Renta@人間を突き動かす力について考える人
古代~近代のマレーシアの歴史についてのマガジンです。 また、マレーシア関係の時事問題についての記事も追加していく予定です
国際秩序のモデルを使って、近現代史を説明しています 使っているテキストは細谷雄一著「国際秩序」です
久しぶりの投稿となりました。また読みに来ていただいてありがとうございます! ノッティンガム大学マレーシアの卒業迫っており、卒論で忙しく投稿が出来ておりませんでした(提出はできたので後は受かるかどうか)。 この間でnoteの方針の変更について思案しましたのでぜひ読んでいただけたらなと思います。 結論から言ってしまうと、このnoteのトピックを国際関係論から哲学の方に移していきます。その背景として、神戸大学大学院国際文化学研究科モダニティ論コースにて修士課程に入るつもりだか
シュミットはこれまたナチスドイツ時代の政治学者です。しかし、アーレントやアドルノ&ホルクハイマーとは対照的にナチスに加担した時期があります。 なぜシュミットを取り上げるかと言えば、近代的な思考の一部分を研ぎ澄ました思考によって近代の問題点を浮き彫りにしているからです。シュミットの思想的課題は政治の特異性と欧州にとっての理想の国際秩序を秋からにすることでした。 『政治神学』 前期シュミットは政治の特異性の問題に取り組みます。 『政治神学』という著書において、「例外状況」に
アーレントの思想的課題は20世紀の惨劇を生んだ全体主義の原因は何か?どうすれば防げるのか?というものです。 アドルノ&ホルクハイマーと似たような問題意識ですね。アドルノ&ホルクハイマーは精神分析を活用した社会哲学によってこの問題を考察しましたが、アーレントは歴史研究や政治学の視点から取り組みました。 今回取り上げるのは『全体主義の起源』、『人間の条件』、『革命について』です。 『全体主義の起源』『全体主義の起源』はタイトルそのままドイツの全体主義がなぜ発生したのか歴史的
フーコーはフランス現代思想の構造主義~ポスト構造主義の主要な思想家だとされています。構造主義~ポスト構造主義という思想の変遷が示す通り、フーコーは著作ごとにテーマが定められています。 フーコーの著作群を一貫して眺めると、社会の複雑性を縮減する「権力」の把握とその難点を克服することが思想的課題にあると分かります。ハーバーマスと同じく、フーコーは権力を問題視し、それに対してどのように生きるべきか考えた思想家です。 フーコーの主著は『狂気の歴史』、『言葉と物』、『監獄の誕生』
今回取り上げるのはジョン・ロールズです。ジョン・ロールズはa theory of justiceという大著を書き上げ、現代正義論の隆盛に貢献しました。ロールズとその学派だけではなく、ロールズに対抗する学派誕生のきっかけにもなった点が偉大だと言えます。ハーバード白熱教室で有名なマイケル・サンデルはロールズに対抗して自らの正義論を提唱することでアカデミア界で名を揚げました。 ロールズの思想的課題は、先進諸国の資本主義が着実に強化し拡張させた、社会民主主義的な基本政策(福祉国家)
フランクフルト学派第二世代の重鎮であるユルゲン・ハーバマスです。 第一世代の多数がユダヤ人ですが、ハーバマスはドイツ人です。ハーバマスの課題意識はロールズと同じく社会民主主義的な基本政策の思想的正当化と戦後民主主義・資本主義の問題点の指摘です。ただし、ロールズが正義という社会構想に向かったのに対して、ハーバマスは人間が集まる場やコミュニケーションに着目しています。 ハーバマスは多作家ですが、『公共性の公共転換』と『コミュニケーション的行為の理論』が主著だと言えます。 『
今回はフランクフルト学派の1人であるウォルター・ベンヤミンについてです。 ベンヤミンには多種多様な著作があるので、自分の研究に関連がありそうな「暴力批判論」という論文を取り上げます。 この論文における課題は、宗教戦争における聖戦論のように「目的は手段を正当化する」ならば、暴力の正当性は目的の正当性に回収され、目的が正義ならば過程でどんな残虐なことをしてもいい様に考えられてしまう。目的を上位に置いた考えをいったん置いて、手段としての暴力そのものの原理を解明できないか?という
イントロダクション今回はアドルノ&ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』についてです。 テオドール・アドルノとマックス・ホルクハイマーはともにユダヤ人で、1920年代に開設されたフランクフルト大学において設立された研究所で社会理論に関する研究を行いました。 この研究所のメンバーはフランクフルト学派と呼ばれており、カール・マルクスの著作の柔軟な解釈とフロイト精神分析の応用が特徴です。 1930年代、ナチス政権によってユダヤ人への圧力が強まったので二人はアメリカに亡命し、カリフォルニア
