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第二十二節 兵は詭道なり 【大罪人の娘・前編(無料歴史小説) 第弐章 戦国乱世、お金の章】

「織田信長が『自ら』、桶狭間おけはざまの地に今川の大軍を呼び寄せた」
歴史書に、こんな表現など一切ない。

ただし。
信長が今川義元いまがわよしもとの重臣がいる鳴海城なるみじょう大高城おおだかじょう[どちらも現在の名古屋市緑区]の周囲に砦を築いて補給を断ち、一刻も早く兵糧ひょうろうを入れなければ餓死する事態に陥らせていたことと、侵攻した義元が真っ先に行ったのが大高城への兵糧の運び入れであったことは……
まぎれもなき『事実』である。

 ◇

凛は、まだ納得がいかないようだ。

「父上。
武器商人を味方に付けるために、信長様ご自身がいくさに強いことを見せ付ける必要があるとはいえ……
今川の大軍を呼び寄せるなど、あまりにも『危険』な賭けでは?」

「良いか。
凛。
『戦国乱世に終止符を打ち、平和な世を達成したい』
この使命をまっとうするには……
大名、国衆くにしゅう[独立した領主のこと]、武器商人に加えて民までも屈服させねばなるまい?」

「……」
「今川の大軍『程度』を撃破できないようで、使命を全うできると思うか?」

「……」
「それに……
実際のところ。
信長様にとって桶狭間おけはざまの戦いは、敗北が濃厚な、絶望的な戦いだったわけではないのだ」

「勝利する可能性も十分にあったと?」
「桶狭間の『地形』よ」

「地形?」
「山や森、谷や川が複雑に入り組んでいる」

大軍を展開する、広い場所がないのですね?
「うむ。
あれだけ地形が複雑に入り組んでいては……
せっかくの大軍も『分散』せざるを得ないだろう」

「それならば、少数でも撃破できる可能性は十分にあります。
分散した敵を『各個撃破』すれば良いのですから」

「そういうことだ。
結果として。
信長様は、賭けに勝った。
運良く義元を討ち取った信長様に、武器商人たちは熱狂した。
『これぞいくさの天才じゃ!』
とな」

「……」
「武器商人は先を争って信長様に『投資』し、銭[お金]は瞬く間に集まった。
こうして。
尾張国おわりのくに[現在の愛知県西部]の国衆くにしゅうたちは……
信長様に屈服して家臣となるか、武器商人から切り捨てられて自滅するかの二択を迫られたのだ

「国衆のような独立した領主を、家臣にできれば……
国を完全に『我が物』とすることができますね」

「ああ、そうだな」

 ◇

「ところで。
父上。
信長様のおっしゃりようは何です?
『わしは、全ての大名や国衆くにしゅうを従わせるまでいくさを止めない。
尾張国おわりのくにを統一した後は美濃国みののくに[現在の岐阜県]を手に入れ、次いで伊勢国いせのくに[現在の三重県]、近江国おうみのくに[現在の滋賀県]……
ひたすら領土を広げていく。
わしに味方すれば、どれだけの銭[お金]を儲けられるか考えてみよ!』
などと。
真っ赤な嘘ではありませんか

「『全ての大名と国衆を従えた後は朝鮮ちょうせんを制圧し、みん[当時の中国の王朝のこと]へと攻め込むつもりじゃ』
こうおっしゃってもいる」

「明も?
一体、どこまで嘘を」

「凛よ。
『戦国乱世に終止符を打ち、平和な世を達成したい』
このこころざしを持つ我らにとって……
戦いの黒幕たちは、それを妨害する敵ではないか」

「……」
「敵に真実を伝えてどうする?
敵には、いかに嫌なことをするかが肝心であろう?

「……」
「敵をだまし、あざむくのは……
むしろ『当然』のことだ」

「……」
「信長様が、『永楽銭えいらくせん』という銭[お金]を軍旗ぐんきに掲げていることは知っていよう?」

「その軍旗も……
信長様に味方すれば、銭[お金]を儲けられるとあざむくために?」

「武器商人も、民も、平和な世を達成するために働いているなど……
夢にも思っていないだろうな」

「……」
「やがて。
突如として、いくさを停止する命令が出る。
必死の抵抗を試みたところで既にもう遅い。
命令は絶対であり、いかなる理由があろうと決して例外を許さないからだ。
戦を止めない者たちに加えて……
兵糧や武器弾薬を売りさばいて銭[お金]を稼ごうと、争いの種をき、愚かな者をあやつって戦へと発展させようとするやからも『すべて』根絶ねだやしにされる」

「……」

 ◇

戦国乱世に終止符を打つには、戦争で利益を得ている戦いの黒幕『すべて』に対して究極の二択を迫らねばならない。

命令に従うか。
さもなくば、死か。

ひた隠しに隠したところで……
信長と光秀のしんの狙いに気付く者たちが現れるかもしれない。
気付いた者たちは必ず、2人に対して『徹底抗戦』する。

だからこそ。
信長と光秀は、戦いの黒幕たちを一致団結させない策略を巡らせていたのだ!

