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東海道五十七次 徒歩の旅⑬岡崎宿~宮宿
こんにちは。26歳女です。
2024年11月から12月に、18日間かけて東海道五十七次を歩きました。
この記事では、東海道五十七次を歩いた記録を書いていこうと思いますので、これから歩く人にとって参考になればと思います。
これまでの記事一覧はこちら↓
今回の内容
今回は、出発して12日目に歩いた岡崎宿~宮宿について書きます。
人生で初めて名古屋に来たということで、この日と次の日は観光の時間を設けています。
番外編として最後に載せます。
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岡崎宿出発
12月6日(金)、天気は晴れ。
前日に宿泊したホテルはこちら↓
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↑ホテルの位置の都合上、東海道を逸れて三河安城駅の方に進んでいたため、東海道に戻っていきます。このゴリラはその道中にいた子。
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↑池鯉鮒(ちりゅう)宿に到着です。
最初、この宿場の名前が読めませんでした。
江戸時代は、木綿市や馬市でにぎわいました。
近くには、馬頭観世音菩薩を祀る慈眼寺があります。
歌川広重も、馬市の様子を東海道五十三次に描いています。
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↑本陣跡。
立派な本陣跡ですが、その前になぜか大きなコンクリートの段差。
この本陣には、大名や幕府役人、公家などの偉い人たちが宿泊をしていました。200年以上その役目を果たし、1875年に取り壊されています。
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↑池鯉鮒大明神常夜燈。
のぼりは、大あんまきが名物の小池屋本家
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↑境橋を渡って境川を超えます。
東海道が整備された当初、三河側が土橋、尾張側が板橋の半分ずつでした。
これは、三河の質素、尾張の派手好みを表しています。
洪水に何度も流されたのち、土橋として整備をされ、明治になって欄干付きの橋になりました。
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↑歩いていたら桶狭間の戦いの戦地がありました。
東海道沿いにあるとは知らず、めちゃくちゃテンションが上がりました。
桶狭間の戦いとは、1560年5月19日雷が鳴り響く豪雨の日に、織田信長と今川義元が戦って、織田軍が勝利した戦いです。当時の織田信長は27歳。
4000人の兵士を連れて、2万5千人を相手に戦いました。
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↑これが今川義元が戦死した場所を示す碑。
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↑有松という地域にやってきました。
ここは池鯉鮒宿と鳴海宿の間で栄えた茶屋集落です。
江戸時代の面影を残していて、日本遺産に登録がされています。
染物が有名で、軒先に「ありまつ」というのれんをかけているところが多く並んでいました。
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↑立派な蔵。
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↑有形文化財に指定されている住宅。
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↑有松には、無形民俗文化財に指定されている大きな山車が3つあります。
ここの中には、1830年~1844年ごろに造られた唐子車が入っています。
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↑市指定有形文化財のお宅。
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↑このような古い建物に、染物屋さんや会社が入っていました。
現在の有松の町並みは、1784年の大火事の後の景色です。
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↑こんな日本家屋に住んでみたい…。
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↑神功皇后車の山車庫。1873年に造られた山車が締まってあります。
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↑有松一里塚。復元されたものです。
一里塚は、1604年に日本橋を起点として1里(約4㎞)ごとに設置された塚のことです。道の両側に9m四方の塚が作られ、そこにエノキが植えられました。
この塚は、荷物や人を運ぶ距離の基準となったり、旅人が休む場所として活用されていました。
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↑40番目の宿場町、鳴海宿の東京側の入り口に1806年に設置された常夜燈がありました。
「秋葉大権現」「宿中為安全」「永代常夜燈」と書いてあります。
宿場の安全と、火災厄除けを祈願したものです。
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↑鳴海宿の京都側の入り口にも常夜燈がありました。
これは1792年に設置されたもの。
鳴海宿の出入り口両方に残っている貴重なものです。
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↑笠寺一里塚。名古屋市内で唯一当時のまま残っている塚です。
土塁が私の背丈よりも高く積まれていて、木も大きく生い茂っていて、ものすごく迫力がありました。
「すっげええええ!」と見上げて写真をばしゃばしゃ撮っていたら、隣の道路を走っている車の人たちに変な目で見られました。
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↑笠覆寺。
荒廃した寺で、雨ざらしになっていた観音像に、笠をかけた娘が玉照姫として迎え入れられました。ここで、今川家に囚われていた織田信長の兄と、織田家に囚われていた家康の人質交換がされました。
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↑清水稲荷神社。綺麗に紅葉していました。
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↑穂波北歩道橋を渡って、八丁畷という地域に着きました。
ここの地域は、織田信長が整備した道で、田んぼの間を通っていたため、八丁畷と呼ばれるようになりました。
江戸時代にかかっていた松田橋が復元されています。
さて、
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↑裁断橋跡。
1590年、18歳になる息子を小田原攻めの最中になくした母親が、弔いのために橋の架け替えを行いました。
33回忌の架け替えがかなわないまま亡くなり、養子がその意思を継いで、1622年に完成させました。
この近くには、6歳の徳川家康が、織田信長の父親に幽閉された場所があります。
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↑浜松ぶりの都会でテンションが上がります。
さて、この近くから、宮宿と桑名宿を結ぶ、「七里の渡し」がありました。陸路もありましたが、川幅が広く、橋を架けるのが難しかったため、舟渡が行われていたのです。
通常七里(約28km)のはずが、潮が引くと十里(約40km)になったそうです。
江戸時代は、午前4時から午後4時まで行われていました。
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↑七里の渡しが行われていた舟渡跡まで行きたかったですが、今回陸路を進む私にとっては、足を延ばしたくなかったので、このまま熱田神宮に立ち寄りました。
熱田神宮は、三種の神器の1つである草薙の神剣(くさなぎのみつるぎ)が祀られています。これは、日本武尊(やまとたけるのみこと)という古代日本の英雄が、神剣を留め置いたままなくなってしまい、お妃が熱田に祀ったものです。
本日の宿
さて、本日は、大須観音商店街にあるTrip&Sleep HOSTELに宿泊です。
2879円。
女性6人のドミトリーに宿泊しました。
私はシェアハウスに住んでいた経験があるので、ゲストハウスやドミトリーに泊まると、その時のことを思い出してテンションが上がります。
箱根のゲストハウスの従業員の方に続いて、ここの従業員の方も面白い方でした。海外ロングトレイルを歩いてきた従業員の方もいらっしゃるらしく、色んな話をさせていただきました。
外国人の方も多く泊まっていました。
この日は、初めて名古屋に来たということで、軽くグルメを堪能します。
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↑矢場とん名物の串カツ。
量が多くて近くにいた女子高校生と半分こさせてもらいました。
↑後輩がおすすめしてくれた焼き鳥屋。疲れた体にビールが染みました。
本日の記録
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↑名古屋は紅葉真っ盛り。
番外編:名古屋観光
翌日の12月7日は、観光日として1日設けました。
東海道は一切関係ありません。
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↑名古屋で働く大学時代からの友人とひつまぶし食べて…
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↑生まれて初めて名古屋城を見て…科学館でプラネタリウム見学をして…。
私が勤めていた会社の名古屋拠点を見に行って…。
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↑風来坊で手羽先と土手煮を食べながら1人飲みして‥‥
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↑ゲストハウス音速別荘に宿泊。
私の部屋だけ暖房がなく、電気毛布を借りました。
おかげでそこまで寒くはなかったです。
次回に続く
次回は、宮宿~桑名宿です。