ちえころ

50才がらまり、サッカー好き、趣味は作詞作曲、やもめの独り身、哲学に恩がある。☆がつい…

ちえころ

50才がらまり、サッカー好き、趣味は作詞作曲、やもめの独り身、哲学に恩がある。☆がついてる記事はエッセイです。ついてないのは散文詩風のつぶやき。

最近の記事

☆町田ゼルビア問題に潜む、本当の問題提起

 報道を見るのが苦手で、テレビもラジオもインターネットも触れないようにしているのだが、うっかり見てしまった報道ステーション。J1町田ゼルビアの、告訴のニュースをやっていた。  誹謗の文も、町田のサッカーも、見たことはないし、2分間くらいで得た情報なのだが、どうやら、町田のサッカーが、高校サッカーのノリだという文句なのかな、これで合っているだろうか。  私は30年越しのサッカー好きだ。マラドーナから入門したこともあり、Jリーグよりも、ヨーロッパや南米のを好んで観てきた。

    • ☆夏が終わる〜やれやれ、私が大きくひと息吐く訳

       今年も暑さが落ち着き、やれやれと一息吐く。 暑さの恐怖が去ることもやれやれなのだが、私にとっての主なやれやれは、別のところにある。  家は昔の商店街の中の一軒で、両隣とは、くっついていると言っていい程の間隔しかない。その両隣、すっかり空き家になってしまい、草ぼーぼー、枝ぼーぼー、こっちに覆い被さる勢いだ。そちらの、生き物の楽園の余波を受け、夏場はこっちにも活気が入り込んでくる。聞いたことのない獣の声が響く夜もある。  そもそも、この家も長い間空き家だったのを購入したもの

      • ☆どうして私はスマホを持たないのか、ちゃんと考えてみた

        スマホを持たない、 とは言っても 他の道具で メールもLINEも調べ物もして、 フツーに生活している。 周りと 少し違うのは、 一歩外へ出たら、 誰も私と連絡がつかないことくらいだ。 どんな場面で、 スマホがないとどうなるか、 それは想像にお任せしよう。 生まれた頃すでに、電話はあった。 一家に一台、玄関にある、 友人や好きな男子と電話するのも、 一旦 家人を通さなければならなかった、 懐かしい、愛すべき不便。 その後、自動車電話なんての、 ドラマで見かけたな。 2

        • ☆ジャケ買いは、貴重な出会いを呼ぶ〜直感は信じていい!

           小さい頃から、音楽を聴くのは習慣だった。幼・小・中はレコード、カセットテープ、中学半ばからCD、レーザーディスクとかMDとかが現れ、消え(てはいない?)、物体のないものへ、音楽は変わっていった。もはやジャケ買いなんて日本語は、一部の人にしか通じないだろう。  初めてCDをジャケ買いしたのは、高一の時。あたたかみのある、想像世界のようなイラストが良くて、買った一枚。高一の、子どものすること、ミュージシャンもレコード会社も全く知らない、アルバム名は"地球のうた"。厳密にはジャ

        ☆町田ゼルビア問題に潜む、本当の問題提起

          今日の終わりに

            もうすぐ今日が終わる。   今日の最後を   安らかに。   たたかいの緊張をほどいて   唱えよう、   安らかに。   何も思い浮かべなくていい、   花畑も虹も夕映えも。   自分だけの世界、自分だけの音楽、   自分だけの安らか、に   自分だけの生命もある。   たとえ一分でもいい、   私よ、安らかに。   安らかに、おやすみ。 #安らか #たたかい #自分 #生命 #哲学

          今日の終わりに

          ☆母達が、どうしてあんなにも娘が大好きなのか理解した日

           私の狭目の人付き合いの中で、長年感じてきたこと、母達は娘が大好きだ。娘さえいれば夫も友人もいなくたって平気なんだろうな、きっと。  私は娘というものを知らない。その、娘への思いの強さを会話の中に見つけると、もやっとする。これは、やっかみなのか、呆れなのか?  買い物も旅行も催し物も娘と出掛けるし、娘が出産となると、何ヶ月も堂々と仕事を休むし、中には、嫁いだ娘の家の近くに引っ越してしまった人もいる。なんでそんなに娘が大好きなんだ、わかりたいような、わかる筋合いもないような

          ☆母達が、どうしてあんなにも娘が大好きなのか理解した日

          ☆私の木〜ブラックジャックのけやき太郎にちょっと似ている話

           ただの偶然、では片付けられない、メッセージ性のある出来事、その人の取りようもあるのだろうけど、そういう、いつまでも忘れられないことって誰しもあると思う。  その木は生まれ育った家の部屋の窓から見えた。ちらっと見たり、じーっと見たり。いつからか私は出かける時も帰った時も、挨拶するようにその木を必ず見るようになっていた。  西側にあったから、夕暮れ時もいい、雨の日もいい、雪の日もいい、季節ごとにいい。気が向くとスケッチみたいなことをして、木と戯れる自分を描き入れたりした。あ

          ☆私の木〜ブラックジャックのけやき太郎にちょっと似ている話

          ☆弱気が襲ってきた、さて、どうなった?

           ここ何日か、弱気でいけない。ダメかもしれないと思い、慌ててペンを執り、書き始めた次第だ。  波みたいに迫ってくるものの、そのうち引くのはわかっているが、この、弱気に襲われると私は毎回結構必死になる。  打つ手として、まずは哲学書を読む、だいたいこれで波は鎮まるのだが、ダメだ、入ってこない。テレビをぼーっと見る、ピアノを弾く、散歩する、その時少しいいが、あまり効果がない。  助けてくれ〜と、ヨロヨロ机に向かう。  少しばかり経験を積んで知ったことがある。展開など考えず

          ☆弱気が襲ってきた、さて、どうなった?

