涙でつくられた身体ーーあるいは、荒川修作の身体論は、いかに、存在論と形而上学から批判されるべきか。そのあまりにも、「現代的(現代アート)な誤り」について――
エドワード・オールビーの戯曲『三人の大柄な女』(一九九四年)の冒頭で、一人の老女が泣きはじめる。…泣きやむと、身の回りを世話する女性が入ってきて、ぽんぽんと机を叩き、通りいっぺんの月並みな文句をならべる。「さ、これですっきりなさったでしょう。よく泣いたら、気が晴れるものなんです。」老女はすかさず言い返す。「じゃあまずく泣いたらどうなの。」——トム・ルッツ
出来事とは何これまで生きてきた生存の語法を学ぶこと。自分の生を、自分のためではなく生のために生きること。生がわれわれに与えてくれたものを、生に返さなければならないかのようである。つまり、生を創造すること、われわれを創造したその生を。——ジョー・ブスケ
人は死なない——荒川修作
信じていたのだ、視力を失ったからといって、人間は目を失うわけではないと。それどころか、人間は、そのとき、初めて目を思考し始める。任意の動物の目ではない、彼自身の目を。見ることと泣くことの間に、彼は差異を垣間見る。そしてその差異を、記憶に保持する。そしてそれが涙のヴェールなのだ、ついに、それも「同じ目」で、涙が見るにいたるまで。
——見る涙……。あなたは信じているのか?
——わからない。信じなくてはならないのだ。——ジャック・デリダ
出来事とは何かが決定的に変化してしまうことである。その変化が起こってしまえば、もう二度ともとには戻ることができないのだ。人生において、すべての人に与えられる出来事が誕生と死であろう。ただし、問題なのは誰もこの二つの出来事を経験することができないということである。なぜなら、誕生によって生が初まるのだから、生の初めそのものを経験することはどうしてもできない。さらに、死によってまさにその生が途切れ、その瞬間においてはすでに死んでいるのだから、死そのものも経験することもできない。生と死の出来事は《私》のものではなく、自分では経験することもできず、《私》とは無関係に到来してしまうのだ。それならば、他人の生と死の出来事を到来させることができるだろうか。《私》によって、他人を誕生させて、他人を死に至らせることができるだろうか。答えとしては、間接的にはできると言えるだろう。たとえば、子供をつくること、あるいは、バイオテクノロジーを駆使して、以前であれば誕生できない子供の出生を助けること。「助ける」といったように、《私》にはほんの最初の物理的な引き金を引くことや、出生に至るまでの手助けができるだけである。子供の生命に、出生までにおのれをかたちづくっていくだけの潜勢的な力がないと、そもそも誕生することはできないのだ。死についても同じことで、他人の生がそもそもあって、そこに潜勢的な死ぬという能力がないと死は起こらないのである。《私》には、自分の生と死の出来事を経験することも、他人の生と死の出来事を直接的に到来させる能力もないのである。
——自分と他人に死と生を経験可能にすること、不可能だった経験を可能にすること、出来事そのものを作品によってもたらすこと……かつて、この問題に挑んだ三人の芸術家がいた、それはジョー・ブスケと荒川修作&マドリン・ギンスである。
出来事を愛すること——これは人間の特権である。なぜならば、人間は生命の物理的な誕生である受精を喜ばずに、出産という子宮から出たその瞬間こそを喜ぶからである。「誕生日」というが、物理的に誕生したのは受精のときであって、出産のときではないのだが、世界中の誰もがHappy Birthdayとして死ぬまで毎年その瞬間が繰り返されるのを喜ぶのである。出産のときにも、母親の胎内で生きていたのが外に出て、個人として生きていくのだから多少の変化は起こっている。それでも、これまで存在しなかったものが、この世界に誕生することになったのだから受精の瞬間こそがはるかに「誕生日」であろう。