法政大学出版局◉別館

1948年設立の学術出版社・法政大学出版局の離れにあるらしい、公式な〈別館〉です。新刊や重版を中心に、本の情報があつまる場所にしていきます。本館のサイトは https://www.h-up.com/ です。えこぴょんも出版局の愛読者、かもしれません。

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最近の記事

『ハントケ・コレクション1』 訳者あとがき(元吉瑞枝)

『ハントケ・コレクション1』 訳者あとがき元吉瑞枝 『幸せではないが、もういい』  本作は、1972年に発表されたペーター・ハントケの初期の代表作の一つである。本作は、作者が作中でみずから書いているように、「多分二つとないような物語」の「多分ほかにはないような主人公としての私の母」(本書241頁)について語った作品である点で、ハントケの数多くの作品の中でも特異な作品である。そこからは、オーストリアの僻村で生まれ、時代や周囲の環境に振り回されながらも懸命に矜持をもって生き

    • 連載*バタイユとアナーキズム 第5回

      頭部への否定酒井健 1 三島事件  その日、帰宅して夕刊を手に取ると、第一面の左半分に大きく縦長の写真が掲載されていた。  逆光のモノクロ写真であるため、映像の細部の識別に少し時間を要したことを記憶している。  大きな窓から光の入る室内の光景で、乱雑な感じがして、どうしてそんな写真が第一面に掲載されるのか、理由が判然としなかった。  だがしばらく見ていると、人の頭部らしきものが床にある。それが同じ第一面右に大きな見出し字で示された三島由紀夫の頭部であることに気づくの

      • トニー・ウォルター著『近代世界における死』(堀江宗正訳)、「訳者あとがき」を公開します!

        《訳者あとがき》 最初の本という自負 本書序論の冒頭に「最初の本」というフレーズが出てくる。それを訳しながら、私は著者ウォルターの並々ならぬ自信と、この本の歴史的意義とを確信した。 「近代」という言葉を聞くと、多くの人は物質文明や都市文明、あるいはその中での人々のエネルギッシュな生活を思い浮かべるかもしれない。いずれも「死」とは縁遠いイメージだ。その近代が死という生物学的現象を形づくっているという視点、著者が専門とする「死の社会学」の視点に、読者は新鮮な驚きを覚えるのではな

        • 連載第8回 『ケアの贈与論』

          フロイトの介護論岩野卓司 幽霊の怖さ  昔、ある本で原爆と幽霊とではどちらが怖いかという話を、読んだことがある。核兵器は大量殺戮どころか、人類の破滅までもたらす可能性があり、考えてみると怖くなる。しかも、そのことについて科学的根拠もある。それに対して、幽霊は存在するのかどうかもわからない。その存在は科学的に証明されてはいない。しかし、正体がわからないから怖い、という意見もある。  幽霊を信じるのは、迷信だと言う人もいるだろう。しかしそうは言っても、やはり多くの人が幽霊を

          連載*バタイユとアナーキズム 第4回

          内的体験のアナーキーな次元酒井健 1 アナーキーをどう捉えるか  「アナーキズム」という言葉は日本語では通常「無政府主義」と訳される。主義になる以前は「アナーキー」であり「無政府」となるわけだが、本稿ではより根源的に「無原理」、つまり支配的な原理への否定と捉えている。  第1回の連載で触れたように、この「アナーキー」(anarchy)なる英語の語源はギリシア語の「アナルキーア」(ἀναρχία, anarkhia)にあり、これは元を正せば「欠如」つまり「〜がない」を意味

