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「悟り」つれづれ
たまたまYouTubeで、永平寺で修行の動画(元は何かのドキュメンタリー番組?)があったのでつい見てしまいました。ちなみに永平寺は、曹洞宗の総本山であり、雲水(見習い僧)の修行場でもあります。
私の実家の宗派が、曹洞宗ということもあり、小さい頃から永平寺にはなじみがありました。かつて観光に訪れたとき、「将来はお坊さんになるのはどうだい?」と母親から言われたことを、今でもはっきり覚えています。たぶん、小さい頃からどこかお坊さんぽかったのでしょう。
この動画では、修行を願う雲水たちが、永平寺の山門の前に立ち、入門を請うところから始まります。そして、春夏秋冬の行事とともに、雲水の一年の修行の様子を映し出していきます。
この動画を見ればわかりますが、雲水たちはいきなり、雪に閉ざされた極寒の中数時間待たされた末に、ようやく先輩の雲水が現れたかと思うと、修行の決意を問われます。もちろん、雲水たちは大声でもちろんと答えます。
そのシーンを見ただけで、自分だったら心折れているなと思ってしまいました。たぶん、帰っているでしょう。
永平寺の修行の様子は、よく知らない方でもおよそ想像がつく通り、かなり厳しいものです。朝起きて顔を洗うところからはじまって、食事の作法、そして各種の作務、座禅、読経と、詳細に決められています。
顔を洗うのも、桶の一杯についだ最小の水ですまし、食事も箸の置き方まで決まっています。
それは、永平寺の長い伝統を経て、出来上がってきたわけではなく、開祖である道元禅師が実践されていました。こうしたすべての決まりごとは、悟りを得るための修行だったというわけです。暮らしがそのまま修行。それは、たぶん禅の心得がある人は多少なりともわかることだと思います。
しかし、動画の最後の方で、修行を終えて下山する一人の雲水が、感想を聞かれ、「耐えることを覚えました」と言っていた部分が引っ掛かりました。
それを聞いた私は、つい、この雲水はまだ修行は終わっていないなあと思ってしまいました。(偉そうですみません)。
永平寺の細かい規則、作法、行事というものは、それぞれに意味があるからこそ雲水に課せられています。頭を丸めるのも、座禅するのも、物理的精神的に、我という存在を限りなく希薄にさせていく。そして、直接経験(悟り)を得て空そのものになる。最後には、その空という言葉すら必要がなくなる境地を目指すものです。
つまり、わたくしという存在が仏性(西洋では世界精神)そのものになれば、自然とお釈迦様と一体になることであり、必然的にその考え方も行為も同じようなものになるはず。それが仏教の教えだと思います(間違っていたらすみません)。
そもそも我慢も耐えることもなく、何の意識すら向けることもなく、これらの修行を行うことができ、自分にとって修行ですらなくなったとき、初めて修行が終わったのだと思います。
この雲水は、「耐える」という言葉を使ってしまった時点で、まだその境地に達していない気がしたのです。
我をなくし、万物一如に存在をゆだねれば、すべての森羅万象や現象(生物だけではなく)は、世界精神の一部だと気づくはずです。そして自分の生をまっとうするために、極力他の存在に対して迷惑をかけない。かけるとしても何かを損なうことだから、最低限にとどめる。
きっと道元禅師は、まったく我慢、無理などせずに、自然に暮らした結果、桶一杯の水で済んでしまうようになったのだと思います。
雲水が、その境地に至った時、永平寺の修行は「耐えるのを覚えた」という感想ではなく、
「たとえ東京の繁華街のど真ん中で住んでも、永平寺での暮らしをやっていると思いますよ」だと思います。戦国時代の「千利休」居士のように。
しかし、問題は「悟り」、そして西田幾多郎さんが言い換えた、「絶対経験」を得た後、それをどう世の中に活かしていくのか、その悟りの向こうにある悟りをどう得続けていくか、ということです。「悟り」はただの入り口に過ぎません。
そんなことをつらつら思いながら、果たして、耐えることを覚えてしまった雲水は、今どうしているんだろうと思うのでした。元気かなあ。
ではまた
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