物理的、肉体的にはそれほど変化していないのに、それを決定的な変化として喜ぶ……人間ほど出来事を愛することに恵まれた生物はいないだろう。出産の瞬間には肉体的な変化は起こっていないのだが、人間はなぜかそれを奇跡の瞬間として認識する…それならば、出来事とは肉体的な変化ではなく、その表面上で決定的な変化が起こったと認識されるものであろう。その人の肉体自体は変化していないが、その身体のありかたは二度と戻れないほど変化してしまったのである。似たことは、性の初体験にもいえるだろう。そもそも、なぜその「初」であることにこだわるのだろうか。基本的には、性交渉は凹と凸のものが擦れあっているだけであり、凹凸自体に何か変化が生じてしまうわけではない。それなのに、人はその体験をしたことあるかどうかを異様に気にするのだ。これもまた、身体の表面上での変化なのだが、二度と元に戻れないものと認識されている。
ここまで言うと、どのような反論があるのかは予想できる。しかしながら、言わせてもらえば、「あなたたちはそれほどまでに何かを隠している、覆いを剥ぐことがすべてだと思っているのですか?」つまり、子供はいつもなら見えない肉体の子宮からついに出てきて、初の性交渉においては見えなかった処女膜から出血があるかもしれない。たしかに、それは奥深く、神秘的であり、肉体に生じた変化かもしれない。隠れていたものが見えるようになること、それが真実であり、真理であり、本質であり、そして、一生を賭けて探しもとめるものなのだろう。さらに、真理は隠れているので、ついには肉体においては発見することができず、その先の、魂だの、霊魂だの、永遠だの、神だの、仏だの、八百万神だの…を、見えないことがその奥深さの証明だとして真理とするのだろう。そうなると誰もがプラトニズムの虜であるということになる(「肉体は魂の墓であり、いつも見ているものは本質の影である」)。真理——それは「覆いを剥ぐこと」、dis-cover、ent-decken、dé-couvertであり、びっくり箱のようにちょっとでも開いて、(見えなくても)何かがかいま見えればそれだけで真理となるのだ。覆い(cover)…つまり、表面は人類がもっとも嫌ってきたものの一つであり、真理を隠すものとして、徹底的に排除されてきたのだ。それならば、表面はなぜそれほどまでに嫌われてきたのだろうか。それは、表面こそが真理が一番嫌う変化を、それも二度と戻れない出来事という決定的な変化をもたらす、その入り口につながるからである。人間には二面性があり、真理を好み普遍(不変)を求める傾向と、変化を求め、さらには、その普遍すらも出来事によって打ち壊そうとする傾向である。
「人間においてもっとも深いもの、それは皮膚である」とポール・ヴァレリーは述べたが、それは身体の表面上こそが決定的な変化が生じる場所…出来事の場所だからである。たとえば、銀行強盗があったとしよう。銀行強盗がする他人への暴力行為は、物理的な変化を他人の肉体にもたらすであろう。しかしながら、強盗という犯罪をおこなった瞬間に、行為をした人の身体は法治国家においては、市民の身体から犯人の身体へと変わるのである。その瞬間から、その身体は誰もが敵視して探し求める別の身体へと変化するのだ。その変化は物理的、肉体的なものではないが、もう二度と戻れないものである。(この「犯人」という表現は不適切なのだが、起訴されたら99.9%の確率で有罪となる日本では、事件報道をメディアが報じたその段階で、報道されたその名前を所有する人は偏見という社会的制裁の身体的変化を勝手に被ることになる。)さらに、警察が容疑者を確定するために、候補者を一列に並べて目撃者たちに確認させるとする。そこでもし、被害にあった行員たちが間違えてしまい、犯人じゃない赤の他人を指して、「間違いありません、この人が犯人です。私たち見ました。」と言ってしまったらどうなるであろうか。その瞬間にその赤の他人の身体は、容疑者の身体へと変化してしまうのだ。この誤った目撃者証言は赤の他人にもなぜか作用して、その人の身体を取り返しがつかないほどに変化させてしまう。そして、その証言を頼りにして、検察は容疑者の身体を被告人の身体へと変化させるだろう。そして、最後に裁判官の一言がすべてを変えてしまう…「被告を〇〇の刑に処する。」…被告人の身体は受刑者の身体へとたった一言で変わり、その身体は厳重に監視され取り扱われることになるのだ。市民から、犯人、容疑者、被告人、受刑者、そして、その後も元犯罪者(前科者)へと身体は変化していく。
