セルフねんねする2歳娘の話
こないだ、会社で「子どもの動画視聴ルール」的な話になった。
そもそも2歳娘はテレビを日常的に見ないと伝えると、大人がテレビを見る時はどうしてるの?と。
子どもが起きている時は大人は子ども部屋で一緒に過ごし、テレビを見るのは子どもが寝てからだから問題がない。決まったいくつかの番組は録画しているからオンタイムでなくてもこれまた問題ない。
それもこれも、フランス式育児を参考に、娘は子ども部屋でセルフねんねなので成り立つ構図なのかなぁと、改めて「寝かしつけなし育児」についてまとめておこうと思った。
私も夫も教育熱心とかそういうことでは全くなく、たまたま娘が生まれる前に出会った『フランス人の赤ちゃんは朝までひとりでぐっすり眠る』という本で知った、「夜泣きという単語は日本語以外の他の言語は存在しない」、「夜泣きという考え方自体が日本独自のもの」という事実。
常識が覆された。睡眠は子はもちろん親にとっても重要。且つ、夫は寝るのが趣味。ならば、子どもの環境を「睡眠」を土台に新生児のころから意識的に生活してみようと思ったのが全てのきっかけ。
そして、2年経った今も娘はセルフねんねで、朝までひとりでぐっすり眠る。
夫とわたしもリモート多めでお互いに個室が必要だったことから、部屋数が多い家を大前提で探し購入したことで、娘の個室(子ども部屋兼娘の寝室)も確保できているという状況。
出産後退院してわが家に来たその日から3ヶ月くらいはまだ賃貸で同じ寝室で寝ていたけれど、それでもセルフねんねは退院したその最初の日から3人で取り組んでいた。
本来、赤ちゃんは「自分で寝入る力がある」という。抱っこしながらじゃないと寝ない、というのは生まれたときからそうなのではなく、その癖をわざわざ親がつけてしまっているかもしれないとのこと。
もし仮にそうなら、「いわゆる寝かしつけが大変」という子育て中の全親への労いはもちろんありつつ、子どもが実は一番大変なのではないかと思う。
大人でも、ちょっと寝返りをしたときにふと目が覚めてしまうことがあるように、赤ちゃんにも同じように「ふにゃ」、「ふえーーーん」となることはある。
その時に、「どうしたどうした」とオムツかな、ミルクかな、と親が手を出すことは、例えるなら寝返りしてふと目覚めた人に「トイレ行く?」「あ、分かったビールでも飲む?」と差し出すような、そんな行為と同じということだそうで。
なるほどそうとなれば、と娘の「泣き」を夫とともに観察し続けること数日、数ヶ月、、。泣いている我が子を「すぐに抱っこしない」ことに抵抗はあった。
それでも、娘の本来持ち合わせているという「寝入る力」を大人の都合で損なわないように、夫婦でもう少し?いや、もうそろそろ、と何度も何度も繰り返し判断基準を擦り合わせながら過ごした。
動画の話から飛躍したけれど、子育ては住環境や親の仕事も含むライフスタイルありきで、本当に「家庭ごとに違いすぎる」状況で“その家庭の最適解を導いていくもの”だと感じる。
真似できることや参考にできることももちろんあるのかもしれないけど、大事なのは自分と子どもとパートナーと、お互いがご機嫌に過ごせる環境を子どもの成長や親の状況含めてその時々に合わせ臨機応変にアップデートさせながら(←ここ結構大事なのかも)正解にしていくスタンスなのかなぁ。
娘が自分で寝入るというその力を失ってほしくないという共通の目的のために、そして「寝かしつけは大変」というなんだか決まりきったそれをもしかしたら自分たちは打破できるのかもしれないというわずかな希望も胸に、わたしたちは運良く住環境や生活スタイル、価値観や夫婦以外の第三者からの意見などなど様々な障壁を、なんと乗り越えることができた。
娘がずり這いをし始めたとき、どういう風に安全を確保するか夫とベビーゲートやらベビーサークルをどこにどう設置するかを検討した。
結果的にその時導入したのがベビーサークル。娘はそのサークルに向かって「ねんね!」と言ってかけ寄り、休日のお昼寝もセルフねんねをする。