6人の戦いの黒幕たちを、弱い順番に滅ぼすか、屈服させるために。

 ◇

策略の第一段階。

「織田信長は戦争の天才だ!」
武器商人と民に、こう思い込ませること。

桶狭間の戦いにおいて。
人々は今川の大軍の『数』だけを見て、敗北が濃厚な、絶望的ないくさに信長が挑んでいると思い込んだ。

「何と愚かで無謀なことを!」
家臣たちはあきれ、猛反対した。

凛はふと、ある疑問を抱く。
「敵より少ない兵力で戦いを挑むことが……
必ず、愚かで無謀になると決まっているのかしら?
例えば。
『少数精鋭』だと、話がまるで変ってくるのでは?」

続けてこう考えた。
「足腰の強い者に限定し、毎日厳しい訓練を課せば、電光石火のような素早い行動も可能になる。
命令に忠実で、長い時間を共に過ごした絆で結ばれた強力な少数精鋭部隊が完成する!
信長様はいつも……
敵が分散するように仕向けていた。
桶狭間のときも、そう。
今川義元いまがわよしもとの重臣がいる鳴海城なるみじょう大高城おおだかじょう[どちらも現在の名古屋市緑区]の周囲に『いくつもの』砦を築いて、今川の大軍を分散させた」

更に、続けてこう考えた。
「要するに。
桶狭間の戦いは、天才的な戦術で勝利したわけではない。
分散した敵を少数精鋭部隊で各個撃破した『だけ』のことではないの?」

こう結論付けた。
「孫子の兵法にある……
『兵は詭道きどうなり』
つまり。
天才的な戦術を使っていないとしても、人々を欺いて信じ込ませれば良いと!

 ◇

続いて……
策略の第二段階。

「信長様は、こう話して人々をあざむいた。
『そちたちは皆……
より多くの銭[お金]が欲しいのであろう?
銭を増やすことが、生きる目的なのであろう?
ならばわしに味方せよ。
全ての大名や国衆くにしゅうを従わせるまでいくさを止めない、わしに味方すれば……
どれだけの銭を儲けられるか考えてみよ!』
と。
これを信じ込ませるために、銭を軍旗にまで使った!」

「『兵は詭道きどうなり』
どれだけ卑怯で、汚い方法でも、相手をあざむいた者が優位に立つ……」

 ◇

凛の思考は続く。

「父上も。
信長様も。
ここまで人をあざむことができるのは、どうして?」

「恐らく。
人が持つ傾向を知り尽くしているからでは?

人が持つ『傾向』は……
大きく2つ。
1つ目は、欲があること。

『欲』を満たすために、お金は欠かせない。
衣食住、娯楽に至るまで何でも交換できる。
場合によっては、好みの異性すら手に入る。

ただし。
お金そのものには何の価値もない。
モノと『交換』するために存在しているのだから。

「しかし。
人々は、いつしかこの真理しんりを忘れてしまった。
『銭[お金]増やすことこそ、人の生きる目的ではないか!』
と。
父上と信長様は、この傾向を利用して人々をあざむいたのでは?」

 ◇

そして。
2つ目は、『無知むち』であること。

全てを知っている玄人くろうとは極めて少ない。
むしろ一部を見た程度で、全てを知ったと勘違いしている無知な素人しろうとの方が圧倒的に多い。

不思議なことに。
無知な素人の方が、自分の言葉に何の責任も負わなくて済む、無関係な、安全な場所から意見を言うことが多い。
加えて内容も『浅い』せいで拡散が早く、もたらす被害も大きくなる。

「桶狭間のときも。
優れた武将がおらず、無知むち素人しろうとの集団と化した今川軍の兵たちは……
敵の数だけを見て圧倒的に有利だと思い込んだ。
せっかくの大軍も地形のせいで分散し、各個撃破の危険が迫っていることに気付きもしなかった!
結果。
信長様が率いる少数精鋭部隊への反応が『遅れ』、致命的な敗北へとつながった!」

 ◇

ときを、少しだけさかのぼる。

戦いの黒幕の1人目・『室町幕府』。
信長討伐命令を発令して一時的に織田信長を窮地に陥れたが……
やがて読み書きを上手うまく使って無知むちな人々をあざむき、おのれの味方とした信長に対して劣勢となる。
民の声を無視できない大名が、幕府の命令に従って兵を出せなかったからだ。

自らの優位を確信した信長は、幕府軍のもる山城国やましろのくに槇島城まきしまじょう[現在の京都府宇治市]を圧倒的な大軍で包囲する。
敵の兵数を見て士気を喪失そうしつした幕府軍から逃亡兵が相次いだことで城はあっさりと落ち、将軍・足利義昭あしかがよしあきは京の都を追放され、室町幕府は『滅亡』した。

およそ1年前の出来事である。

【次節予告 第二十三節 女たちの闘い、開幕】
明智光秀も、織田信長も……
人間が持つ傾向を知り尽くしていました。
策略とは、人間が持つ傾向を『利用』するものだからです。

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