三島由紀夫の最後の5年間、60年代後半とはどんな時代だったのか?
まずそれに先立って、60年安保闘争の敗退がある。(三島にとって映画『からっ風野郎』が封切られて2か月後)、1960年5月20日の衆議院での日米安全保障条約強行採決をきっかけに、これに対する反対運動は国民的なものになった。6月15日、全学連が国会構内になだれ込み、学生たちは警察のトラックに放火し、深夜の国会周辺は内戦状態になる。6月18日三島は国会前の記者クラブのバルコニーからこの騒乱を目撃した。翌日19日0時、新安保条約は自然承認された。翌年末三島は、226事件を題材に『憂国