是断(の形は雲の色(ディストピアというなかれ)
私の経験を綴ったもの。過去に重点を置いた論考。
明るいところだと、綺麗な夜空は見えないよ。
これがわかればすべてがわかる。すべてがわからなければこれはわからない。あなたはあちらの住人か。もうおわりにしよう
私から見た世界の様相。記事が増えてきたので立派な論考ものだけまとめました
その山の頂点に立てるのは1人だけ。 隣の山の頂点に立ちたければ一度は谷を渡らなければならない。 高く上るほど、谷は深くなり、移動は億劫になる。 高さとは、基準面からの遠さ、山で言えば海水面からの鉛直距離のことだ。 地球上では最も高い点より、最も低い点の方が海水面からの距離は遠いらしい。 だから、私はかつて深さを究めようとした。 しかし、その試みにたいした成果はなかった。 海水面を基準とする限り、基準を一定にする限り、 それは自分のルールに縛られ続けることになる
意味のあること、ないこと、丸ごと。 重要なこと、つまならないこと、すべて。 価値基準としての自分軸なんてのは道路標識と相違ないでしょ。 だからナニって?冥界からの❍でしょ ❍=サルベージ
人間の言葉や精神はじつは無償ではない。 自己のすべてを世に献納することが人が人であるための条件。 ・言葉や言語によって縛られる思考回路 ・精神や思想によって縛られる行動様式 【正規化された表現の範囲内での自由】という不自由さと裏腹な「知的生命体」という通念はソーラーパネルみたいだ
個人と言えるほどに人が個性を獲得するためには、洗練された隔絶と独立が必要だが、隔絶を勝ち取るためには唾棄すべき「地縁・血縁・社縁」がなければならず、独立を成し遂げるための前提条件としては「愛情・癒着・依存」が不可欠だ。 片田舎的な古き良き腐った風土がなければ個人は誕生しないのだ。
悪貨は良貨を駆逐する。 されど、良貨は途絶えない。 悪貨は良貨を駆逐する。 良貨は必要な場所に流れ込む。 悪貨は良貨を駆逐する。 悪貨は良貨の瓦礫である。 風が吹けば桶屋が儲かる。 良貨は悪貨を量産する。 良貨がより良く在るために、 悪貨で持たざる衆生の懐を満たす。 悪しき言葉で
始まりに還りつつある。 それは、妻の大きくなったお腹に触れると胎児の動きを感じるから。 フリダシに戻ることは後退ではなく移行である。 なぜなら、時間は現在という過去を破砕して内含して進むブラックホールだから。 マトリョーシカの中間層的な、媒介としての我性を思う。 あやされている。
学識や教養を誇示するのが恥ずかしくなってきたなぁ。 なんだろう、自分で書いた論述や思弁に対する、花が散った桜の公園にレジャーシートだけが残されているかのような、哀愁。 自身をコノハナサクヤヒメだと思っていたモノが、その身そのままイワナガヒメだったみたいな、自意識の変化がシンワ的な
星座。慣例。人が引いた線の集まり、空想の一般様式 空想。贅言。取るに足らないもの、無視すべきもの 無視。喜捨。持たざるべきものを持つことを肯定する 肯定。欲望。出過ぎた世界では出過ぎたことをすることは義務である 義務。任務。戦場も楽園もそこに生まれたらそれまでだ ボージーソワカー
道なる人は、「人は誰もが言葉を解し、それにより言葉を操っている」と考える。 それに対して、非道なる人は、「人は誰しも言葉に操られ、それにより自身を定義されている」と斜に構える。 にも関わらず、絶倫なる人は、「人とは言葉であり、言葉でない人こそ誰でもないこの私たちだ」と黙りこくる。
結合は物質ではないと誰が言った? 活力は、意志は、気分は! 無限に湧き出るわけないじゃないか
あらゆる事物が原初より/同時並行的に/一斉同列に/共同して成立し/変異しつつ消滅しながら誕生しつつ遷移していることを想うと、「自分だけが〜」という諸々の我念が、経験という固定観念に縛り付けられた咎人のように思えて切なくなるような、徒然なる技術職員の日記をいつも読んでくれてありがと
誰もがすべてを承知の上で日々を送っていなければおかしい。 そうでないなら、不確実性に対する許容力がおかしい。 どちらにしても、何が何でも、おかしい。
僕は気が多い。 さらに言えば、僕は多い気。 さらに言えば、多い気が僕。 さらに言えば、気が多い僕が多い。 さらに言えば、気は僕にして多く、多くの僕は気。 さらに言えば、多い僕は気。 こうして気づけば、気も僕も多い。 嗅ぎ分けること嗅ぎつけること。浮わついているのは僕じゃなくて気。
地球はひとつの回天寿司なのさ 海鮮天丼でもいいけれど。 回天は天動説を、寿司は地動説を意味し、 海鮮は輪廻転生を、天丼は極楽浄土を意味する。 つまり、人生には酢飯ほどの意味しかない。 依り代の君たちのおかげで僕がある。 霊魂とワサビは似ている。 火を通すとゴボウに似ているらしい。
物事は曲がるなどして//流れる//か、破れるなどして||壊れる||しかない。 時間は止まったことなどないのだから、始まったことなどないのだろう。流れの中にあってはこう考えるしかない。 しかし仮に時が終わることがあるならば、その時はさも始まってすらなかったかのように壊れるだろう。
周りを見下ろしすぎて、首が固まって、前を向けなくなっていませんか? そういうときは、しゃがんだり、正座をすると良いでしょう。 つまり、小さいものを崇めるという動作が、『後頭下筋群』のコリをほぐすのに適切なストレッチなのです。 その代わりに、キリンは首を激しくぶつけ合うのでしょう。