身体の表面上に生じる出来事の変化がどれほど暴力的なものか。これは悪い例であるが、身体の表面が新たな身体を生成させて変化させ続けていくことができること、決定的な変化という出来事を生みだす潜勢力を宿していることを現わしている。こうした暴力的な身体の変化は良いことであっても起こるのであり、他人を助けて消防署や警察署に表彰を受ける、大会で優勝して金メダルを受賞する、地道なボランティア活動がメディアをつうじて紹介される…などであっても、他人からのその人の身体への見かた、身体の扱いかたは変化するであろう。悪いことでも良いことでも、条件が整えば身体の表面には出来事が生じて決定的な変化が起こるのだ。現代人が、(さまざまな賞を無理矢理に作っていくほど)賞というものが好きなのは、それを受賞すると身体の扱いが変わり、《私》が生き延びていくためには役立つからである。物理的、肉体的には変化していないのに、身体は暴力的に一気に変化させられてしまう。いままで苦労してきたのに、まるで、別の身体へと生まれ変わったかのようだ。出来事はこれまでの身体を殺し、新たな身体を誕生させることができるのだ。ただし、これらはあくまで《私》が利己的に生き延びるための出来事にすぎない。
ジョー・ブスケと荒川修作&マドリン・ギンスは、出来事によって新たな身体を誕生させること、新しく生まれ変わるための方法を探究した。ジョー・ブスケはフランスの詩人であり、第一次世界大戦に従軍したが、銃弾を肉体に受けてしまい脊髄を損傷し、その後は死ぬまで下半身不随であった。荒川修作は1939年生まれであり、3 歳から 9 歳までの少年時代を戦争のなかで生き、多くの人がただ死んでいくのを見た。ブスケの場合、通常ならば肉体が元に戻ることを夢見るか、傷を受けなかった可能世界を求めるか、ただ運命だったとして傷を受けいれて生きていくかである。しかしながら、彼は自分の運命は受けいれるが、現在の肉体のありかたが必然だとは考えないのであり、むしろ、運命を逆用して新たな身体を創造しようとする。彼の肉体は傷を受けることによって物理的な[physique]変化をしてしまったのだが、彼が望むのは自分の傷だけではなく、いままで死んでいった、そして、これから死んでいくであろう人間すべてが受けることになる「傷」、それを受けいれることのできる身体である。それは、出来事を実際に経験できる肉体ではなくて、超越論的な思考によってのみ生じてくる「形而上学的な[métaphysiquement]」表面をもつ身体である。つまり、出来事には二種類あるのであり、⑴肉体で物理的に経験できるもの、あるいは、物理的・肉体的には変化していないが、他人からはこれまでとまったく異なった身体として認識させる変化をもたらすもの。⑵あらゆる人に共通の変化を自分のためではなく、あらゆる他者のために生じさせるもの。ブスケが求めているのは、もちろん後者である。それは、誰も所有も利用もできない純粋な「出来事[événement]」であり、あらゆる他者の身体へと生成するための変化をもたらす。「出来事」が自分だけのものだとするのは、自分だけ誕生日プレゼントを求めて、他人にはそれを贈らないようなものだ。あるいは、自分が生まれてきたことだけを喜んで、他人が生まれてきたことを喜べないようなものである。ブスケにとっては傷が決定的な変化、つまり、出来事をもたらしてしまった。しかしながら、彼はそれを利用してあたかも身体にその出来事に対する裏地を張るように、他者のために出来事そのものを引き寄せる身振りを探求する[i]。それができるならば、そんな永遠的身体の誕生は自分だけのものではく、あらゆる他者へと贈与された永遠の身体となるだろう。その純粋贈与の身体こそが、彼が生涯を賭けた「営み=作品[œuvre]」である。