ちなみに普段のねんねルーティンは、お風呂上がりにベビーサークルの中のベビー布団へ直行。保湿してパジャマを着て大好きな牛乳を飲んで歯磨きしたら、好きな絵本を1冊読んで、読み終わったあとに「おやすみの前の大好きぎゅっぎゅっ」をして、そのままバタンと倒れ込み「おやすみ」と伝えて子ども部屋から退室、就寝。
寝かしつけ、なし。
たまたまここ数日はパジャマを自分で着たいとか、牛乳を飲むまで焦らしたりとか歯磨きもグズグズしたり、そもそもねんねの前のお風呂も「でない!まだでないー!」と長風呂を満喫したりなどなどしてるけど、それも成長の証。
ルーティンと言えど娘も成長著しいから臨機応変に合わせ都度チューニングしながら、ここまで2年とちょっとやってきた。
夫と常に状況を共有しながら、「今日はこうだった」「そうかー、なんだろうね」「それならエアコンの温度こうしようか」などと、妥当な対応策を考え実行してみる、そしてまた効果検証する、その反復という感じで。
変化に戸惑ったり悲観したりすることだけだと、解決にならないとつくづく思う。
ベビーサークルを導入したのも結果的に良かったよねとこないだたまたま夫と話になった。ベビーサークルの中で保湿も着替えも絵本も完結させ、「寝る場所」として確保されたそのためだけの場所を確立させることができた。
娘はそこに立ち入ることはもちろん許すけれど、一緒に寝ることは許さない。「自分の寝る場所」という感覚があるのだと思う。遊び場やパパママの寝室とはまた違う、確立された自分だけのその場所。
キッチンや階段、テレビの前などにベビーゲートは設置していないけれど今のところは何も問題はない。T-falは「あちち」と娘は知っているし、階段も気をつけて手すりを使いながら「よいしょよいしょ」と上手に登り降りをする。
あれダメこれダメ、そして早く寝てくれよとこちらの要望を押し付けるのではなく、注意喚起は適切にして危険を知ってもらいながら娘の好奇心を削ぐことなく、そして娘の「寝入る能力」を尊重できているように思う。
これには、母親である私の意志だけではどうにもならないことばかりだとつくづく思う。普段から対話できるパートナーとの関係性、例えば成長著しい2歳児に適宜合わせられるよう子どものことはママだけじゃなくパパもわかっているという共通認識も大事な気がする。
保育園の送り迎えでの先生とのやり取りや、同じクラスや一つ上のクラスのパパママとのさり気ないやり取りは、娘が寝てから大人の夜ごはんの時の大切な話題。
もし寝かしつけでこの時間があと2〜3時間後ろ倒しになっていたら、こんな会話もできていないのかも?と想像すると私たちには改めて必要な時間だなと。
連絡張(保育園とやり取りする交換日記のような体調や様子を共有し合う日誌のようなもの)も私だけでなく夫にも書いてもらうし、私が新宿へ出社の時は朝から晩まで、全ての「本当に全てのこと」を夫に担ってもらう。もちろん夫が出社の際は逆もしかり。
そしてなにより、今日はパパがいない、ママがいない、と日によってフォーメーションが様々なことに娘は今のところ気づきはするけど何も言わず、いないならいないで、と割り切ってる?のか何も機嫌を損なわずに日々を暮らしている。これまた大きなこと。
それもこれも、セルフねんねでストレスなく睡眠時間を毎日確実に確保できていることが大きく作用しているのではないかと私は思う。身体の土台は良質な睡眠って言いますもんね。
そして極め付けに、娘は超健康優良児。今年度すでに3/4を終えようとしているけれど、体調不良でお休みとかお迎えとなったのって1回、2回、、、5回は無かったと言えるくらい。睡眠が大きなインパクトになっていると思うのです。
これからまた娘が成長して、これまでの流れやルーティンが崩れることもあると思うけれど、その時その時に合わせて夫婦で考えながら娘の最善のための策を施す、そうやって子の成長をサポートできたらいいなと思う。
セルフねんねについて思わず3,300文字強を書いてしまいました。どなたかの参考になったら幸いです。