(マラルメ) 言葉の一つ一つが花の雨となって降りそそぐ。つまさき立ちに立ちあがり、腕を半ば開いて、 それを受け、それに触れる。おお幸福、人間の手にそれが許されるとは。
精神に関する病としての狂気を脳の障害と定義したのはヴォルテールがはじめだったらしい。とはいえヴォルテールの関心は精神と物質の分離という哲学上の問題を解決することであって、精神の否定的形態として「狂気」を仮定し、その物資的基盤を脳の障害に求めることで「精神の物質性」を証明した。
排除は禁止であり、分割であり、そして真実への意志である。 #監獄の誕生 #フーコー
マルクス・アウレリウスのパレーシアを下書きとしてまとめてみたのですが考察にもう一度フーコーに戻ってマルクス・アウレリウスへの参照点を確認しようと思ったら、フーコー講義録「主体の解釈学」に大量の言及があるのを発見し、もう少しかかりそうです😢
漫画「僕の心のヤバいやつ」を読んでいます。中学生2人の初恋を描くものですが、2人が付き合いだすと肉体的な接触も描かれます。まだ純潔です。 その様子が、フーコーの紹介するローマ帝政期の小説、エティオピア物語などの描写と重なり、純潔の主題はキリスト教以前の2000年前と結びつきます。
狂気の歴史、第三部第一章を読み終えたところで力尽きる。ありがとうフーコー。大いなる歴史の場では声をもたない人々を、歴史の暗闇から救出する試みだと言うことはわかりました。また戻ってきます。