jullias suzzy

現代は、どんな過去の思考の覇権争いによって出来ているだろう? そして未来は? そんなことを考えながら、飲み喰いしたり散歩したり、本を読んだり映画を観たり、音楽を聴いたりしています。 julliassuzzy.tokyo@gmail.com

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三島由紀夫。抑圧に抗い、殺人者に憧れ、愛を知らず、自決に至った少年詩人。(ぼくの三島論、前口上。)

三島作品を読むことはおもしろい。まず第一に、三島の書く文章は極めてグラマラスだ。いったい三島はなんのために、あるいは誰を誘惑するために、あんなにも蠱惑的な文章を書いただろう? 美のために? 自己愛の満足のために? 文学的権威を獲得するために? しかし、けっしてそれだけだとはぼくにはおもえない。では、いったい三島はなにを、誰を、求めただろう? しかも三島ほど他人を愛することが下手くそな人はいないのだ。 次に、三島の過剰な性的ファンタズムである。三島は(男色関係を別として)29

    • 公威少年は天下の女魔術師に憬れた。

      三島由紀夫の『仮面の告白』のなかで、もっともぼくが好きなくだりは、公威少年が魔術の女王・松旭斎天勝に憬れ、コドモならがに天勝に扮したエピソードである。当時の天勝と言えば、天下一品の清楚な美貌、つけ睫毛で演出された大きな瞳、グラマラスな体をスパンコールきらきらの衣装に身を包み、数々のマジックで妖艶な流し目で男たちを魅了する、魔術の女王である。伊藤博文も松旭斎天勝に魅了されたほど、国民的大スターだった。 24歳の三島はコドモ時代の感動を振り返る、「彼女は豊かな肢体を、黙示録の大

      • モテないナルシシスト男は、女を呪いながら死んでゆく。

        実は真実はたんじゅんで、ナルシシスト男だからモテないのである。いったいどんな女がもっぱら自分にだけ夢中な男を愛するだろう? それは無理というものだ。逆に言えば、人はナルシシストを辞めて他人を愛することができるようになれば、おのずとモテるようになるものなのだ。しかし、あの天才三島由紀夫はこのからくりに気づけなかった。なぜなら、三島にとってナルシシズムは世間から自我を護る鎧だったから。 もっとも、スターだけは例外で、スターにとってはむしろナルシシズム‐自己愛は必須の条件ではある

        • 三島由紀夫の最後の5年間、60年代後半とはどんな時代だったのか?

          まずそれに先立って、60年安保闘争の敗退がある。(三島にとって映画『からっ風野郎』が封切られて2か月後)、1960年5月20日の衆議院での日米安全保障条約強行採決をきっかけに、これに対する反対運動は国民的なものになった。6月15日、全学連が国会構内になだれ込み、学生たちは警察のトラックに放火し、深夜の国会周辺は内戦状態になる。6月18日三島は国会前の記者クラブのバルコニーからこの騒乱を目撃した。翌日19日0時、新安保条約は自然承認された。翌年末三島は、226事件を題材に『憂国

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        三島由紀夫。抑圧に抗い、殺人者に憧れ、愛を知らず、自決に至った少年詩人。(ぼくの三島論、前口上。)

          美と政治の不吉な結婚。(三島由紀夫の右傾化について。)

          まず最初に、三島にとって美とはなんだろう? これがさっぱりわからない。なるほど三島の文章は明晰で美しい。三島自身も自分の文章に誇りと自信を持っていた。戦中育ちの三島は戦時下に文学者として「美の特攻隊になる」と決意したものだ。いかにも日本浪漫派に庇護された、そして戦争に行かなかった三島らしい言い草ではあるけれど、しかし、日本浪漫派の信徒以外には意味不明の決意である。なぜなら、戦争はおぞましく、美はその対極にあるもの。美に特攻隊など要らない。ジャンヌ・ダルクとてけっして美のために

          美と政治の不吉な結婚。(三島由紀夫の右傾化について。)

          童貞の三島青年は、モテモテ太宰に嫉妬した?

