よしのチョコたろう

放送大学で経済学と政治学を学んでいます。普段は、病院のデイケアに通っています。ピアノも…

よしのチョコたろう

放送大学で経済学と政治学を学んでいます。普段は、病院のデイケアに通っています。ピアノも弾いてます。前の大学では、映画サークルでのおしゃべりのために、哲学を勉強していました。主に、哲学の話を書いています。右利きのお利口さんのために作られた社会で、凍結させられた左腕を解き放とう!

最近の記事

ぼくの統合失調症における急性期(哲学、美学の話も)

私は、統合失調症なのだが、誇大妄想がある。とくに、急性期において、その傾向が強くなるので、その時期のことと、前回の記事で書いたバタイユに、「出会いなおした」ことについて、書こうと思う。   まず、誇大妄想について見ておこう。「妄想には被害的なもののほかに多くのタイプがあります。よくみられるのは誇大妄想です。『気分次第で天気を変えられる、ほかの天体との位置関係から太陽の動きも支配できる』。こんな妄想から、自分はキリストである、聖母マリアである、何か高尚な、または重要な人物で

    • バタイユゼミにて、哲学徒と盃を酌み交わす

      哲学を学んでいた時のアネクドート(逸話)は、記事が好評を博したので、また書きます。いわば、総集編です。 もともと、ぼくは、法政大学経済学部の、フーコーを読むゼミにいたわけだが、ゼミの後藤先生が、二年間の海外研修へゆかれ、その後、同じく経済学部で受講していた、ドゥルーズ研究者であり、哲学者であられる、財津先生も研修で、後藤先生のいらっしゃるパリへ向かわれた。財津先生の代講の齋藤範(さいとう先生の名前には、ドゥルーズ「差異と反復」の「さいと」が含まれる)先生の、鶴の一声で、ぼく

      • 経済学を勉強していたら、「役に立つ」と気づいた話。

        精神病院に入院中に、主治医の先生と話し合って、哲学から、経済学へ専攻を変えることにした。東京大学卒業後、東京医科歯科大学で医師となった、哲学のこともご存知の(先生に好きな哲学者を訊かれて、「ドゥルーズです」と答えると、「ほう」と感心されていた)、年若い主治医の話では、「哲学は、何の役に立つか判りませんからね」とのことだった。余談だが、主治医とは、椎名林檎さんの話もした。最近、ぼくは、法政大学一年次のゼミで学んだ、飯田泰之の「経済学思考の技術」とゆう本を読み返している。ぼくは、

        • フーコーが好きだと気づいたんだ そんなこと言ったら笑うカナ?

          今回は、アンリ・ベルクソン、ロラン・バルト、ジル・ドゥルーズと続いた、ぼくが、哲学入門したシリーズの、おそらく、最終回となるであろう、ミシェル・フーコーの話をしよう。フーコーについては、書くのを渋っていたが、フーコーは、ロラン・バルトと同じく、ゲイの哲学者である。バルト編にスキをいただいた読者の皆さんの中で、ゲイの方もいらっしゃったので、奮起し、書こうと思う所存である。   フーコーの手前から書くと、大学には、親の勧めで経済学部に入った。ぼくは、文学が好きだったのだが、不

        ぼくの統合失調症における急性期(哲学、美学の話も)

          ドゥルーズの「シネマ2*時間イメージ」を*抜かして書いたら、シネマ、「2時間イメージ」みたいになってしまった。

          ドゥルーズの「シネマ2*時間イメージ」を*抜かして書いたら、シネマ、「2時間イメージ」みたいになってしまった。

          財津理先生のドゥルーズ講義(音楽分、映画分多め)

          アンリ・ベルクソン記事、ロラン・バルト記事が好評なので、哲学シリーズをまた書きます。 大学に入るまで、本格的な哲学書を読んだことがなかった。日本文学は読んでいて、それは、学校でのキリスト教教育、そこから共鳴した、U2などの洋楽ロックに対する反発である。中でも、音楽的、詩的、日本的な泉鏡花に入れ込んでいた。法政大学の後藤浩子先生の哲学ゼミに入って、フランスの哲学者、ジル・ドゥルーズが、サミュエル・ベケット脚本、バスター・キートン主演の「フィルム」について書いたテクストを読んで

          財津理先生のドゥルーズ講義(音楽分、映画分多め)

          ロラン・バルト研究をしていた頃(放蕩息子編)

          以前書いた、ぼくがゼミで、ベルクソンとゆうフランスの哲学者について研究していた頃の記事が好評でした。なので、今回は、それ以前に、ゼミでロラン・バルトとゆうフランスの、哲学者である佐々木中さんによって、文芸評論家と呼ばれる人について研究していたことについて書きます。 https://note.com/licopene_tomato/n/nb4e6e29b46bc まず、ゼミでゼミ論のテーマの個人指導があって、ぼくは、ヴァルター・ベンヤミンをやりたい!とお伝えしたのですが、上

          ロラン・バルト研究をしていた頃(放蕩息子編)

          サイコ

          わたしの生まれは、佐賀である。2016年に、錯乱して佐賀城のお壕に全裸で飛び込み、佐賀の肥前精神医療センターに二回目の入院をした。その時、お壕は凍っていた。 父親は、東京で仕事、母親はすでに亡くなっていたので、それぞれ、佐賀と福岡に在住の母親の姉妹がお見舞いに駆けつけてくれた。 その頃、わたしは統合失調症ということもあって、ヒッチコック監督の名画、「サイコ」のアンソニー・パーキンス状態に陥り(自分のことを母親だと思って、殺人を繰り返す)、自分のことを、実在する、中国語教師

