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エコバッグについて
まえがき
クリーンコールデーとともにカンパネラの話について書いた
ここに、ちょっと視点を加えてみよう。
エコバッグについて
エコバッグは、環境保護の象徴として広く普及している。その起源は1970年代の環境先進国ドイツにあり、「エコロジー」という言葉から派生した名称を持つ。日本では2020年7月のレジ袋有料化を機に一気に浸透し、今や日常生活に欠かせないアイテムとなった。エコバッグの使用は、プラスチックごみの削減や二酸化炭素排出量の抑制に貢献するとされ、SDGsの実現にも寄与すると考えられている。
しかし、エコバッグの環境への影響については、より慎重な検討が必要だ。イギリスの環境庁の調査によると、コットン製のエコバッグは、従来のレジ袋と同等の環境負荷を相殺するために131回以上使用する必要があるという。また、エコバッグの製造過程における環境負荷や、使用回数の不足、衛生面の問題なども指摘されている。
カンパネラ
今日はまえがきの引用記事でも触れていてるが、イタリアの哲学者トンマーゾ・カンパネラの誕生日でもある。カンパネラは、1568年9月5日に生まれ、その代表作『太陽の都』で知られている。『太陽の都』は、理想的な共同体社会を描いた作品であり、ユートピア文学の重要な一角を占めている。
太陽の都
カンパネッラの描く「太陽の都」は、すべてのものが共有され、私有が禁じられた社会だ。最高統治者「太陽」を頂点とするヒエラルキーのもと、知識と権力が密接に結びついた統治体制が敷かれている。この都市では、市民の生活のあらゆる側面が管理され、理想的な共同体が実現されているとされる。
カンパネッラの構想した理想郷は、後世の思想家たちに多大な影響を与えた。その中でも特筆すべきは、20世紀フランスの哲学者ミシェル・フーコーによる解釈だ。フーコーは『監獄の誕生』において、「太陽の都」の構造を近代的な監視社会の先駆的モデルとして分析した。フーコーの解釈によれば、「太陽の都」の中央集権的な監視システムや、すべての市民が常に見られる可能性がある都市設計は、近代社会における「パノプティコン」的な監視システムの原型と考えられる。また、知識と権力の密接な結びつきや、個人の身体への介入なども、フーコーが近代社会の特徴として指摘する「規律社会」の要素を含んでいるという。フーコーの分析は、カンパネッラの理想都市が持つ両義的な性質を浮き彫りにした。一方では理想的な共同体を目指しながら、他方では全体主義的な監視と統制のシステムを内包しているという点だ。この解釈は、ユートピア文学を単に理想社会の描写としてではなく、権力構造や社会統制のメカニズムを分析する上で重要な資料として捉える新しい視点を提供した
フーコーと権力
Foucault considérait que le sujet est construit historiquement et socialement. C'est-à-dire que le sujet n'existe pas de manière innée, mais se forme au sein des relations de pouvoir et des systèmes de savoir.La naissance du sujet résulte de l'interaction entre pouvoir et savoir. Foucault a utilisé le concept de "pouvoir-savoir" pour souligner le lien étroit entre pouvoir et connaissance.Dans le processus de subjectivation, le pouvoir disciplinaire joue un rôle crucial. Ce pouvoir façonne l'individu en tant que "sujet" par la surveillance et la normalisation.Foucault a appelé "subjectivation" le processus par lequel le sujet se forme lui-même. Ce n'est pas simplement quelque chose d'imposé de l'extérieur, mais un processus auquel l'individu participe activement.Dans ses dernières années, Foucault s'est intéressé aux "techniques de soi" de la Grèce et de la Rome antiques, explorant la possibilité pour le sujet de construire une relation à soi et de se transformer.Pour Foucault, le sujet n'est pas fixe mais toujours ouvert au changement. Bien que formé dans des relations de pouvoir, il a aussi la possibilité de modifier ces relations.La naissance du sujet se produit dans un contexte historique et culturel spécifique. Foucault s'est particulièrement intéressé à la formation du sujet dans la société occidentale moderne.
