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にしお城まつりと西尾市の史跡
10月13日西尾市での初出演となる、にしお城まつり・西尾シルバーフェスティバルに出演させて頂きました。
西尾市は三河の小京都とも呼ばれる歴史的魅力の多い町でしかも会場は西尾市指定史跡の城跡。あまりにものうれしさにMCが随分長くなってしまいました。
西尾シルバーフェスティバル
西尾市シルバー人材センターさんのブースでは、ソーイング班さんの心のこもった力作の販売。まさに「材料代のみ」の安価で素敵な作品揃いでした。中でも圧巻は再利用された牛乳パックに着物をリフォームした椅子! そして生産量日本一で名高い西尾の抹茶を使用したかりんとうやお隣幸田町の名産としても知られる筆柿の販売などが行われました。
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にしお城まつりでは近隣市町村観光協会さんによるご城印販売(これは12日のみでした…残念)。ポニーのアイちゃんへの乗馬体験、そしてブラジルの方のキッチンカーなど多彩な出店に、カルメンさんのフラメンコや社交ダンスなど多彩なステージが行われました。
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西尾城跡
さて会場の西尾城跡は西尾市歴史公園として趣を残しつつ素晴らしい都市公園となっており、西尾小学校校門付近には太鼓門跡、また尚古荘は東丸の遺構を生かし作庭された庭園が遺されています。こちらでは焼き芋の販売もありました。
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西尾城は刈谷城の"亀城"に対し"鶴城"の異名を持ち、1585年既にあった西条城に酒井重忠により天守の増築や堀の造成などが加えられ、1590年田中吉政により更に楼門や櫓門などが建設されました。
その後江戸時代に入った1601年本多康俊が初代西尾藩主として入城。以降藩主は松平、井伊、増山、土井、三浦氏などが引き継ぎ、1869年最後の藩主松平乗秩により版籍奉還されました。
現在では本丸丑寅櫓、二の丸鍮石門、二の丸丑寅櫓の復元が行われ、天守の再建も計画中で天守台は既に完成されております。天守も珍しく二之丸にあった城跡です。
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また園内には近衛家の数寄屋棟と茶室棟が移築され、平常より呈茶のお点前が頂けます。
そして城跡本丸跡には西尾神社と御剣八幡宮が鎮座し、御剣八幡宮は歴代城主の信仰を集め、城主が寄進した石燈籠が残る他、本殿・拝殿も1678年当時の城主土井利長による再建です。
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また城跡姫丸跡には元市長杉浦喜之助氏による没後の寄付により西尾市資料館が開館されており、市指定文化財を含む充実の展示を通常無料で観る事が出来ます。
西尾市の史跡
西尾市の史跡についてはあまりにも数が多いため、天守跡に建てられていた幟の「吉良・今川氏発祥の地」ということでまずは両氏に関連する史跡を書かせて頂きます。
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今川氏・吉良氏発祥の地
今川町にある今川氏発祥地は西尾中学校裏にあたり、吉良家の祖である長氏の次男国氏が当地の名前に因み名乗ったのが始まりとされています。史跡中央には後世に建てられた室町時代の守護大名今川了俊の供養塔もあります。そして西尾市駒場町の東向寺には今川義元の首塚も伝わっております。胴塚は豊川市大聖寺にありますが、駿河に戻る途上、腐敗が進んだため、当地に埋葬されたと伝わっております。
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吉良氏については「忠臣蔵」であまりにも有名な吉良義央の一族であることは良く知られておりますが、代々の菩提寺が旧吉良町の華蔵寺であり、義安から義央の継嗣義周まで6代の墓(西尾市指定史跡)や義央が寄進した経蔵(西尾市指定文化財)、また義央自らが着色したとされる木像(愛知県指定文化財)も残っております。
ほぼ隣にあたる花岳寺は東条城主吉良家の菩提寺として創建されました。
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「忠臣蔵」では吉良義央公は"悪人的"描かれ方をされておりますが、地元では名君として知られ大きな実績の一つが、泥沼地帯であった地区に私財を投じ一夜にして築かせたとされる現在では桜の名所として知られる黄金堤が挙げられます。史実考証的には義央が築造に関わった可能性は低いかもしれませんが、郷土の偉人を讃える地域憲章のロマンとしてすばらしい話であると思います。
国宝阿弥陀堂の金蓮寺
そして旧吉良町に所在するのが国宝建造物である金蓮寺阿弥陀堂です。源頼朝が地元の守護安達盛長に建てさせた「三河七御堂」の一つと伝わりますが、実際は鎌倉中期の建立で中尊寺金色堂同様の一間四面阿弥陀堂形式で建てられ、中央の須弥壇には愛知県指定文化財の阿弥陀三尊像を祀ります。こちらは通常公開されております。
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そして三河湾を一望できる風光明媚な岬に鎮座するのが幡頭神社です。
こちらは飛鳥時代702年の創建と伝わり、祭神は建稲種命。本殿は桃山時代1580年の建立で国指定重要文化財、同時期の神明社・熊野社は愛知県指定文化財となっております。
こちらは平素は無住で祭礼の日に限り御朱印が頂けるようです。
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この素晴らしい西尾市で初出演させて頂き本当に感謝感激です!
R-projectさま、西尾市シルバー人材センター様をはじめ皆様ありがとうございました!!
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