kanacho8

愛知在住33さい。 ひと回り歳上の夫、娘たち(年中と二歳)との平々凡々な日常

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愛知在住33さい。 ひと回り歳上の夫、娘たち(年中と二歳)との平々凡々な日常

最近の記事

お前の中に生きている

今年はわたしの弟・妹の結婚式が立て続けにあり、親族と頻繁に顔を合わせた。 ここ数年、いや、10年以上疎遠だった親類ともこの機に再会した。弟妹たちのために参列してくれたことに、感謝の思い。 当たり前だけど、互いに歳を重ねている。 2、3年ぶりに会った父方の叔母は、その母…わたしにとっての祖母と、そっくりになっていた。 祖母とは完全同居で、亡くなるその日まで一緒に生活していた。急逝したのはわたしが高校生の頃だから、17年前か。 再会した叔母の年齢は、祖母が亡くなった歳に

    • 飛行機はいいね。

      飛行機は良いなぁ、と思う。 帰省のたびに飛行機を使う。わたしひとりで娘たちを連れていくのでそれはそれは大変なのだが、それでも毎回、飛行機は良いなぁと思う。 ヒィヒィ言いながら、大荷物と娘たちを抱えカウンターへ向かう。巨大なトランクを預けた後の解放感が最高だ。窓口の素敵な女性が、細い腕でひょいと荷物をベルトコンベアに乗せる姿に、毎回感動する。 空港で働く方々というのは、どこを誰を見ても無駄がないというか、プロフェッショナルな空気で溢れている。そんな姿に胸がジーンとする。

      • わたしは元気です

        先日、よく聴くラジオ「zipfm」で「ジブリデー」と称し開園2周年のジブリパークとコラボ放送をしていた。丸1日、ジブリ作品をフィーチャーし、その楽曲を数多く放送する素敵な企画。 言わずと知れた「トトロ」の「さんぽ」も1日を通し何度もオンエアされた。この曲、作詞を担当されているのは、先日ご逝去された中川李枝子さんであることをご存知だろうか。絵本「ぐりとぐら」の作者である。 個人的に敬愛している中川先生が作詞されたと知ったのは、割と最近だ。わたしも子どもの頃から当たり前に口ず

        • 樹になりたい

          最近、ほんっとうに1週間が早い。いや速い。光陰矢の如しまじで瞬殺。こうやってあっという間に死ぬんかな、なんて考えている。 肌荒れがひどくボコボコである。すっかりお馴染みの顔面全体のシワも酷い。ボコボコのシワシワ。顔の形容ですよこれ。 30代半ばでこんな顔っつーことはマジもんのばあちゃんになったらどうなるんだ。顔面崩壊してんのか。 あっという間にばあちゃんになってシワシワぐしゃぐしゃになって、それでも人生は続くのか。天寿全うするとして、自分のこんな顔と、あと何十年向き合わ

          彼女たちの今

          長女、5歳3ヶ月、次女、2歳9ヶ月。 喧嘩、仲良しの繰り返し無限大マークを無限走行中。 年功なんのその、次女ブチギレ、握りしめた拳を姉の方に向け歯をギリギリ鳴らしながらこの世の憎しみの全てをはらむ目つきで睨みつけ、ブツブツ暴言らしきものを吐き、姉を震え泣かせる。ジャイアンかよ。長女も泣くなや。 「ギッタギタにしてやる〜」(ボキボキ拳を鳴らす) ※イメージです。 翌日も、定例の喧嘩勃発。 姉による「火曜日、幼稚園で先生に言うもんね!」と、妹の非行を園で告げ口するとの宣言

          彼女たちの今

          かががいる

          ゴリブリと蚊、どちらが嫌いか聞かれたら迷う、と言ったら夫に驚かれた。圧倒的にゴキブリだろう、と。 個人的に、前者がもたらすのは「絶望と恐怖」、後者は「憎悪」なのだ。ジャンルが違う。 蚊を憎しみ嫌っている。痒みが何度もぶり返すからだ。下手したら1週間ほど断続的に痒いこともある。 これが体質だと知ったのは大人になってから。愕然とした。世の人間は皆、この痒みが数日続いたり、掻きむしり過ぎて膿んでしまったりするのが当然なのだと思っていた。実はその程度はそれぞれで、人によってはす

          かががいる

          若かったわたしたち

          新社会人として初入社した会社を、出産を期に退職して5年以上経つ。 有難いご縁で、現在はその会社のパートとして在宅業務をやらせてもらっている。このささやかな仕事が、子育てで荒廃、退化するわたしの脳みそへの刺激となっているのは間違いない。わたしの場合、労働や社会に対する責任感が全くない状態、というのも心理的に良くなかったようだ。 その会社で、新たに大きなプロジェクト(諸々ぼやかすため、そんな表現をする)が始まることになった。そのための新たな在宅パート要員が急募とのことだったの

          若かったわたしたち

          マブダチ・テンション

          こちらの認識として、「お友だち」とか「ママ友」(この言葉はあまりすきではないが)とまではいかないけど、子どもを介して顔見知りで、たとえば幼稚園で会えばお互い会釈するくらいの間柄の方と、思いがけない場所でたまたま会った際に、あー!と小さく声を上げ満面の笑みで手を振ってくれた、なんてことが何度かある。 こちらはそこまでのリアクションを予期しておらず先方と同等のテンションを用意していないので面食らいつつ、えっそんなにわたしに親近感を持ってくれてたのって、きゅんとしてしまう。

