自分という存在を否定する必要はない。 でも、ときに自分を「疑う」ことは必要。 疑うことは自分の執着からの脱却であり、 物事を違う視点で見るきっかけになる。 自己否定するくらいなら自分を疑おう。
「『本当にそうだろうか?』この一言で考えが深くなる」 (カール•マルクス) ビジネスではよく「疑え」と聞く でも実際にやることは少ない そこで最近やっているのが「ツッコミ」 「ほんまか?」 「んなアホな」 疑うのは難しくてもツッコミはできる 漫才をやる感覚で気軽に疑う
僕が今ここにいることを疑うことは可能だろうか?僕が今ここにいるということは、常に、「ほんとう」なのだろうか?
「スタンドプレイ」と聞くと、悪目立ちするための 独断専行なイメージがある。 しかし、調べたら吹奏楽の用語でもあるらしい。 ”立奏” すなわち、立って(スタンド)演奏(プレイ)。 それは意図された演出。 う~ん、何気なく使っている言葉には少し懐疑的である ほうが良いかも。
他人の言葉にモヤっとした時は、自分の正義を疑ってみる。 「私」は全てを知っているわけではないのだから。
自分を信じることは大切だけれど 自分を疑うことも同じくらい大切。 疑うとは自分へのダメ出しではない。 今の自分の考え方や視点を拡張すること。