【読書感想文】千葉雅也「現代思想入門」
こんばんは!
エッセイと感想文を脱構築!小栗義樹です!
本日は読書感想文を書かせて頂きます。僕が読んだ本、好きな本を題材に自由に感想文を書く試みです。この感想文がきっかけとなって、題材にした本に興味を持ってもらえたら嬉しいなと思っています。
本日の題材はコチラ
千葉雅也「現代思想入門」
です。
哲学者であり小説化であり大学の准教授でもある千葉雅也さんが書いた1960年代~90年代に主にフランスで展開となった現代思想の入門書です。主に現代思想の発展に貢献した3人の思想家を紹介し、彼らがどのような仕事(この場合は世界の捉え方やその思考法の構築とでも呼べばいいのでしょうか)をしたのかを分かりやすく解説してくれる本となっています。
その3人とは、思想家の間では有名なデリダ・ドゥルーズ・フーコーです。この本を読む前の僕は名前しか知りませんでした。それもつい最近その名前を知った程度です。
そもそも僕がこの本を読もうと思った背景には、以前この読書感想文の中で題材にした「ゲンロン0-観光客の哲学‐」が大きく絡んでいます。今まで読んだことのない思想書と呼ばれるジャンルなのですが、書いてあることの大筋を理解するだけではあんまり満足いかなかったというのが本音です。
というのも、思想書には過去の哲学者が構築した理論が沢山引用されるのですが、これがボヤっとした理解できませんでした。実際に使用された過去の理論には、その引用元と簡単な解説が明記されているため、内容が全く分からないということはありませんでしたが、読んでいるうちにこういう論理を勉強してみるのも面白いのかもしれないと思うようになったわけです。
まさかこんなところで新たな興味を持つことになるとは思いませんでしたが、興味を持った以上は足を踏み入れてみようと思いました。
で、どこから入っていこうかと悩んでいた時に見つけたのがこの本でした。現代の多くの日本哲学者が影響をうけたと公言している現代思想を、その影響を受けた哲学者の1人である千葉雅也さんが解説するということで、これは絶対に面白いだろうと思いました。
読むのに1週間近くかかりましたが、なるほどと思う内容が沢山書いてあって、すごく濃密な読書体験をさせてもらえたなと思っています。
芸事や物語などを作ったり考えたりする人におすすめの1冊だなという印象です。人間を魅せるという行為を経由する必要がある創作物や表現は、そもそも人間のあらゆる側面をどのように捉えるかがポイントになってくると思います。となると、哲学は避けて通ることが出来ない学問だなと思っていて、そこに対する理解がある作品は非常に印象に残りやすいです。
この本の内容は実際に読んでみてほしいです。なので内容には触れず、本の構成だけを簡単にご紹介します。この本では、先ほどご紹介した3名の哲学者の主な仕事とその仕事に影響を与えた現代思想時代よりも前の哲学者が紹介されます。これだけ聞くと、ただ近年の哲学の歴史を教えてくれるだけの本だと思われるかもしれませんが、そうではありません。この本の面白いところは、視点はいつでも現代思想代表の3名「デリダ・ドゥルーズ・フーコーの仕事」にあるという部分です。後に紹介される現代思想時代以前の哲学者については、前章で紹介されたデリダ・ドゥルーズ・フーコーの理論を補足するような形で紹介されます。
この本は、読み終わるまでに何回もデリダ・ドゥルーズ・フーコーの3名が構築した代表的な論理を反復することになるため、否が応でも彼らの考え方の基礎が頭に叩き込まれるようになります。
1つ1つの理論はあくまで参考程度の簡単な触りだけなので、途中で胃もたれを起こすようなこともありません。より深い理論や考え方を知りたい場合の参考図書も沢山明記されているので、その先の展開にも困らないような仕掛けになっています。
読んでいて特に印象に残ったのは「人間のOS」を作るという言葉です。哲学とはどういう学問なのか?という問いに対する1つの答え方だと思います。この人間のOSという言葉をイメージすることが出来ると、この本を理解するのがやや簡単になるなと思っています。
社会や生活環境などの変化によって人の価値観が変わるとして、人はその時どのようなOS(ザックリいえば答えの出し方)を搭載している必要があるのか?を言葉にするのが哲学者の仕事である。
僕はこの本を読んでそんな解釈を持ちました。
そして、現代思想におけるOSとは「脱構築」というわけです。
僕は読みながら、明治時代から大正時代に時代が移った時の事を考えました。この時代の移り変わりにおける大きな変化の1つが「全体主義から個人主義に変わったこと」だと思います。
夏目漱石の小説と芥川龍之介の小説の違いみたいなものです。
芥川龍之介の小説は脱構築で読むべきだと思うし、夏目漱石の小説は構造主義が顕著です。
このイメージがつながった時、現代思想って面白いなと思いました。ずっと名前だけ知っていた「ポスト構造主義」や「ポストモダン」の意味がなんとなく分かったような気がしました。
日本でいえば昭和時代(戦前)に一度構造主義に戻りますよね。しかしその後は、ポスト構造主義が加速し、今ではもう脱構築という考え方では追いつけないほどOSが多様化していると思います。
そんな風に考えると、今後は1人1人が自分だけのOSを持たないといけなくなるのかなとも思ったし、あるいは構造主義的な時代に戻る可能性もあるのかなと思いました。
思想書を断片的に読み始めた僕は、ベースを理解していません。だからこそ、ゲンロン0を読んだときには何の目的でこの本が書かれていて、どんな影響を読み手に与えてくれるのかがぼんやりとしていたようの思います。
だからこそ、現代思想入門という分かりやすい本が思想書読書の2冊目にたまたま引っかかって良かったなと思います。恐らくですが、ゲンロン0から特定の哲学者の入門書に流れていたら、全体を漠然と捉える事さえできなかったように思います。
ここまで読んで頂いた通り、思想書は文学や芸能などを理解するうえで持っておいた方がいい学問です。きっとこれは執筆するうえでも役に立つことでしょう。
もしも、文学や芸能に興味があるという方がいらっしゃれば、一度現代思想入門に触れてみてほしいなと思います。経由するかしないかで、芸術的なものへの触れ方に大きな変化が表れると思っています。
というわけで、本日はこの辺で失礼いたします。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
また明日の記事でお会いしましょう!