フーコーは、権力に対する主体も権力との関係によって成立するのだ。
主体の誕生は、権力とそして知識の相互作用によって生じる。つまり権力と知識とは密接に結びついて機能するのである。
監視と処罰によって個人を「主体」として形作る。そのプロセスには、規律訓練型権力が重要な役割を果たす。
さらに(恐ろしいことに)主体が自己を形成するときに権力は内在化してしまうのである。
つまり、上司部下という権力関係は社会的で会社が決めた外在的なものである。しかしそれだけにとどまらず、自らの意思決定、判断基準、夢、、、そういったものが、上司と部下の関係が影響を及ぼしてしまうのである。
時間だけが取られてしまうのはよいが、考え方そのものがこの権力の影響がある。それどころか積極的に自らに権力としてふるまうのである。
主体の抵抗
太陽の都のような理想郷を唱えても、なんだか仕方無さ、やるせなさを感じてしまうが、それよりも、フーコーはどのように内在化する権力に抵抗しようと考えたのかここで箇条書きにまとめておこう
自己分析と批判的思考の実践
日々の行動や思考パターンを意識的に観察し、「なぜこのように考え、行動するのか」を問い直す。例えば、仕事での判断や行動が本当に自分の意思によるものか、それとも内在化された会社の規範によるものかを考察することが抵抗につながる「生存の技法」の実践
自己を倫理的主体として形成する実践。例えば、毎日の日記をつけて自己反省を行ったり、瞑想を通じて自己との対話を深めたりする。これらの実践は、内在化された権力関係から距離を置き、自己を再構築する機会を提供する。日常的な小さな抵抗
大きな反抗ではなく、日常生活における小さな抵抗を積み重ねる。例えば、会社の慣習に疑問を投げかけたり、不必要な残業を断ったりするなど、既存の権力構造に対して小さな「ノー」を言う勇気を持つことが抵抗に通じる。新たな主体性の探求
既存の社会規範や期待に縛られない、新たな自己のあり方を模索する。例えば、従来のキャリアパスにとらわれず、自分なりの成功の定義を見出すことなどがあげられる。オルタナティブな知識の探求
支配的な言説や知識体系に疑問を投げかけ、異なる視点や知識を積極的に学びます。例えば、主流メディアだけでなく、多様な情報源から情報を得たり、異なる文化や思想を学んだりすることで、自己の視野を広げる。倫理的実践としての自由の追求
自由を単なる制約からの解放ではなく、自己との関係を築く倫理的実践として捉える。例えば、自己の価値観に基づいて生活の優先順位を見直したり、自己実現のための具体的な目標を設定し実践したりすることが抵抗への道である。
生存の技法とは、古代ギリシア・ローマの手法である。
自分のことをよく知り、新しいことに挑戦し、自分で考えて決め、学び続けるということだ。
ニーチェの超人(Übermensch)は、既存の道徳や価値観を乗り越え、自らの価値を創造する存在として描かれる。これは、社会に内在化された権力関係や道徳観に対する根本的な挑戦を意味する。
フーコーは、ニーチェの「力への意志」の概念を権力関係の分析に応用したが、ニーチェの超人のような個人の英雄的な変容よりも、社会全体の権力構造の分析と変革に焦点を当てている。
それは、フーコーが権力を単に抑圧的なものではなく生産的なものとして捉えたのだ。既存の権力関係を創造的に再解釈すること、その中で新たな可能性を見出そうとした。このあたりはデリダも言及したいところであるが、またの機会としよう。
私の態度
私たちの日常生活と理想社会の在り方について深く考える機会を提供している。カンパネッラの描いた理想郷とフーコーの権力分析を踏まえつつ、エコバッグという日常的なアイテムを通じて、私たちは自らの生き方や社会との関わり方を再考することができる。環境保護や社会規範への単純な順応ではなく、創造的な対応と自己形成の実践として、エコバッグの使用を捉え直すことで、私たちは日常の中に小さな革命を起こすことができるのだ。それは、カンパネッラが描いた理想郷とは異なる形で、しかし同じく理想を追求する姿勢として、現代社会に新たな可能性をもたらすかもしれない。