          あるジャンルの二巨頭を立てて、対立させて、おのおのの支持者が論戦をくりひろげる。よくある遊びである。たとえば美術好きならば「マティスとピカソのどちらが好き?」という質問をしたくなるものだ。クラシック・ロック・ファンは、ビートルズ派かローリング・ストーンズ派かで互いのロック観を競い合う。同様に日本文学読みは、「太宰と三島はどちらが偉いか」言い争ったりするものだ。なお、この土俵は三島がしつこく表明した太宰嫌いがきっかけになっています。二巨頭対決など他愛ない遊びではある。だって、ど

          童貞の三島青年は、モテモテ太宰に嫉妬した?

          美と俗悪の弁証法。ぼくの三島由紀夫論、イントロダクション。

          美の信徒を自称していたも同然な三島にとって、美とはいったいどういうものだっただろう? たとえば『金閣寺』である。父親に金閣寺こそがこの世でいちばん美しいと洗脳されて育った男が、金閣寺の観念に捕らわれ、いつしか美に対する嫉妬を抑えきれなくなって、あろうことか金閣寺に火をつけ燃やしてしまう話である。なお、そこには敗戦後GHQによって、あろうことか天皇陛下は人間宣言をさせられ、国体を棄損されてしまった日本において、金閣寺になんの意味があるのか、という含意がある。しかも、この小説にあ

          美と俗悪の弁証法。ぼくの三島由紀夫論、イントロダクション。

          童貞時代の三島作品にはかわいいのがいっぱい。『山羊の首』

          短篇『山羊の首』の主人公・辰造は40歳の男性ダンス教師で、妻とも別れ、女たちを口説くことで日々を過ごしている。田舎から上京してきたかれは「女たらしという存在が河豚料理屋の存在と同様に、都会に必須のものである」ことを1年もたたないうちに理解した。かれはダンス教室ほど好都合は商売はないと驚嘆し、そしてかれはダンス教師になったのだった。 ある日辰造はダンス教室で絶世の美女・香村夫人に出会う。「この女には確かに秘密の天分があった。鷹揚で、睡たそうな眼に色気があって、気のなさそうな表

          童貞時代の三島作品にはかわいいのがいっぱい。『山羊の首』

          ゲイ・バー。戦後復興、朝鮮戦争特需、『禁色』とその時代。

          『禁色』の背景に触れておきましょう。三島は赤坂見附にあった将校向けの高級キャバレー「ニュー・ラテンクォーター」でモンキーダンスを踊りもした時期を経て、お気に入りの店はよそへ移った。当時東京には複数のゲイ・バーがあって、三島が最後にたどり着いたのが銀座五丁目、表通りの一本裏にあった「銀座ブランスウヰツク」である。店名のBrown's Wickは〈燃え焦げて茶色くなった蝋燭の芯〉という意味ではなく、おそらく俗語Wicking に由来し〈性別を問わず眠っている誰かの口のなかに、興奮

          ゲイ・バー。戦後復興、朝鮮戦争特需、『禁色』とその時代。

          三島由紀夫と7人の女。妻・瑤子さん。

          三島と豊田貞子さんとの三年間との恋愛は終わった。貞子さんは上品に、その理由の明言を避け、三島がふたりの経験をたちまち独特の変容をともなって小説にしてしまうことや、三島が公式の場に貞子さんを頻繁に連れ出したことなどをあげ、ふたりの関係は自然消滅したというふうに説明しておられます。 しかしながら、どうやら三島は貞子さんと結婚したかったらしく、しかし、それができなかった無念から三島は絶望にのたうちまわり、一説には、一時は仏門に入るとまで言い出したという(真偽不明な)風聞もあるほど

          三島由紀夫と7人の女。妻・瑤子さん。

          三島由紀夫と7人の女。母・倭文重(しずえ)さん。

          三島の母・倭文重さんは二十歳で公威くんを生んだにもかかわらず、しかし、強権的で癇癪持ちの祖母なつに公威くんを奪い取られ、授乳以外に母らしいことをなにもしてあげられない。若い母・倭文重さん彼女の胸のなかはなつへの呪詛が燃え上がっていますが、しかし現実的には彼女はなつに従うほかない。 三島の没後1973年に、倭文重さんは『暴流のごとく』というエッセイでこの時期について書き綴っておられます。なつの癇癪と激情の恐ろしさ、なつの支配下でびくびくして暮らしている倭文重さんの心境、そして

