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流れる疑問の真ん中で
2024年11月21日(木)朝の6:00になりました。
ねむれどねむれど猶、わが眠気無にならざり。
どうも、高倉大希です。
自己肯定感は、高ければ高いほうがいい。
はたしてこれは、本当か?
学校で勉強したことなんて、大人になったらつかわない。
はたしてこれは、本当か?
誰かにとって都合がよいから、そう言われているだけではないか?
自分にとって都合がよいから、そう思っているだけではないか?
人間は、認識が当たり前のものとして固定化されていくと、その前提が「なぜこうなっているのか?」ということを、改めて考えることはしなくなっていきます。(中略)乱暴に言えば「頭を使わなくて済む」ようになっていくのです。
じゃあ、自己肯定感は低い方がいいって言うのかよ。
じゃあ、大人になってから漢文の知識が役に立ったって言うのかよ。
このような意見が飛んできそうなものですが、いくらなんでも極端です。
0か100かの、2択ではありません。
疑うことと、反対の立場に立つことは、まったくの別ものです。
本当にそうなのかを考え直してみよう、と言っているに過ぎません。
最近気づいたんですけど、面白い人って「ちょっと待てよ」と思うことが多いなと。みんなと同じものを見ても、違うふうに見えてしまう。「よい科学とは、みんなが見ていることを違った見方で見ることだ」という言葉があります。
一般的に、よしとされている。
そんなものほど、思考の余地が広く残っていたりします。
多くの人たちが、考えようとしなくなっていくからです。
疑われなくなったものほど、危険性が伴います。
大抵そういうものは、外見が小綺麗です。
考えるまでもないでしょという顔をして、そこに鎮座しているのです。
初めは社会のごく一部なんですけど、起きる事象が少しずつ変わっていくんです。しかし制度や大衆の考え方はそのままなので、そこに乖離が生じてくる。そして乖離が大きくなると「今までの考え方がおかしいんじゃないの」と感じる人が増えて、既得権益を攻撃するようになり、社会が変わるというのが、基本的な構図です。
かつてよしとされていたものの多くは、いまはよしとされていません。
いまよしとされているものの多くは、未来ではきっとよしとされません。
こっちに寄っては、あっちが空いて。
あっちに寄っては、こっちが空いて。
もっとも避けるべきなのは、この流れが完全に止まってしまうことです。
前述のとおり、小綺麗に見えるものほど簡単に止まります。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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