見出し画像

統合失調症患者でいまいち病識がない人が、普通にnoteとか書いていて驚かされる

病識と痛覚

何となくnoteで他人の記事を読んでいて思ったのだけど、結構病識のない統合失調症患者がいる。
つまり、自分はおかしいと思っていないのだ。

自分の認識では、おかしいところがあるから精神科医はそういう診断をしているという事になるのだが。
自分は既に初診から22年目で、明らかに自分はおかしいし或いは当初は今よりずっとおかしかったと思っている。

自分は、何かがおかしいという認識がなければ半分は治療している意味がないと思うのだが。
少なくとも統合失調症は、病識がないと回復しないだろう。

もちろん病識があるから治ったという事にはならない。
しかし、例えば体の中で痛いところがあったらそこに何か異常があるという認識は重要だ。
つまり、痛覚がそれを教えてくれているのだ。

病識がないという事も統合失調症の症状のうちの1つなのだろうか

統合失調症において病識は痛覚だろう。
そう診断されたら何かがおかしいと思わなければならない。
ただその診断に反発するのではなく。

精神科医ではないから自分はよく知らないけど、特に精神疾患がある人の中でも統合失調症患者は自分はおかしいと思っていない人が多いようだ。
自分はおかしくないと思う事も統合失調症の1つの症状であるのだろうか?

最近では個人的に、精神医学の本(特に統合失調症の本)とかも読まなくなった。
なので自分には統合失調症についての知識はあまりない。

それにしても、noteで検索して統合失調症患者の記事を読んでみると大概病識がないのだ。
そういう人達は、病識がないからnoteに記事を書いているのだろうか。

病識がある患者はnoteなんか書かずに療養しているのかもしれない。
そう考えると、自分もまた病識のない統合失調症患者に分類されるのだろうか?

監獄からのSOSではない

或いは統合失調症患者は、獄中からSOSの信号を出している気分で記事を書いているのかもしれない。
しかし、その前に自分のおかしいところを治さなければまず社会がその人を受け入れないと思うのだが。

まず自分が精神病であると診断された事実について考えなければならない。
社会に適応できない人は、ある意味精神病院に閉じ込められても仕方がない。

精神病院は、監獄ではない。
或いは精神病院は悪い事をした人を幽閉する場所ではなく、おかしい事をしている人を治療する場所である。

それで結局自分も統合失調症患者であるという診断を受けているので、自分もまたおかしい人なのだろうか。
久しく精神病院に入院させられたりはしていないが。
結局自分にできる事は、ひたすら自分を疑い続ける事ぐらいだろうか?



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?