それに比べると、荒川修作はかなり特殊なアーティストである。というのも、たいていのアーティストは作品で語るのであって、直観的に制作された作品は素晴らしいが、自分の口で語るとその内容がお粗末なことが多い。しかしながら、荒川修作&マドリン・ギンスの場合は、ブスケのように思考を詩によって直観的に展開するのではなく、あくまでまずは理論として展開させて、それを作品として表現することになる。なにが問題かというと、「三鷹天命反転住宅」や「養老天命反転地」はその思考を作品によって十全に表現できているかというと、完全にそうとは言い難いのだ。その作品は体験型となっており、身体の均衡を崩させることで、新たな身体のありかたを経験させるのだが、それはメルロ=ポンティ的な「身体図式(超越論的に働く身体)」になっている。私たちは無数の身体図式を肉体のなかに潜ませており、箸をもつ、自転車に乗る、ギターを弾く、泳ぐ、キーボードを打つ…などあらゆる日常の行為において、意図せずとも図式がすでに超越論的に働いて行為を可能にする。たしかに、身体図式は状況におうじて、壊れて、訓練によって、新たに獲得することができる。それは《私》が知性的に考えるよりも先に、そのつどの世界に対して生きられている「匿名の自我」であり、それが生成消滅していくのだから、何度でも死んで、何度でも生き返ることになる。また、世界においては自分だけが、人間だけが正しい知覚をもっているわけではない。人によって五感のありかたは異なるし、それぞれの種によっても五感やそれを超えた感覚のありかたは異なるのだ。また知覚も人間が一方的につくるのではなく、たとえば、何かに触れることによって可能になるのであり、触れられた対象の助けがないとそもそも成立しない(アフォーダンス理論など)。そこには、触れる-触れられる、見る―見られるなどの可逆性があるのだ。私たちは自分たちの肉体で知覚をつくりだしているが、それは世界にある知覚のほんの一部でしかない。それ以外の知覚は、他のさまざまな種や無機物などが共働することによって生まれている。メルロ=ポンティは、この世界全体の知覚を「肉[chair]」と呼び、それぞれの種や対象物はそこから、自分たちの知覚を引きだしていると考えたのだ。
荒川修作の「人は死なない」…この場合、世界全体の知覚である「肉」はあらかじめ存在しており、そこに亡くなった過去の人々の知覚も残されていることになる。たとえば、道具を使うことによる知覚は、その道具を生みだすのにも、多くの過去の人々の知覚がかかわったのであり、そこには試行錯誤や修正発展のための無数の知覚があったのだ。ただの道具にも、「自分が道具を使う—道具の助けを借りる」という知覚の可逆性だけではなく、「自分が現在において道具を使う—無数の過去の人々の試行錯誤の知覚が道具を可能にする」という過去と現在にかかわる可逆性もある。その可逆性は、自分が道具を使うときに、死んでいった過去の人々の知覚の助けを借りて、その道具を使うという知覚が生まれる。あるいは、自分がその道具を使うことによって、そこに眠っていた亡くなった人々の知覚もまた引きだされるのだ。「身体図式」にしても、親、先生、師匠などから教育されて、その図式をバトンタッチしていき、自分も次につなげていく(もちろん、図式の修正もあるが、修正できるのはやはり過去の図式を参考にすることによってである)。何か道具を用いた身体図式にして、道具があるから成り立つのであり、過去の無数の身体図式がその道具を生みだしたのだ。過去の人は死なずに、「肉」のなかに知覚と図式という、その身体が入れ子状やフラクタル状に残されているのだ。ロマンティックなイメージであるが、「肉」には神学的な意味も含められていることに注意しなければならない。また、そこにはどこかでそれを《私》が所有したい、あるいは、《私》もそこに永遠に残りたいという自己愛がある。