          連載*バタイユとアナーキズム 第4回

          高遠弘美『楽しみと日々──壺中天書架記』のまわりで

          プルーストのいる街角大野ロベルト  十代の終わり頃から、近代文学の作家たちの小説の端々や、澁澤龍彦などのエッセイの片隅にちらほら登場するマルセル・プルーストという名前と、それと必ず対になった『失われた時を求めて』という題名に、抑えがたい関心を抱くようになっていた。どうやら二十世紀からこちらの文学に、いや、芸術全般に決定的な影響を与えたらしい金字塔の片鱗が、愛読する書物のそこここで、眩しい光を放っては目を射るので、その正体を知りたくてうずうずしていたのである。  最後の後押

          高遠弘美『楽しみと日々──壺中天書架記』のまわりで

          連載第7回 『ケアの贈与論』

          ケアの両面性 岩野卓司  ケアとキュアの違いはご存じだろうか。    今の時代は、きちんと区別されている。ケアは介護をさし、キュアは患者を治す医療行為をさす。ただ、その語源を遡ると、両者の関係は曖昧になってくる。  ケアはゲルマン系の語であり、もともとは「心配」の意味であった。さらに遡ると、「悲しみ叫ぶ」の意味だそうだ。そこから、「悲しみ」の意味は「気がかり、不安」に変わり、「心配」の意味になっていった。  キュアのほうはラテン語のクラに由来し、もともと「注意、気遣い」

          連載第7回 『ケアの贈与論』

          連載*バタイユとアナーキズム 第3回

          ヨーロッパの二つのトポス酒井健 1 「すべては許されている」  19世紀後半、ヨーロッパではとくに二つの地域でアナーキズム運動が盛んだった。ロシアとスペインである。ともに近代産業の発展が著しく遅れていた地域だが、アナーキズムはそれぞれ様相を異にしていた。その違いをバタイユ、ニーチェ、そしてシェストフとともに捉えてみよう。  1922年2月、バタイユはパリの古文書学校を卒業すると、スペインへ旅立った。次席卒業の褒章としてスペインのマドリッドに留学が認められたのだ。出発まえ

          連載*バタイユとアナーキズム 第3回

          連載第6回 『ケアの贈与論』

          頼り頼られるはひとつのこと岩野卓司  最首悟は元全共闘の活動家であり、数多くの評論を執筆している。  東大の助手を長く勤めたあと、駿台予備校で教鞭をとり、最後は和光大学の教授になった。彼は生物学が専門であったが、安保闘争、東大安田講堂事件、三池争議、水俣病といった社会問題に積極的に取り組んでいった。近年では、相模原障がい者施設殺傷事件の犯人と往復書簡をかわしたことでも知られている。  この往復書簡が生まれた背景には、最首に障がい者の娘がおり、彼が妻とともにこの娘を長いあ

          連載第6回 『ケアの贈与論』

          ジュヴァンタン著『ダーウィンの隠された素顔』よりプロローグを公開!

          プロローグ──ダーウィン、この有名なのに未知の人   ディエゴ・リベラは芸術の歴史のなかで「壁面主義」の代表者として知られている。このメキシコの芸術運動は1930年代に、『ファシズムの過程』、『人類の行進』〔以上、シケイロス作〕、とりわけ『十字路の人物』〔リベラ作〕などの大フレスコ画によって民衆を教化していた。ネルソン・ロックフェラーが自分の大会社の建物〔ニューヨークのロックフェラー・センター〕に設置するために注文したこの巨大な絵画のなかで、リベラは産業時代の2つの主要イデ

          ジュヴァンタン著『ダーウィンの隠された素顔』よりプロローグを公開!

          新刊『〈ベル・エポック〉の真実の歴史』(ドミニク・カリファ著/寺本敬子訳)の「訳者あとがき」を公開します!

          訳者あとがき  2024年7月26日金曜日、19時30分、雨。最初は1900年、次いで1924年、そして100年ぶりにパリで3回目の夏季オリンピックの幕が上がる。史上初となるスタジアム外の開会式の舞台は、パリ中央を流れるセーヌ川だ。各国・地域の選手団を乗せた85隻の船は、東のオステルリッツ橋を出航し、西へ約6キロメートル先のイエナ橋を目指す。式典が開かれる終着地のトロカデロ広場の正面にはエッフェル塔が煌めいている。  このアスリート・パレードの航路に沿って、開会式の約4時間

          新刊『〈ベル・エポック〉の真実の歴史』(ドミニク・カリファ著/寺本敬子訳)の「訳者あとがき」を公開します!

