僕が今ここにいることを疑うことは可能だろうか?僕が今ここにいるということは、常に、「ほんとう」なのだろうか?
「スタンドプレイ」と聞くと、悪目立ちするための 独断専行なイメージがある。 しかし、調べたら吹奏楽の用語でもあるらしい。 ”立奏” すなわち、立って(スタンド)演奏(プレイ)。 それは意図された演出。 う~ん、何気なく使っている言葉には少し懐疑的である ほうが良いかも。
他人の言葉にモヤっとした時は、自分の正義を疑ってみる。 「私」は全てを知っているわけではないのだから。
自分を信じることは大切だけれど 自分を疑うことも同じくらい大切。 疑うとは自分へのダメ出しではない。 今の自分の考え方や視点を拡張すること。
疑ったら、正しいのか?
疑心暗鬼になってしまうと、疑う方もしんどいけれど、疑われる方もしんどいよね。 でも、疑われるのは信頼を裏切ったから。 けど、ずっと疑われ続けるのもしんどい。 だから、人からの信頼って大切にしないといけない。 お互いのために。
自分の中で当たり前だとしても、本当にそれで良いかは別の話。思い込みかもしれない。時には当たり前と思っていることも疑っても良いかもしれません。