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無思想、 無批判、 無節操な 生き方
今日のおすすめの一冊は、島地克彦氏の『はじめに言葉ありき おわりに言葉ありき』(二見書房)です。その中から「人生で大切なことは」という題でブログを書きました。
本書の中に、「無思想、 無批判、 無節操な 生き方」という心に響く一節がありました。
《無思想、 無批判、 無節操な 生き方がいい。》
わたしが編集者になりたての新人研修のころ、ある雑誌の編集長に「君は無思想、無批判、無節操だ!」と怒鳴られたことがある。そのとき、わたしは「ごもっとも」と心のなかで感心した。
幼少のころから面白い本は大好きだったが、長じて思想的な本は読んだことがなかったし、信ずる思想も主義もまったくなかった。他人を小馬鹿にして笑ったが、面と向かって批判したことはなかった。
いまでもわたしの書くものには特定個人への批判や攻撃がないとよくいわれる。個人を攻撃していると、次第にそいつと同じレベルになってきて、自分の気持ちがみじめになってきてしまうのだ。たしかにわが生涯は、無節操の連続である。
プレイボーイは無節操でなければ生きていけない。だが、わたしはセンス・オブ・ユーモアだけは磨いてきたつもりだ。思想がなくてもユーモアがあれば、人生は愉しく生きられる。批判精神がなくてもユーモアがあれば、ものごとを笑い飛ばせることだってできる。
無節操が故にユーモアをまぶしながら、悦楽の人生を送れたのだと自負している。わたしは人生を怖ろしい冗談の連続だと思っている。それを受け止めるためには、巨大なユーモアの城壁がないと生き苦しい。
わたしにとって生きる最大の武器はユーモアのセンスなのである。 考えてみれば、戦後の日本はまさに無思想、無批判、無節操でやってきたので はないか。だから戦後の焼け跡から不死鳥のようによみがえり、世界を驚かせた のではないだろうか。
下手な主義主張や正義があると、むしろ行動力のブレーキになってしまう。無思想でも無批判でも無節操でもいい。ただひとつ不屈で元気な燃えるようなエネ ルギーがあればいいのである。
『浮浪雲』というジョージ秋山氏の漫画がありますが、その中にこんな言葉がありました。(ででんでんでん♪ 心が楽になる「浮浪雲」の名言)より
「花が散るのは風のせいじゃない。風が吹いても吹かなくても、花は散るのが運命」
「立派になろうなんてのは、疲れますから、自分のやりたいことだけ、自分が楽しいことだけ、考えたらいいんですよ。」
「流れる水はくさらない。精神をいつもさらさらと流れる水のように。水、滞ればぼうふらが生ずるように、心、滞れば悩みが生じます」
「人生で一番大切なことは 機嫌がいいこと」
「怠けるだけ怠けたら、やる気になりますよ。人間なんてそんなもんですよ」
まさに、「無思想、 無批判、 無節操な 生き方」は、浮浪雲のような、こだわりなく、飄々(ひょうひょう)とした生き方です。
「行雲流水(こううんりゅうすい)」という言葉があります。流れる雲、(川を)流れる水のように、執着せず、流れにまかせ、物事に淡々と対応することです。禅の修行者のことを「雲水」といいますが、この「行雲流水」の境地であれ、というところからきています。
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