この手が僕の手より大きくなる日の夕暮れは、どんなだろう。願わくば、今夕のようなやさしい小焼けであって欲しい。今眠ったばかりの君を抱きながら、窓から見える夕暮れこそ、まさに未来のその日の夕焼け小焼けに違いない。そして、おそらくは君の手を包む僕の手もまた、未来の君の手そのものである。
今年は「生」という字が、よく身に沁みた。換気扇のしたで生後間もない我が子を抱き、故人の本をよく読んだ秋でもあった。故人が作家の場合もあれば、昨年亡くられた知人の蔵書のときもあった。しかし、なぜ赤ん坊は換気扇の音で泣きやむのであろうか。携帯換気扇を両肩に搭載したい今日この頃である。
最近の夜寝スタイル 母の手のひらを枕にする 〜 so cute 〜