          高橋和則著『エドマンド・バークの国制論』より「序文」を公開!

          序 文  エドマンド・バークはアイルランドで1729年に生まれ、イングランドで1797年に没した、18世紀イギリスの美学者、政治家、政治思想家である。本書はこのバークの政治思想の理解を試みる。  バークの政治思想と言っても、その他の思想家と同様に、あるいはそれ以上に多面的であることは疑い得ない。彼は美学者でもあるが、その点についてはおいておくとして、こと政治に限っても彼の思想を包括的に論ずることは容易ではない。  そのバークの思想を考える際に、これまでしばしば言及されて

          高橋和則著『エドマンド・バークの国制論』より「序文」を公開!

          連載*バタイユとアナーキズム 第2回

          現代のアナーキズムからアナーキーな中世へ酒井健 1 絶滅政策は狂気か  前回の冒頭で私は『ニーチェについて』(1945)の序文を引用してアナーキズムに対するバタイユの批判を紹介した。国家にしろ、個人にしろ、独善的な発想に導かれて一方的に他者の生を侵害する態度を彼はアナーキズムとして非難していた。このときバタイユの念頭にあったのはナチスの秘密警察(ゲシュタポ)の所業である。このゲシュタポのターゲットは対独抵抗運動(レジスタンス)に与するフランス人はもちろんのこと、もっと広く

          連載*バタイユとアナーキズム 第2回

          『詩の畝』のこと (髙山花子)

           こんにちは。このたび刊行される『詩の畝──フィリップ・ベックを読みながら』は、ジャック・ランシエール(1940- )の読者にとっても、そうではないひとにとっても、一見すると「?」が生まれる本だと思います。  「詩の畝ってなに?」とか「フィリップ・ベックって誰?」とか、「ランシエールってあのランシエール? そんな本を書いていた?」とか、あまりタイトルから浮かぶものは、日本語読者にはないのではないか。なので、ここでは、訳者として、すこし補足説明をします。  原題は、Le s

          『詩の畝』のこと (髙山花子)

          連載第5回 『ケアの贈与論』

          贈与の秘密岩野卓司  平川克美という文筆家がいる。  文筆家という肩書があてはまるかどうかはわからない。彼は、翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを設立したり、リナックス・カフェを設立したりした、立派な実業家でもあるからだ。シリコンバレーのBusiness Cafe Inc.の設立にも参加した経験もあるそうである。それとともに、経済や社会についていくつもの著作を世に問い続けている。  そういった著作のかたわらで、彼は介護についての本も書いている。 「俺」の手

          連載第5回 『ケアの贈与論』

          《自動化時代の新しい経済モデルとは?──人新世のオルタナティブをめぐって》 李舜志著 『ベルナール・スティグレールの哲学』 に関連するインタビューを公開します!

          《自動化時代の新しい経済モデルとは? ──人新世のオルタナティブをめぐって》  拙著『ベルナール・スティグレールの哲学 人新世の技術論』では、フランスの哲学者ベルナール・スティグレール(1952–2020)が、デリダやハイデガー、フッサール、シモンドンといった哲学者のテクストを批判的に読み解きながら、自らの哲学を発展させていく過程を解説した。  さらにスティグレールの理論は、哲学史を再解釈するだけでなく、現代の資本主義や人新世の危機を乗り越えるための社会実験へとつながってい

          《自動化時代の新しい経済モデルとは?──人新世のオルタナティブをめぐって》 李舜志著 『ベルナール・スティグレールの哲学』 に関連するインタビューを公開します!