ミシェル・フーコーは出来事の哲学を「非物体的唯物論[iii]」、物体とその表面上での出来事の効果からすべてを思考することと定義したが、それはまさにただそこで生じたことだけを分析する思考であり、科学さえも自分たちの視点に還元してそこから逃げるほどである。少なくとも、荒川修作&マドリン・ギンスの作品には、そのような「非物体的唯物論」の厳格さはなく、《私》が強く残されている。「身体図式」と「肉」か、あるいは、「非物体的唯物論」か。二人の作品は、そのあいだを揺れているように思われる。多くの人を引きつける要因になっているのは前者であるが、本当にそれでいいのだろうか。
そして、あまりにも「キャッチ―」で「天才ぶりっこ」な荒川修作の言動もまた、あまりにも「現代的」だ。そろそろ、本格的にその功罪を見直す必要があるのではないか。[ちなみに、そのフォロワーのペンギンなんとかについては、循環論法による文系と理系の双方を侮辱した、思想を捻じ曲げたから計算機を回せるのは当たり前なのに、あたかも精密な科学ぶる詐欺である。]解説者たちの、「形而上学」と「存在論」をなかったことにする、身体論と記号論について考えたことないのに絶賛する振る舞いは、「キャッチ―」「天才ぶりっこ」が「現代的である」ことの証明にしかなっていない。あれだけ、大規模な経験型(実は再認識さけるだけなのだが)「作品」を作っておきながら、どこまでも《私》の自己愛に閉じこもっているのはなぜなのか?結局のところ、哲学や思想について語っているようにみせて、誰でもいえることをダメージを回避して言っているにすぎない。そして、後はどこに科学があるのか?だが、理系と文系の狭間を名乗る分野の怪しさはそれ以上である。
たとえば、さきほどの赤の他人は獄中で涙を流すだろう。無実の罪で投獄され傷つき、誇りをもっていた自己などすでに死んでいて肉体だけが残ってしまった…「生まれてこなければよかった」「死にたい」「自殺したい」と思うだろう…。彼が真犯人と間違えらえてしまったのは、たとえば、背格好や顔、そして、たまたまその日に着ていた服が似ていたからであった。つまり、自分の意図しないところで、間違えられる条件が整っていたからであり、だからこそ無関係なはずの「間違いありません、この人が犯人です。私たち見ました。」という一言が、自分の身体に出来事を引き寄せてしまったのだ。それならば、自分から条件を整えることで、身体の表面に別の出来事を引き寄せることもできるのではないか。彼は運命を受けいれて、《私》などすでに死んでいるのだから、他者のために闘うことを決意する。もう、二度と自分と同じように冤罪で投獄され、自分と同じ涙や傷を経験する人があらわれないように。彼はさまざまな人と協力することで、メディア報道のおかしさ、法制度の不備、警察の捜査方法の問題、検察の取り調べの強引さ、検察と裁判官の(ある種の)癒着関係(起訴された99.9%が有罪?)などを指摘する。そして、ついに間違いが認められ再審となる。最後には、無罪を勝ち取るだろう。
彼が引き寄せたのは、まずは自分の身体を獄中から解放し、名誉を回復させる超越論的出来事である。その出来事は、いままでの辛かった彼の受刑者の身体を殺し、市民の身体を誕生させるだろう。彼は、もう一度生まれ変わったのだ。しかしながら、彼が引き寄せた出来事はそれだけではなく、より普遍的なあらゆる人にこれからも作用し続ける純粋な出来事である。出来事は《私》だけのものではない。他者のためにも、あらゆる《私》から逃れて他者になる奇跡を起こさせる純粋な「出来事」もあるのだ。自分に都合のよいことを願うのは奇跡とはいえず、あらゆる人に共通して起こらなければ奇跡とはいえないだろう。この「出来事」は自分の身体だけでなく、他のすべての人、これから生まれてくる人の身体にも作用し、二度と冤罪で投獄されないよう保護する働きをすることになる。
彼が獄中で流した涙は、純粋な出来事を引き寄せて、あらゆる他者を守る永遠の身体を身体をすべての人のために生成させたのである。
