(続き)私の雲水としての修行や世界の寺院への巡礼についての記録はnote本欄バックナンバー記事・写真を参照してください(国内は、京都や奈良など、海外は、英、仏、デンマーク、スペイン、スイス、イタリア、米、ロ、中、台、韓、シンガポール、タイ、アラブ首長国連邦ドバイなど)。
私は、宗教研究のフィールドワークのため、曹洞宗に出家、住職(寺を持つ)でなく、雲水として、一生、修行、そのため、禅寺で修行後、永平寺で修行、その後、世界各国の寺院巡礼中、いまでも、禅寺で、月三日の修行、自宅で、研究の日々(哲学や宗教)、成果は、原著論文や学術書としてまとめます。
『内側の雲』ぼくは 右でも左でもない(脱居住) 上でも下でもない(脱去来) 分でも合でもない(脱分類) 少でも衆でもない(脱授記) ニューエイジの孤児です レイキを語らず 気功を学ばず 神仏を尊ばず 奉られざる生贄 蘇った化石 かいなきあなたは何物ですか 外側にいる無数の内側の人
分かったつもりは外道の見解。 僧たちによる問答「首座法戦式」でこの言葉を聞く(先日の『永平寺 禅の世界』)。「悟りとか迷いとか色分けできない真実がある」が、もちろん真実は彼らにも分からない。それを求めて「乱れては整え、乱れては整え」る修行があるか。俗世界に生きる私も背筋を正す。