          ☆2時間ドラマ、大好きだけど一つだけ訴えたいこと

           10才くらいから、2時間ドラマが好きだ。  火曜サスペンス劇場、あのオープニングのキョーレツさったらなく、何が始まる?おばけとか出るのかな、ドキドキワクワク、からの、エンディングの曲へしっとり移行する、あの瞬間、ほっとして、心を落ち着けて見始めることができたものだ。  今でも覚えてる、一番好きだった曲は、杉山清貴の風のロンリーウェイだっけ、どんなに残酷な犯行も、悲しい犯人の過去も、最後に全部さわやかな、希望に満ちたものに変えてしまうのだった。   BSの再放送はパラダ

          ☆2時間ドラマ、大好きだけど一つだけ訴えたいこと

          ☆5時の男〜ピアノへのそれぞれの愛

           自宅車庫で、ピアノを開放している、週4日程。  お祭りデビューして以来、下校途中の小学生がぶっ叩いて行ったり、中学生女子が二人で一つの椅子に座り、ビリーブの伴奏と主旋律を練習していったり、高校生男子がゲーム音楽を早弾きしたり、中年の男性がオリジナル曲を弾き語ったり、クラシックをさらっと弾きこなすおじいさんがいたり、様々な形のピアノ愛を拝聴している。  デビューから1ヶ月程経った頃から、平日の5時に決まって訪れる人がいる。マイナー調の、黄昏の似合う、映画の曲だろうか、それ

          ☆5時の男〜ピアノへのそれぞれの愛

          わたしを呼んで

          わたしにはわかります。 だから わたしを呼んで。 そしたら あなたの横に わたしは座っています。 だから わたしに話して。 そしたら わたしの経験を 総動員して あなたの気持ちを 想像します。 わたしにはわかります。 100分の1も あなたは伝えられていない。 10分の1は 自分を正当化している。 3分の1は どこかで聞いたセリフを言うだけ。 そんなものでもいいから わたしに話して。 わたしにはわかります。 例え 部屋に一人きりでも、 床に並べて置けない、 真っ当

          わたしを呼んで

          ☆お盆に死者は帰宅するのだろうか。

           2年前、家族が亡くなったので我が家は、通例に従い今日もお盆中だ。何でも、死者が、自宅に帰って来るのだそうだ。だから、死者に会いに、親戚とか友人とかが訪れるかもしれない、という理由で、なるべく家にいるようにしている。  昨日は寺に迎えに行き、最終日に送り届ける。こんなことを人々はどのくらい続けてきているのだろう、私もこれからずっと、8月の真ん中は寺の行事に拘束されるのだろうか。今まで実家の盆迎えは、寺の、あの雰囲気を結構楽しんでいたのだが、いざ自分が担うようになると途端に、

          ☆お盆に死者は帰宅するのだろうか。

          ☆この、恐怖を伴う暑さと哲学

           暑いね、とは夏の挨拶で、暑さの感じを言ったり、エアコンの使い方を述べたり、いつまで続くだの、昔はこうじゃなかっただの、会話は結構広がっていく。その中には、地球は大丈夫かという不安を表す人もいる。挨拶だからそれ程深刻にはなっていかないし、言ってもしょうがないから言わないだけで、そういう不安を持っている人はかなりいるのではないだろうか。  環境問題や行く末や責任について言いたいのではない、このどうしようもない、狂った暑さの中生きる人に対して、哲学は、何かできないものかと考えた

          ☆この、恐怖を伴う暑さと哲学

          ☆ピアノ界に君臨する偉大な曲〜このすごすぎる2曲とは

           やもめショックで、約25年打ち込んできた音楽ができなくなってしまった。やめてみると見えてくるものがある。まず、音楽がなきゃ生きられないと信じ切っていた無邪気すぎる自分。音楽などしなくてもこうして生きている。  ただ、音楽で占めていた時間と頭の中、音楽をやらないとすき間だらけだ。やもめ1年くらいの時、以前からやりたかったことを実行することにした。テレビでやっている、街角ピアノだ。  自宅は県道に面した2階建てで1階が車庫、その車庫部分にピアノを出すのだ。思い立つと行動力が

          ☆ピアノ界に君臨する偉大な曲〜このすごすぎる2曲とは

          ☆私と哲学〜そういえば初哲学はデカルトだった

           やもめも二年近くになると、こうして物を書く集中力が戻ってくる。我が顔を出し、習慣が徐々に戻り、新しい世界の流れに乗る。ここに来るまで、私には哲学が結構役に立った。  哲学を学んだことはない。出会いは十年程前だろうか、夜8時頃から放送のラジオ、高校講座の倫理だ。車の運転中にたまたまつけたらやっていた。  1回目だったのか、ソクラテスのところで、無知の知、何これおもしろい、となり、毎週放送を聞いた。ふらっと、いちばんやさしい哲学の本、と、池田晶子を2冊買った。さーっと読んで

          ☆私と哲学〜そういえば初哲学はデカルトだった

          ☆モノに命や魂はあるのか、ないのか

           物はよく使えば使う程、持ち運べば運ぶ程、失くしたり、壊したりするリスクは上がる。そういう物たちの中でいくつかは、やけに長い間手元にある。  今使っているこのシャーペンは、高校の時からのものだ。頭部分は紛失し、ティッシュを詰めてあるが、環境が変わっても当たり前のようにこのシャーペンで文字を書いてきた。この髪どめも長く使っているが、先日墓参りに行った時、上着のポケットからすべり落ちたのだろう、今度行った時探せばいいや、と放っておいたところ1ヶ月後、砂利の中にちゃんとあったのだ

          ☆モノに命や魂はあるのか、ないのか