしはまず木さまに、その後にくりすたるるさまにお会いいたしました。
ゆらゆらミルコさまとはニアミスでした。
どの方も文章の印象通り、そしてお身体という実態をともないながらもなお、幻のような光を放ち、光背を背負うかのような神々しさで目の前にお立ちでした。
そして、この投稿を書き直し書き直ししている間の11月20日に、かぼちゃさんがいらして下さいました。
noteを始めて1年半になります。
今までどなたかに会おうとしたことも、会えるかもと思ったこともありませんでした。
でも、そのかたそのかたの物語をお伺いするうちに、深い魂のレベルで交流している氣がして、会う会わないなんて、時空のほんのひとまたぎのことのような氣がしています。
念彼観音力のすごいチカラ
すごいチカラが場に働いている。
引き寄せの法則でもフォトンでも、たぶん同じことをいっています。
念ずれば通ずること。
意図した以上のことが現れること。
ネット上の向こうにリアルな現し身の仏がいること。
これからもますますたくさんの観音さまが奈良に現れる予定です。
観音さまにお出ましいただく場を整え、お迎えする我が身を精進潔斎することが、現実の自分の生活と濃厚に繋がることをひしひしと感じます。
河合先生は、こういう不思議なことをじっと見つめてこられたのだと思います。
そして、いろいろなイタズラをしながら、この世にメッセージとして送り込んでくださっているんだと。
河合隼雄『で』語り合えて、本当に幸せです!