地の利、水の利を訪ねる旅 第一話
久しぶりに東海道を歩いています。
(気まぐれに始めた東海道行脚。日本橋から名古屋の近くまで到達しています)
◇ ◇ ◇
今回はイレギュラーだ。
東海道がない部分がある。
不思議でしょう。
自分も知った時には衝撃でした。
大きな川の多い、このエリア。
熱田神宮から三重県桑名まで江戸時代、東海道を移動する人は船を利用していたので、その間の道がないのです。
現在は渡しの船が当然ないので、私は東海道と何の関係もないルートを歩かないと桑名に着かないことになります。
何の関係もないルートを歩きたくない、それも大都市の区間、と二の足を踏んでいました。
気が重くなり、まる1年、歩いてなかった。
それでも久しぶりに歩きたくなり、とりあえずルートのことは行き当たりばったりにして、歩くことに。
新幹線ひかりで2時間。
名古屋駅に着きます。
名鉄線に乗り換えて、東に少し戻ると、前回ゴールした駅に。
歩き出すと間もなく「桶狭間」に着きます。
◇ ◇ ◇
守護大名として有力者の今川義元が大軍を率いて京都に向かいます。
途中の尾張に拠点を持つ織田軍は弱小で、静岡からやってくる今川義元としては簡単にケチらせると思っていた。
桶狭間で軍を休めていると突然の豪雨で、その間隙をついて、織田軍が全く数では劣勢なのに今川軍を蹴散らし2時間ほどで今川義元を討ってしまったという。
私は、東海道行脚の途中で、その戦場に立つのを楽しみにしていた。
どれほど狭間な場所なのか、何故そんな所で休んでいたのか。
◇ ◇ ◇
東海道を歩きながら桶狭間に向かうと、目の前に今川軍が歩いているのが見える気がする。
そして桶狭間に着いた。
えっ、別に狭間じゃないじゃん。
拍子抜けした。
今川義元が討たれた場所は小さな記念公園になっていて、墓や記念碑、説明がある。
周りには建物が建っているので分かりにくいが、昔の地域の様子が絵になっているものを見ると、丘とも言えないような低い丘に囲まれている所だった。
よく見ると、確かに左右がゆるやかな坂になっている。
豪雨の中、油断している低地に布陣している大軍に対して、緩やかでも坂を下りながら勢いをつけて襲ってくる決死の敵に、太刀打ちするのは困難だったことは想像できる。
窮鼠猫を噛む、んだなぁ
お墓の写真は撮る気になれず、説明だけパシャリ。
記念公園を離れる。
歩き出す。
高校時代に授業で教わった言葉が、頭の中でリフレインしていた。
「志士は溝壑に在るを忘れず、勇士は其の元を喪うを忘れず」
第一話尾張です