天文22年(1553)2月26日は今川義元が分国法の今川仮名目録追加21ヶ条を制定した日。父氏親が27年前に制定した今川仮名目録で対応できていない分野の補充を行った。21ヶ条のうち6ヶ条は家臣統制に費やされ寄親寄子制に関する規定が追加。一世代の間に生じた問題に対処するためだった。
弘治4年(1558)2月5日は松平元康(家康)が初陣で今川氏から離反し織田氏に通じた三河・寺部城の鈴木重辰を攻めた日。このころ三河忩劇といわれる国衆による今川氏への大規模な反乱が起きていた。今川義元は元康を初陣させ寺部城を攻略を命じた。この戦功により元康は旧領の一部が返還された。
弘治3年(1557)1月15日は松平元信(徳川家康)と今川一門の築山殿(瀬名)との婚儀が行われた日。同じ頃元信から元康に改名したという。築山殿は元康より年上とも同年ともいわれる。母は今川義元の妹とも伯母ともいわれ元康は今川一門に準じる扱いとなった。後に嫡男信康と亀姫が誕生する。