          マブダチ・テンション

          他人の評価と「ちりめんジワ」

          「評価は他人がする」という言葉、新社会人として就職した会社で叩き込まれた訓示だ。10年以上経った今も、わたしの中でこの感覚はけっこう大切にしている。 当人の腹のうちとか本質とかは問題でなく、「評価」という意味では…それが組織内だろうと友人関係だろうと、あらゆる人間関係において、「他人からどう見えているか」が、結局のところ(社会における)その人の全てなのだ。 良くも悪くも誤解されることはあるけど、人からそう見られているのであれば当人の一面、事実だ。逆に、周囲からの評価が自己

          他人の評価と「ちりめんジワ」

          正確な情報と事実の重要性

          日曜日、娘2人を連れて公園へ。 公園といっても、法人が管理を行う大規模な場所で、温室植物園や大型遊具、水遊び場にステージ、飲食・土産店なども入っている。テーマパークと言ったほうがしっくり来る。 週末イベントの日でかなり人出が多かった。ほとんどが家族連れである。 閉園時間近くまで遊び尽くし、駐車場までの道のりをのんびり進んでいると、園内放送が流れた。 「ご来園の皆さまへ、迷子のお知らせです。 おかっぱの髪型、黄土色のワンピース、すみっコぐらしの【しろくま】の瞬足を履いた

          正確な情報と事実の重要性

          妖怪は実在した

          「妖怪」とは、日本古来の「八百万の神」的思考が基盤となり、当時解明されていなかった自然現象や不可解な出来事、説明できない存在などを具現化したものらしい。 世の中の不気味・不思議・時には不都合を妖怪の仕業にするのが、かつての人々の納得いくところだったのだろう。 たとえば「河童伝説」とか「かまいたち」とか、調べてみると由来に凄く説得力がある。(河童に関しては胸が痛むが…) 調べるほど、人々の想像力の豊かさに感動する。それが生活に根差した、身近な存在として広く認知されたという

          妖怪は実在した

          JBBコンサート2024in名古屋の感想及び人間観察の記録

          遡ること4ヶ月以上前。 ミュージカルを中心に活躍する俳優、中川晃教さんのコンサートに行った。正確には、彼の所属するコーラスグループ「JBB」のコンサートだ。 ミュージカルをこよなく愛するわたしが、中でも最も敬愛する俳優が、中川晃教。(以下アッキー) 彼の瑞々しくも艶やかな歌声を聴くと、瞬時に恍惚とする。本能的な反応だ。ベルベットのような歌声、という表現がいつも浮かぶ。色なら真紅、花なら薔薇。わたしの目はハート(昭和的表現)。恥ずかしげもなく言ってしまうならば、とろける、

          JBBコンサート2024in名古屋の感想及び人間観察の記録

          図書館のすヽめ 後日談

          先日の「図書館のすヽめ」で最後に記載したリクエスト本について。 てっきりわたし1人のために我が町の図書館で購入してくれるのだとばかり思い込んでいたら、そうではなく他の図書館からの取り寄せらしい。 資料準備出来たよ、のメールが届いたので、果たしてどこの図書館蔵書かとわくわく。 いざ手渡され確認。 すると、「田原市図書館」!!! あんた、そんなとこから来たの?!?!思わず二度見。 うちから76キロもの距離がある。知多半島の住民としては、もはや海の向こうからやってきたくらい

          図書館のすヽめ 後日談

          図書館のすゝめ

          多方面において自分の住む町を気に入っているが、中でも図書館が最高だ。 ワンフロアの延床面積は愛知県内最大、人口1人当たりの貸し出し冊数が全国一になったこともあるのだという。これだけ図書館が充実しているというのは、町として勢いがある証拠だ。行政が文化的な発展に力を注げるのは、町が活性化しているからだ。 さすがにこれ目当てに移り住んだ訳ではなく、何も知らずに永住を決めた。だからこそ、初めて図書館に足を運んだ時の衝撃は凄まじかった。 最新鋭の設備!凄まじい量の蔵書!読書環境!

          図書館のすゝめ

          取り返しのつかない日々を思う

          言葉にすることで、世の中のあらゆる事象は「事実」として存在・成立すると思っているので認めたくなかったのだが、2歳8ヶ月の次女について。彼女が生まれてから、ほとんどの時を共に過ごしてきたわたしが感じているのだから間違いない。 本格的イヤイヤ期に突入である。 ここ最近、言葉と共に情緒の成長も著しい。表情やコミュニケーションの質の変化から、彼女の頭や心の中で目には見えない何かが、跳ねたり弾けたり時にはこねくりまわされたりしながら、猛烈な勢いで姿形を変えているのが分かる。凄じい変

          取り返しのつかない日々を思う

          運動会は、こうでなくっちゃ。

          今年も運動会シーズンがやってきた。長女の通う幼稚園では2学期開始と共に、運動会の準備一色となる。 この園の指導方針は、いわゆる「昭和イズム」が色濃く、たとえば「心を燃やして頑張ろう!」「みんなで力を合わせて!」「自信を持って、諦めない!」みたいな言葉がよく使われている模様。わたしはそんな方針を好ましく思っていて、今後もこの指導を貫いて頂きたいし、熱意ある保育に心から感謝している。 そんな園なので、イベントごとへの気合いはなかなかのもの。殊更「伝統の」運動会に関しては。

          運動会は、こうでなくっちゃ。