ついに20世紀の思想家の回になりました。今回はマックス・ウェーバーです。 ウェーバーは「リベラルなナショナリスト」と評されています。彼の課題は祖国ドイツが抱える道徳的・政治的諸問題を近代西欧総体の問題の一部として普遍的な視野から捉え直すことでした。 具体的には、人間の疎外(本来持っている力が外的に抑えられていること)を自らの思想的課題にしています。ウェーバーは疎外を経済から論じたマルクスやキリスト教を批判したニーチェに影響を受けていました。 主知主義的合理化ウェーバー
この記事はPLEVAILというアイドルのPlumという曲の歌詞を解釈する番外編です。 特に「スターライトという曲の後にPlumが発表されることで生じる意味」を考えるためにPlumの解釈を行います。 なお、記事中に出てくる引用はすべてPlumの歌詞です。 スターライトはリリースのタイミング、曲調、ライブでの扱われ方などを見るにPLEVAILというチャプターの1つのクライマックスだと思います。作詞がリーダーあをいさんであることもそれに拍車をかけているように見えます。 私はスタ
彼は以前の投稿で紹介した哲学的急進主義の1人であるジェームズ・ミル(父ミル)の息子です。 当然ミルは哲学的急進主義の影響を受けますが、彼の課題はその批判的継承でした。 父ミルの主張は社会の快楽の増大であり、そのためには普通選挙権を認めて民衆の利害を政治に反映すべきだというものでしたが、女性の参政権には否定的でした。 ミルはここに反対し、複数の著作を通じて自らの功利主義体系を築きます。 1.人間性の真実により深く迫った功利主義哲学の確立 2.私有財産を自明の前提とし
マルクスの思想的課題は、人間疎外の状況からどのように人間に力を取り戻すか、ということです。疎外とは人間が世界の主人公ではない状態です。ただし、その疎外は元々人間が作ったものによって起こったというのがポイントです。 マルクスのスタート地点はキリスト教でした。 マルクスからすれば、キリスト教は種々の教えによって本来は人間のものである愛や自由や理性を人間から奪い、神の占有物としてしまっています。元々の神の占有物を被造物である人間に分け与えている状況です。 しかし、これはマル
さてカントの次はヘーゲルです(いやほんとはフィヒテとかシュエリングとか挟まってはいますが…) ヘーゲルの課題は実は哲学的急進主義と似ています。二重革命(フランス革命と産業革命)にどのように対処するかということです。 ただし、ヘーゲルは産業革命の中心で経済が発展しつつあるイギリスと思想の急進性とアンシャンレジームの反動から革命が起きたフランスとは違うところに住んでいました。それがプロイセンです。プロイセンは現在のドイツ北西部で近代化を象徴する英仏のムーブメントから地理的に
カントは18世紀末~19世紀初頭に活躍した哲学者で、「カント以前のすべての哲学はカントに流れ込み、カント以後のすべての哲学はカントから流れ出た」と言われています。 そもそもカントの思想的課題は当時の欧州哲学の二大潮流だったイギリス経験論と大陸合理論の統合でしたし、カント以後の哲学者はカントの批判帝継承という形で論じている人が多いです。 特に大きいカントの功績としては、 1.私たちの認識の構造を探究したこと→「理論理性批判」 2.自由意志と道徳の関係を探究したこと→「実
イントロダクション今回は哲学的急進主義と呼ばれる潮流もしくはグループです。哲学的急進主義とは19世紀前半に英国で活躍した哲学者のグループを指します。メンバーはベンサム、ジェームズ・ミル(息子のJ.S.ミルも今度取り上げるので父ミルと呼びます)、リカードの3人です。 彼らの思想的課題は、英国で起きていた産業革命とフランスで起きていたフランス革命にどのように適応するか、ということでした。ですので、彼らは英国の政策や経済という次元で思考しています。 彼らがなぜ哲学的「急進主義
アダム・スミスは、18世紀のイギリスこ哲学者・経済学者であり、「経済学の父」と呼ばれています。 彼の思想は、先行する思想家たちが非社会的な社交性によって社会が成立するという見方に疑問を呈しました。非社会的な社交性とは、人間は他人を嫌うもので争ってしまうが、争いという相互作用の結果意図せざる結果として社会が登場する、という考え方です。これに対して、スミスは人間は本来的に社交的な側面をもっており、社会の発生や文明の発展はそれによって支えられているという立場を取りました。スミスの