(ここに荒川修作的なナルシシズムはなく、ただの理論的厳しさがある)…だからこそ「出来事」、あるいは「経験の条件」は「超越論的経験論[[empirisme transcendental]」、荒川修作的現代アートの問題点を批評/臨界的に逃れる形而上学的、存在論的な抵抗行為となる。
しかしながら、荒川が言及したように、デュシャンは死と身体論について最後には何も残せなかった(荒川修作の師匠である、デュシャンの芸術論については、芸術の時空間論である「純粋な鑑賞のための任意空間:ヴァーチャル空間から引き出されたイメージと身体性」を参照せよ)。哲学と思想的には、荒川の死と身体論もかなりの問題がある。荒川は手垢まみれの身体図式論や〈肉〉論どまりなのか?現代アートの問題点は、その先の努力ができないことではないのか?なぜ、あいちトリエンナーレ2019年問題は生じたのか?批判したものたち、参加者、擁護者、分析者、その他も存在論や形而上学で対抗した人間が一人でもいるのか?……これが真の問いである。それから、本当に言及したくないし、言いたくもないが、トリエンナーレ2019年会場においての「可燃物騒ぎ」は「なごやトリエンナーレ」連中のものであり、ただの迷惑行為だが、ことの本質を完璧に理解している。政治、社会、思想、哲学、芸術の「寄生虫」でしかない「現代アート」に対して、逆に、寄生して対することでその状況や経験の条件を明らかにする…まさに、超越論的経験論としての「脱構築」。ならず者たちが「現代アート」の役割を逆にまっとうしているが、どうするつもりなのか?この真の「現代アート」に対して、あらゆる意味において「誰でもできる」ことしかしない「現代アート主義者」はどう対抗するのか?荒川修作の問題は、思考することの貧しさの問題につながっている。…《私》を慰めてくれない「涙」に向き合うこと。哲学や思想を、都合の良いように利用する現代アート主義者への批判。
涙がもたらした純粋贈与の身体——「涙でつくられた身体」
[i] 「ブスケは、彼の身体の奥深くに抱える傷を、それにもかかわらず、また、それだけますます、傷の永遠真理において純粋出来事として理解する。出来事がわれわれにおいて実現されるのと同じく、出来事は、われわれを待ち受け、われわれを待ち焦がれ、われわれにサインを送る。『私の傷は私よりも前に実在していた。私は傷を受肉するために生まれた。』出来事がわれわれに作り出すこの意志に到達すること、われわれの内で生産されるものの準-原因になること、〈操作者[=演算子=作用素]〉になること、表面と裏地を生産すること。」Deleuze, p.174/日本語では、pp.258-259
[ii] Deleuze, p.9/日本語では、pp.175-176
[iii] 「出来事は、物質的諸要素の関係、共存、分散、交叉、集積、選別のなかに自らの場を持ち、それらから成り立っています。出来事は、一つの物体のはたらきでもその属性でもありません。しかし出来事は、物質的分散のなかに、その分散がもたらす効果として産出されるのです。出来事の哲学は、いわば、非物体的なものの物質主義(マテリアリスム)という、一見すると逆説的な方向へと進まねばならないでしょう。[フーコー、p.75]」
参考文献
ジョー・ブスケ、『傷と出来事』、谷口清彦・右崎有希訳、河出書房新社、2013年
ジル・ドゥルーズ、『意味の論理学 上』、小泉義之訳、河出文庫、2007年
Gilles Deleuze, Logique du sens, Les Éditions de Minuit, 1969.
ジャック・デリダ、『盲者の記憶 自画像およびその他の廃墟』、鵜飼哲訳、みすず書房、1998年
ミシェル・フーコー、『言説の領界』、慎改康之訳、河出文庫、2014年
トム・ルッツ、『人はなぜ泣き、なぜ泣きやむのか? 涙の百科全書』、別宮貞徳ほか訳、八坂書房、2003年
©Hiroya Shimoyama. All rights reserved. 2025年2月6日