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念彼観音力を想う②


念彼観音力とはなにか

観音さまがつぎつぎと現れる

『観音経』には、火に焼かれても、水に溺れても、風に吹かれても、

「念彼観音力」といって、観音さまを念ずれば、観音さまが救ってくださると説かれています。

そのことを詩人の山尾三省さんは、

「……様々な局面におて、南無観世音菩薩と念ずれ、それは私たち自身に内在する根源の生命力(慈悲力)および、私たちが置かれてある場(環境)の根源の慈悲力(生命力)を念ずるのであるから、おのずからそこに最善の対処、方法が現れてくるのは、奇跡でも神秘でもなく、理の当然の帰結である」(『観音経の森を歩く』より)

と説かれています。



「念彼観音力」とは、



「私たちに内在する生命力を念ずることであり、

私たちが置かれてある場(環境)の根源の慈悲力を念ずる」ことだと言うのです。



手を合わせて観音さまを念ずると、私たちに本来具わっている生命力が現れてくるのです。

更に私たちを生かしてくださっている大きな力を念ずるのです。

そうすると、安らかな心、強い精神力、思いやる力が呼び覚まされるのです。

こんな時だからこそ、手を合わせて観音さまを念じましょう。

横田南嶺

臨済宗大本山円覚寺管長横田南嶺「今日の言葉」より

河合隼雄『で』語り合おうを始めてからひと月、コンステレーションとシンクロニシティの嵐であったことは、念彼観音力を想う①で書きました。

ひと月の間に、河合先生を媒介にいろいろな方との繋がりができ、noteのなかにとても温かい居場所ができました。

河合隼雄倶楽部に記事を寄せて下さるかた、コメントを下さる方、スキをしてくださる方、本当に現実の人間関係では話せないようなことを話し、お聴きできないようなことをお聴かせいただきました。

あくまで、わたしはnoteの世界の中だけだと思っていたのです。

でも違うのです。なにか小さい揺れが、共振して、壮大なものを揺り動かしているようなんです。

塔の中でだけで行われていたことが、現実を揺らしている感じ。

私が河合隼雄倶楽部・・のようなことをしたいな・・と思っていた時、noteのなかに何人か念頭にある方がいらっしゃいました。


私が倶楽部発足の日に投稿したこの記事を書こうと思った直接のきっかけはかぼちゃさんのこの記事でした。

私はこの記事を拝読して、激しく心を揺さぶられ、やはり物語ということについて考えることにしようと思いました。

河合先生は知の巨人なので、間口も広ければ、奥も深くてとても私が網羅的に紹介できるものではない、物語ということを手がかりにしようと決定づけてくださったのはかぼちゃさんでした。

そして、河合先生繋がりでやりとりのある方の記事を思い出し読みしていたら、この記事に当たります。

木さまの文章を読みたくなって、久しぶりに読み返していたら、リストに「生きるとは、自分の物語をつくること」が入っていて、震えました…。

スキした時点ではお!って思ったはずですが、こうしてリストに具体名を書かれていることは忘れておりました。

でも、わたしが記事を書くとき、河合隼雄倶楽部ということを考えたとき、常に木さまのことは心に浮かんでおりました。

木さまの河合隼雄体験をぜひお聴かせいただきたいです。

ならまち月燈10/24コメントより

読み返していただけるなんて、ほんとうに光栄です!

そうなんです、この本は十数年以上前に読み、一緒にお嫁にも持ってきていて、そして入会したオンラインサロンの初めての読書会の課題図書でもあったので、私もどこか、河合先生に呼ばれているような、つないでいただいているような、深い深いつながりを感じたのです。

今回主催されるマガジンで(ごめんなさい、どうすれば参加できるのか、きっとまだ私の理解が足りていないのでもう一度読んで勉強させていただきますね)私ももっと河合先生のことを学んでいきたいです。先日お話した疑問は、でもきっとあまりにも個人的な疑問なので、申し訳なくて公の場ではお伺いできそうになく…でも先生流に、「その時」はきっとくると信じ、夜空のコンスタレーションを見上げながら、いつかならまち月燈さんや縁深い方々とお話しできる時が来るのを楽しみに待ちたいと思います。

木さま10/27コメントより

木さまは海外在住の方で、その知性はしっかりと日本で育まれたものと海外で学ばれたものが素晴らしいブレンドで存在している深い教養の方です。

この時点でわたしはこの先も会うことがある方だなんて、一寸も思っていませんでした。

ただただ、ご縁があってやり取りができることが嬉しく有難く、河合隼雄倶楽部にも是非記事を寄せて頂けたらなぁ・・ぐらいが大いなる野望でした。

でもこのコメントのやりとりをきっかけに、一時帰国のご予定があること、奈良にも行ってみたいな・・というお話がありました。

でもちょうど、その頃は私が東京出張で奈良を離れていて、観光案内をすることができない、せっかくだから奈良の観光案内をしてくださってるnoterさんの記事を集めておこう!と思って書いたのが拙記事です。

そのなかで私は、ゆらゆらミルコさんの奈良観光案内を取り上げています。

ゆらゆらミルコさんは奈良の大偉人で、私がかねてより最大限の尊敬をささげている方です。

マガジン発足の折には祝電をいただきまして、もうこれは額縁表装ものでした。

大牟田雄三先生とゆらゆらミルコ先生の対談は是非実現してみたかったことのひとつです。

そうこういろんなやりとりいろんな想いが渦巻く中で、あやのんさまのすごい記事が爆弾投稿されます。

私がこの記事を書いたのが10月29日。

あやのんさんが観音さまの記事を書かれたのが10月31日。
デスクトップに観音様が現れたのはいつだったんでしょう?