          「科学」は楽しい

          先週、大学時代の映画サークルの先輩に会いに、東北は宮城県の古川とゆうところまで、行ってきました。古川は、新幹線の止まる駅で、駅前もおしゃれなところでした。先輩曰く、東日本大震災の復興支援で、駅前は綺麗になったのだとか。先輩には、気を使っていただき、ビールを飲みながら、楽しく料理などしました。哲学の話は、ビールが入ると、ちょうど良いです。 その先輩の影響で、経済学部に入ってから、哲学の勉強をしていたのですが、入学当初、辱知を得、一緒に研究室でお弁当を食べるなど、懇意にしていた

          「科学」は楽しい

          ベルクソン研究をしていた頃(師匠不在編)

          ぼくは、放送大学生なのだが、経済学の教科書に、フランスの哲学者、アンリ・ベルクソンの名が載っていた。 ベルクソンは、中退した、法政大学時代の経済学部の哲学ゼミで、ゼミ論の課題として、与えられた。ベルクソンは、その文体の美しさから、ノーベル文学賞を受賞されたほどの人物である。しかしながら、当時、ベルクソンの名を知らなかったので、mixiで調べたら、夏目漱石が英訳で読んでいた話が載っていたので、いいかも!と思った。当時、映画サークルで映画は観ていたが、ゼミの後藤浩子先生からは、

          ベルクソン研究をしていた頃(師匠不在編)

          統合失調症の俺の禁書は哲学書

          前回、夢を模索中とゆう記事を書きましたが、若い方たちも含め、多くの方たちが、自らの在り方に悩んでいらっしゃるから、哲学書が売れるのではないでしょうか? https://note.com/licopene_tomato/n/n307c2065b03a 哲学は、古代ギリシャの哲学者、タレスから数えて2600年の歴史がありますから、悠久の時の流れにゆったりと身を任せてもの思いにふけるのも良いか、と存じます。哲学史の本では、この本がおススメです。 https://amzn.as

          統合失調症の俺の禁書は哲学書

          夢を模索中

          前回の記事で、身体のことを話したが、実は、夢を見ることが身体をのびのびと作動させるために、必要である。夢とゆうのは、こうだったらいいな、こんな風になりたいな、こういう仕事につきたいな、とゆうあの夢である。 「夢を見ないで何かを手に入れることは極めて、困難である。(中略)人間という生き物は、自らの望む姿をしっかりと掴んでいれば、自ずと体がそれを実現するために動きます。そうすると、夢の実現に向かう僥倖が落ちてきたときに、間違いなく拾うことができます。」(安冨歩著、「生きる技法」

          身体に頼って生き、その上で考えよう。

          入院していた時、作業療法のプログラムで、ストレッチを教えてくれたので、続けてゆこう、と思って、退院してから、本屋で以下のストレッチの本を買った。 精神科医によれば、身体を伸ばしたりすることは、自分の身体を意識することであり、「これが自分!」とわかることである。自分とは、 「二十世紀後半にもなったとき、哲学者の間でも、身体も私のうちとばかり、身体を評価する人々が出てきました。そうなると、身体をつつむものとしての衣服もまた「私」です。今までのように、精神だけが「私」だと知らん

          身体に頼って生き、その上で考えよう。

          Ado様の「ギラギラ」とThe Cureの比較に見る、現代の狂気についての考察。

          こんばんは。よしのチョコ太郎です。今回は、Ado様の「ギラギラ」と、前回書いた、キュアーとの比較において書いてみたいと思います。 「ギラギラ」は、狂気を音像化した曲か、と存じますが、そこに、キュアーとの共通点があります。ロッキング・オンの山崎洋一郎氏によれば、「自分が本当は何者なのかがわからない、この世界がいったい何なのかがわからない、という普遍的な不安と混乱。深い森を歩いている時に陥るような感覚。それをそのまま音像化したのがキュアーの音楽だ」そうです。 更に、「抱えた病

          Ado様の「ギラギラ」とThe Cureの比較に見る、現代の狂気についての考察。

          ロックバンド、ザ・キュアーについて

          ぼくが、人気、実力を合わせたとき、世界一のバンドだ、と目する、キュアーとゆうバンドの話をしよう。キュアーは、2019年にロックの殿堂入りし、紹介役を務めたのが、ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーである。海外でも、巨きな影響力を持つバンドであるが、日本でも、音楽評論家である小野島大によれば、ブランキー・ジェット・シティ、スピッツ、アート・スクール、ラルク・アン・シエル、プラスティック・ツリーなどに影響を与えている。 ぼくが、キュアーを聴き始めたのは、2004年、17

          ロックバンド、ザ・キュアーについて

          人から評価されたい

          こんにちは。note12ヶ月連続投稿(やったー!)の、Political_Boyです。褒められて伸びるコなので、褒めて下さっても良いですよ? ぼくは自分の知識や、才能を売って、お金を稼ぎたいです。 noteでも収益を得られる、と思いますが、取り合えずは、少しでも、多くの方のお目汚しをして、スキをいただけたら、と思います。前回の記事幻聴と愛と斗争|Political_Boy (note.com)が、ぼくの力量不足か、幻聴が聴こえる、統合失調症とゆう病気について書いたためか、

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