          三島由紀夫と7人の女。母・倭文重(しずえ)さん。

          三島由紀夫と7人の女。妹・美津子さん。

          「僕はどこにいてもその場に相応しくない人間であるように思はれる。どこへ出掛けても僕という人間が、いるべきでない処にいる存在のように思はれる。僕はどこにいたらよいのかいつまで経ってもわからないが、生きてる以上どこかにいなくてはならない。」(三島由紀夫『招かれざる客』) 三島が育った環境は、かれにとって地獄だったことでしょう。なにせ公威くんは生まれてから、ヒステリックで支配的で文学と歌舞伎好きの祖母のなつに奪い取られて、12歳まで溺愛されて育つ。母倭文重は、二十歳で公威くんを産

          三島由紀夫と7人の女。妹・美津子さん。

          『酸模(すかんぽう)』は、三島版『ミツバチのささやき』だ。

          『酸模ー秋彦の幼き思い出』。三島由紀夫の本名は平岡公威で、この短篇小説は公威くん時代のもので、かれは14歳、学習院の中学2年生のとき、これを『学習院輔仁会雑誌』に発表した。いまでは『手長姫 英霊の声 1938‐1966』(新潮文庫2020年刊)に収められています。 こんなな物語である。6歳の少年秋彦くんが、酸模が咲き乱れる丘で、脱獄囚と出会って、ほのかな友情めいた関係を持つという話である。ぼくは推理する、公威くんは(中学生で歌舞伎好きになるに先だって)小学生時代は大の映画好

          『酸模(すかんぽう)』は、三島版『ミツバチのささやき』だ。

          仮面と光源。三島由紀夫の最良の読者は、デヴィッド・ボウイだった。

          スターとは仮面をつけ、大衆を魅了し、かれら彼女らに愛される存在を演じ続ける存在のことである。すなわち、厖大な人びとの欲望の対象になることである。誰がそんな厄介な役を引き受けたいだろう? ちょっとした名誉欲なんてものとは桁が違う。小説家でスター願望を持った存在は誰がいるだろう? サルトル? ノーマン・メイラー? カポーティ? ヘミングウェイ? 小説は書かなかったけれど、フーコー? いいえ、この件について誰も三島由紀夫には勝てない。しいて三島に似ているスター芸術家を探すならば、サ

          仮面と光源。三島由紀夫の最良の読者は、デヴィッド・ボウイだった。

          貞子さんとの恋愛の幸福のさなかで、なぜ29歳の三島は『沈める滝』を書いてしまうの?

          『沈める滝』(1955)はこんな物語である。城所昇は、福沢諭吉の塾生であった父を持ち、かれは土木公共事業に精を出した人物である。昇はやくして母を亡くし、 「人間」という不確かなものを信じず、土木工学を学び、石や鉄を信じる優秀な技術者であり、電力会社に入社し、ダム設計にかかわっている27歳の美男子である。かれは若さ、カネ、抜群な頭脳、強靭な体躯を持ち、しかも係累も持たず自由であり、その夜ごとに気ままな恋愛を楽しんでいた。「女と寝た朝は前の晩よりもずっと孤独になっている自分を見出

          貞子さんとの恋愛の幸福のさなかで、なぜ29歳の三島は『沈める滝』を書いてしまうの?

          三島由紀夫と7人の女。豊田貞子さん。

          2011年一冊の本が三島由紀夫の愛読者や研究者全員をびっくり仰天させ、こぞって椅子から転げ落とした。その本は岩下尚史著『ヒタメンー三島由紀夫が女に逢う時』有山閣 である。三島由紀夫はゲイ? ヘテロ? バイ? この一冊によって、この疑問に終止符が打たれた。 この本はあきらかにした。1955年7月29歳の三島は歌舞伎座の楽屋でひとりの女性と出会って以降三年間にわたって、三島は彼女に夢中になって、性愛経験を持っていたのだ。その人の名は豊田貞子さん。貞子さんは慶應女子校一期生で、当

          三島由紀夫と7人の女。豊田貞子さん。