
「幸せ」という名の檻。ハッピークラシーと生権力の構造
「いつも笑顔でいなきゃ」「ポジティブ思考で乗り越えよう」「自分らしく輝こう」
SNSを開けば、自己啓発本を手に取れば、街の広告を見上げれば、そんなメッセージが溢れている現代。
「幸せ」であることが、まるで義務のように感じること、ありませんか?
最近、そんな「幸せ」への過剰な期待と、それがもたらす影響について考えさせられる本に出会いました。エドガー・カバナスとエヴァ・イルーズによる共著、『ハッピークラシー――「幸せ」願望に支配される日常』です。
「ハッピークラシー」とは、「ハッピー(Happy)」と「支配(-cracy)」を組み合わせた造語で、「幸せ」という価値観による支配を意味する言葉。この本では、現代社会における「幸せ」への過剰な期待や追求が、人々にどのような影響を与えているのかを深く掘り下げています。
自己啓発書やポジティブ心理学、SNSなんかを通して、「幸せ」が商品化され、人々は絶えず「幸せ」を求め続けるように仕向けられている、と。
「幸せ」になれないのは個人の努力不足であるとされ、社会的な問題から目を逸らさせる効果がある、とも。
読んでいて、なんだかモヤモヤするような、でも納得してしまうような、不思議な感覚になりました。
そんな中、ふと頭に浮かんだのが、ミシェル・フーコーの「生権力(biopower)」という概念でした。
フーコーといえば、難しい哲学者というイメージがあるかもしれませんが、彼の言っていることは、意外と現代社会を読み解く上で役に立つんです。
フーコーは、近代社会において、権力は個人の生命そのものにまで浸透し、管理するようになったと考えました。これが「生権力」。
例えば、健康診断とか、予防接種とか、人口調査とか、そういうのも生権力の一環と言えるかもしれません。
国家や社会が、人々の生命や健康を管理することで、社会全体を統制しようとする、というわけです。
この「生権力」の視点から「ハッピークラシー」を見てみると、面白いことが見えてきます。
「幸せ」という概念が、まさに生権力の道具として機能しているのではないか、と。
「幸せ」であることが良いことであり、追求すべき目標であるという規範が、社会全体に浸透していますよね。
メディアや広告、自己啓発本を通して、「幸せ」のイメージや方法論が大量に生産され、消費者に提供されます。
人々はこれらの情報に触れることで、「幸せ」とは何かという特定の考え方を内面化し、自ら「幸せ」を追求するようになります。
これって、まさに生権力が個人の内面にまで浸透し、行動を管理しようとする様相そのものじゃないですか?
「幸せ」になれないのは個人の努力不足だ、という考え方も、自己管理を強制する生権力の一環と言えるかもしれません。
人々は「幸せ」になるために、自己を監視し、管理し、改善し続けることを求められます。
なんだか、常に「幸せ」でいなければならない、というプレッシャーを感じてしまうのは、私だけでしょうか?
もちろん、「幸せ」を追求すること自体は悪いことではありません。
でも、「幸せ」という価値観に縛られ、常に「ポジティブ」であることを強要される社会は、なんだか息苦しいですよね。
この息苦しさは、単に「疲れる」とか「プレッシャーを感じる」といった言葉では言い表せない、もっと根深いもののように感じます。それは、まるで自分自身の感情を、社会の定めた「幸せ」という型に無理やり押し込められているような感覚です。
喜びや楽しみだけでなく、悲しみや怒り、不安といったネガティブな感情も、人間にとって自然なものです。それらは、私たちに大切なことを教えてくれたり、変化を促す力になったりします。しかし、「常にポジティブでいなければならない」という空気は、これらの感情を否定し、抑圧することを強います。
まるで、感情の多様性を奪われ、単一の価値観で塗りつぶされた世界に生きているかのようです。それは、色とりどりの花が咲いているはずの庭を、一種類の造花で埋め尽くしてしまうような、不自然さ、そして空虚さに似ています。
また、この「ポジティブ」の強要は、個人の内面だけでなく、人間関係にも歪みを生み出します。弱さを見せられず、悩みを打ち明けられず、常に「大丈夫」を装わなければならない関係は、表面的で薄っぺらいものになりがちです。心から信頼し、支え合える、深く豊かな人間関係を築くことが難しくなってしまうのです。
さらに、社会全体としても、この「ポジティブ」の強要は、問題の根本的な解決を阻害する可能性があります。ネガティブな感情、例えば社会に対する怒りや不満は、社会を変革していく原動力になることがあります。しかし、「ポジティブ」であることが至上命題とされる社会では、これらの感情は抑圧され、問題は先送りされてしまいます。まるで、病気の根本原因を治療せずに、痛み止めだけを飲み続けているような状態です。
「ハッピークラシー」と「生権力」という二つの概念を通して、現代社会における「幸せ」について、改めて考えてみるきっかけになれば嬉しいです。
この本は、現代社会における「幸せ」のあり方について、私たちに重要な問いを投げかけてくれます。読み終えた後、私たちの社会はハッピーに支配されていることに気づいて愕然とするはずです。ぜひ読んでみてください。