きみの暮らしに、百字の物語を添えていきます。
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KODO
私が棚に並べるのは、古風な日本人からたまたま譲りうけた古書ばかりで、元の持ち主が亡くなった方も少なくない。要は私の本棚で一時期お預かりしているだけに過ぎない。そのような絶版ばかりの本の面影を少し草していくマガジンになる。
古くさい考えで戀愛をテーマに随筆を草してまいります。モテ方等の近代的なものではなく、人としてのあるべき戀愛を書いていきます。不定期ではございますが、原稿用紙も画像としてアップしていきますので、未だ古典立脚した日本語で讀書したい古風な方に届けば幸いです。
Noteのイベントに応募した作品群
NPO法人読書普及協会理事長の読書垢。
高堂つぶやき集。
いきなりだが、私は偶然を信用する。 そして、たまたまの書を君に贈る。 書の原風景は祈りなのだから。 1、人氣記事一覧
過日、或る神社にお参りに伺うと、先に蟷螂がご祈祷されていた。交尾後に雄を喰うという噂だから、なかなか鎌も怖く映るけれども、ふと冷静になって眺めてみれば、合掌とも見えなくもない。それはそれで、おおきな合掌ではないか。人の祈力が失われて忘れて久しい。足りぬのは靈的な鎌ではあるまいか。
「君はいつも道理を外すから、道理のあるところに行きなさい」 私と茶道のであいはこんな助言からはじまった。二十代になったばかりで、馬鹿なことばかりをしていた時分であった。 「それは何処ですか」 こう尋ねると、そこが茶室であったのである。むろん、続くわけがなかった。そもそも柄ではない。しかし、そこは茶道の先生の器なのであろう。ジム帰りに半袖半ズボンで茶室に伺って叱られたり、よかれとおもって無心で坐禅をしていたら、 「もう少し考えなさい」 と諭されながら、二十年以上の
まいとし秋は農福連携技術支援者育成研修なるもので全国を飛び回っているのだけれども、今は佐賀にいる。宿は「あけぼの」という老舗旅館で、置かれている絵や写真、本に衒いがなく、こちらをホッとさせるものがある。佐賀は初めてであったが、街の看板に筆で書かれたものが多く、こちらも古典立脚したさりげない字が目をひいた。すっかり堕してしまった日本文化が、佐賀には微かに残っているのかしらと嬉しい氣持ちで眺めていた。 昨夕、宿の本棚でくつろいでいると、悟竹の書があった。没後百年記念展という
お蔭様で、人生で断トツ忙しい日々を送っておりまして、深夜過ぎにSNSでお祝いメッセージを頂戴してから、そうか誕生日なのかと氣がつきました。いつも本当に有り難うございます。皆さまのご多幸とご健康を心よりお祈り申し上げます。
昨晩、懇親会のあと、ほろ酔いで或る鮨屋に入った。札幌の夜はやはり冷える。ひとり熱燗をやりながら、大将との会話を樂しんでいた。まだ雪が深かった地域では、二階が玄関の家が珍しくなかったということであった。あちらは水だが、同じく二階に玄関があったカンボジアの家屋を思いだした一夜である。
よく過去の自分に本を贈るならという話があるけれども、私ならこの本を若気の至りしかなかった時分の自分に送りたい。というより、本で問いたい。 職業柄、ひとにはよく問うてきた方ではないだろうか。いわゆる教師からコーチへと移ろうにつれて、その問いはイエス&ノーで答えられるクローズクエスチョンから、それが難しいオープンクエスチョンへと変えてきた。しかし、そんなことは問いの本質ではない。問いは内容ではなく、方法が肝要だからだ。 この本は問いを農業に見立てているところも、農福をや
先月と今月で立て続けに今冬と新春に商業出版予定のものを脱稿。ひとが本屋にもどるきっかけとした二冊である。書き過ぎで、腕が曲がり、慢性的な痺れとなっているということであった。著者校正はのんびりしながら行う予定。公私ともに思い出すだけで顔が青くなるほど寝不足で、有り難い時節であった。
かなり日本語、お上手ですね。 私の人生で最も言語化が難しいと感じたのは、初対面の日本人に上のお褒めの言葉をいただいたときであった。私は生粋の日本人なので、日本語にはそこそこ自信があるのだが、「かなり」と言われると、逆に自信を失う。しかし、私は大人の日本人故に、忖度して、 ありがとうございます。 とかなり上手な日本語で感謝をしておいた。 さて、この新刊はリーダーはもちろんのこと、実用書の作家を目指されている方に、特にお薦めである。新人作家が商業出版をするには、
折紙のような朝顔が面影となってから、幾晩過ぎただろう。南極大陸が緑化しはじめたという噂を耳にするなかで、窓の外ではことしも秋が音連れた。それは木の葉の合唱で、そして虫の音の靜かさ。私はふと想い出した。昔から秋が好きだったことを。陽から陰へとそこはかとなく移ろっていく黄金の哀愁を。
こゝ数年、父からノウフクを継いだり、佐伯前理事長から読書普及を継いだりした流れの中で、コミューンをそこはかなとなく考える機会が少なくなかった。コミューンとは仏語で基礎自治体といった意味のことである。 【晴耕団体】農福連携特例子会社連絡会(代表) https://noutoku.jp/ 【雨読団体】読書普及協会(理事長) https://sdgsbook.com/ そこに今福龍太の『霧のコミューン』が八年の歳月を経て、刊行された。少し本書から抜粋すると、霧のコミュ
家内が鈴木大拙を聴きながらお産をしたいと考えている関係で、最近は車に鈴木大拙のCDがある。昨日は畑に出ており、行きはヘビメタ、帰りは大拙を聴いていた故に、爆音の大拙を流しながら、高速道路を走っていた。 「禅ということゝ、科学ということ」 から始まるこの講義は、簡単に申し上げれば、善は東洋的で一のことであり、科学は西欧的で二のこと、三浦梅園的に云えば、一一といった具合であろう。前者は、花を見れば、私も花もともに儚しという境地のことである。花が私であり、私もまた花である一だ
わずか二日であったが、松丸本舗が復活するというので、懐かしき本を求めた。そのうちの一冊が本書で、名著が故にひとに幾冊かあげてしまっていて、久しく手元になかった。 早速、北陸新幹線の共に読んでいると、異界からやってくるものが、いかに富へと化けたのかがよくわかった。近代日本は劣悪である。なぜ、劣悪かと問われれば、ひとえに一般化がひどいということにつきる。これは松丸本舗の傍らで行われていた松岡正剛校長の追突の会でも話題にあがっていたと思う。 では、どうすれば多様性を纏える
昨晩まで岐阜にいた。無人バスが試行運転とのことで乗車したが、これがいぢらしいくらい繊細なやつで、通行人や車はもちろんのこと、車道の隅に生えた雑草さえも検知しては、スピードをゆるめる。未来のライバルになるからだろうか。民間バスが傍らから、あっという間に追い越し、無人を抜いていった。
コエーリョの『アルケミスト』は170ヶ国以上で読まれ、3億2千万部を突破した旅の物語になる。こう記すと、賞か何かをとって世界的ベストセラーになったような印象を受けるが、当初は900部程度しか売れず、重版されることはなかったという。世界を変えた物語になったのは、そのあとのコエーリョの努力によることが大きい。 本書はコエーリョの物語ではなく、随筆になる。アルケミストもよく旅したが、コエーリョもまたよく旅をした作家であった。そして、世界各国から文章を引用する。 或るイタリ