あやのんさんのデスクトップに忽然と現れた観音様は、中宮寺の半跏思惟像、如意輪観音様で、私が初めてnoteであやのんさんを知ったのは、写仏部活動として、その御姿を写された絵に感動したことに由来します。

でも、あやのんさんは色々な活動にいそしまれてお忙しいそうでもあったので、永らく隠れアヤノタンでした。

永らく一方的に記事を拝読し、あやのんさんのあり方に河合先生や仏様を感じながら、コメントも残したことはなかったのです。

私にとっても大きな意味を持つ観音さまの記事にあっけにとられていると、くりすたるるさんのこのコメント。

あやのんさん、おはようございます!
朝から嬉しい記事!ありがとうございました!

美しい観音さま✨✨

昨日、わたしのてのひらにも観音さまがきてくださいました🥹✨

あと、わたしも来週奈良にいきまーす💖

よくわからないコメントで失礼😂

観音さまとあやのんさんへの感謝とリスペクトをお届けします🩷

世界は奇跡に満ちている。

それが正解なのですね!

くりすたるるさま10/31コメントより

てのひらに観音さま?もさることながら、奈良にいらっしゃるんだ・・ということを知ってとてもうれしく思ってました。

でも、わたしはその週東京に行っているから、入れ違いだなぁ・・のような軽い気持ち。

でも、「あなたとなら大和路」を編集しながら、るるさんのお役に立てたらいいなぁとも思っていました。

ならまちさん!
たーーーくさんの奈良!
今週奈良を訪れる身として、涙がでますよーーー😭✨😭✨

>海外から日本にご帰国されて、奈良に行くかも…

心当たりがありすぎて……自意識過剰でないなら、もしかしてわたしのことだったりしますか?😭😭😭

もうもう、ありがとうございま~す。


みなさんの、ゆっくり拝見いたします!

先にともかくお礼を!と思い、参上しました。

本当にありがとうございました!



ちょうど奈良からおでかけとのこと、わたしもまた別のタイミングで、奈良訪れることもあるかもしれません。

いつか、お会いできたらいいですね!



そして、僭越ですが、あやのんさんの「観音さまがやってきた」の記事からのつながり記事、わたしも、先日ひとつ投稿しました。

ならまちさんのつぶやきがなかったら、あやのんさん、あのタイミングで記事を出されていなかったそうなので、ならまちさんの投稿からのシンクロです✨✨

お手すきのときに、覗いてやってくだされば幸せです。

いろいろありがとうございました。

いま、みなさんとのつながりが、本当にたからものです💎✨

くりすたるるさま11/3コメントより

先に述べた通り、「あなたとなら大和路」記事は木さまのために書き始めたものでした。でもるるさんが喜んでくださった!!!
こんな嬉しいことがあるでしょうか?

そして、この時点でわたしは奈良を離れていました。

そして、まだ反応できていなかったものの、圧巻のるるさん記事に茫然としていました。


私にとって、くりすたるるさんはnote界に燦然と輝くスターでした。

書かれるものがもうはっきり素人芸ではなくて、こんな文章が書ける、こんな世界が描ける方がnoteにはいらっしゃるんだ・・という憧れの人です。

だからわたしは、人はみな菩薩さまだと、いま心から思えます。

あやのんさんは、あやのん菩薩。わたしは、くりすたるる菩薩です。

あなたも菩薩。あの人も菩薩。

くりすたるるさん記事11/1より

そして、るるさんファンから寄せられているコメントは、全員のかたのものを掲載したいほど、生き仏?なかたの言葉で溢れかえっていました。

観音菩薩があちこちに現れ、舞っている。

観音菩薩がやってきた

もうおわかりでしょうか。

11月6日に、わたしはまず木さまに、その後にくりすたるるさまにお会いいたしました。

ゆらゆらミルコさまとはニアミスでした。

どの方も文章の印象通り、そしてお身体という実態をともないながらもなお、幻のような光を放ち、光背を背負うかのような神々しさで目の前にお立ちでした。

そして、この投稿を書き直し書き直ししている間の11月20日に、かぼちゃさんがいらして下さいました。

noteを始めて1年半になります。

今までどなたかに会おうとしたことも、会えるかもと思ったこともありませんでした。

でも、そのかたそのかたの物語をお伺いするうちに、深い魂のレベルで交流している氣がして、会う会わないなんて、時空のほんのひとまたぎのことのような氣がしています。

念彼観音力のすごいチカラ

すごいチカラが場に働いている。

引き寄せの法則でもフォトンでも、たぶん同じことをいっています。

念ずれば通ずること。

意図した以上のことが現れること。

ネット上の向こうにリアルな現し身の仏がいること。

これからもますますたくさんの観音さまが奈良に現れる予定です。

観音さまにお出ましいただく場を整え、お迎えする我が身を精進潔斎することが、現実の自分の生活と濃厚に繋がることをひしひしと感じます。

河合先生は、こういう不思議なことをじっと見つめてこられたのだと思います。

そして、いろいろなイタズラをしながら、この世にメッセージとして送り込んでくださっているんだと。

河合隼雄『で』語り合えて、本当に幸せです!


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 ならまち月燈/こころとからだをつなぐあかり
最後まで読んでくださって有難うございます。読んでくださる方がいらっしゃる方がいることが大変励みになります。また時々読みに来ていただけて、なにかのお役に立てることを見つけて頂けたら、これ以上の喜びはありません。