ひとつの安堵 人生は選択の連続。 日々決めたことの積み重ね。 どっちにする?どっちに行こう? やる?やらない? これでよかった? いい加減に決めたかも…。 決めたことが正しかったのか?疑いたくなるときもある。 けれど… ふと自分が歩いてきた道を振り返ると、 ああ、あのとき私は、あのせいで、あんな気持ちで、こんな選択をしたのか…。 あの瞬間にはわからなかったこと。それがあとになってわかることがある。 どこかに自分なりの理由がある。 自分の中にある答えが見えて
音楽のサブスクを始めた。 他に聴く手段がないわけではなかったから、ちょっと贅沢かなあとも思ったが、 お試しで開始してみると、おすすめとして提案してしてくれる選曲も面白いしなかなか使い勝手がいい。 最近お迎えしたスピーカーの効果もあって、私の音楽環境は一気に良くなった。 先週末の朝。 ずっと続いていた近所の工事音もなく鳥の囀りが心地よかったので、なんとなく音楽はかけずに過ごしていた。 外からの音を完全オフしたら、ずっと店内にかかかっていたBGMにふと気づくように、自分
最近またnote記事が書けなくなっている。 いや、正確にいうと、書き始めるとどんどん広がっていって止まらなくなって…まとめられず記事に出来ない…(まとめる力もない…汗)。 前にも書けないときがあった。 こういうときは、この状況そのものを記事にする、に限る(苦笑)。 なんで書き始めて止まらず広がっていく、なんてことになるの? 自分に問いかけていたら、少しして答えらしきものが出てきた。 自分を観察する機会が増えている。 観察してわかることが増えている。 そう。確かに。
今の自分はご機嫌? 最近自然とそんな声かけをすることが増えたみたい。 以前の私はひたすら我慢。我慢していることにすら気づいてないタイプ。 気づいてないから変えようがなかった。 今自分のお世話が出来ている。 誰にも邪魔されていない。 安心と安全がひとつになりつつある。
何が嫌だったんだろう? 日々自分と向き合う時間を積み重ねていく。 すると、自分の中にあった〝嫌〟がどんどんハッキリしてくる。 ハッキリしてくると、言葉にしたくなってくる。 内面の言語化がまだまだ苦手って思っていても、言葉に出来るような気がしてくる(気がして終わることも…(汗))。 仕事上、定期的に学校とのやりとりがある。 子どもたちの様子を観察に行くことがあって、私自身の子ども時代を思い出すきっかけになることがたまにある。 あれやこれや周りから言われていた時期もあ
自分を見ない。 自分を押し殺す。 とにかく周りに合わせて生きる。 そうするしかなかった。 広い意味で、自分に対してウソをついていたと思う。 自分に対する偽りがあった。 小さい頃からこれを繰り返したのち、 いつだったか、 突然自分の中の自分が叫びたくなった。 もうウソをつきたくない! そこから私の癒しの旅は始まった。 すでに対人援助の仕事をスタートさせていた。 本格的に自分と向き合い、意識して自分の面倒をみるようになったのが遅かったと思う。 本当の自分を知るため
朝起きたら、海外の友人からメールが入っていた。約4年ぶり。 昨日私がその友人に書きかけていたメールを間違えて送ってしまっていただろうか?と即確認。向こうが先にメールを出していた。 思いが通じるというのは本当にある。 抱く思いはいつも整えておかなきゃ、と改めて思った朝。
言葉にはチカラがある noteに記事を書く。 書くことに関してはとかく苦手意識高め。 自分のnote記事をごくたまに読み返す。 先日もちょっと読んでみた。 そこで発見した。 私は案外キャッチーな言葉を使うな…。 意外だ。 なぜなら私は今どきの流行り言葉は好きでない。 …と言いつつ、 好きではない、と言ってる時点で、きっとそこそこ意識しているんだろうと思う。つい、反応してしまうんだと思う(苦笑)。 なぜつい反応してしまうのかと言えば、 自分がこれまで流行り
一瞬秋を感じたせいか、やっぱり北国育ちの私にこの暑さは堪える。 私の身体は厳寒の冬を覚えている。 かつて味わった、言葉になりにくい様々な感情感覚。 それらも身体はしっかり記憶していることだろう。 今日という日を大切に進もう。焦らず丁寧に扱いながら。 きっと未来のためになる。
自分が過去に書いた記事を読み返す。 ふと目に留まったとき。 スキをいただいたとき。 なんとなく気になったとき。 読み返すと、当時の自分が蘇る。 蘇り具合には、その時うまく書けていたか?が影響してしまうところが、 アウトプット下手な私には歯痒い…。 とはいえ、毎回誠実に自分に向き合って書いているつもり。 だからそれなりに蘇る。 あの時のあの気持ち。あんな感情。 とっくに過ぎ去ったと思っていたら、その味はまさに舌が記憶しているようだ。 書き残しているからこそ味わえる、
〝ちょっと深掘り〟 いまの自分、なかなかいいな。 自分でそう思う時がある。 なかなかいい、ってたまに思えるのはどういうときだろうか? ちょっと深掘り。 実は、この〝ちょっと深掘り〟と思えるときも、なかなかいいって思える。 自分の興味関心好奇心を無視しない。 掘り下げる、というさらに進もうという姿勢。 そして、何より、ちょっと、という無理は強いない、自分への優しさ。 なんと! 〝ちょっと深掘り〟という一言にすら、なかなかいい、が詰まっていた(笑)。 なかなか
自分の中の余白も大事 もともと私はインテリア関係全般が好き。 煮詰まったときのレイアウト変更や模様替えは気分転換のひとつ。 すっかり習慣となったプチ断捨離をして、それまでの物たちの住所をあっちにこっちに変更する。 すると思わぬ新たな空間が出来たり、ちょっと違った景色が見えてきたり、日頃の動線も変化したりして、なかなか楽しい♪ 他の人のアイディアも知りたくて、ミニマリストやシンプリストの方もしくは目指している方の動画配信も時々見る。 先日も、自分はなぜミニマリスト
やるべきことが何もない夏の朝。 ようやく蓮の花を見に行った。 一番の見頃ではなかったけど、まだ綺麗に咲いていた。これから咲こうとする蕾もちらほら。 いつ花開く?いつの朝に咲く? きっとそれぞれの蓮が知っている。 私は自分を研ぎ澄ましたくなった。 私自身をもっと知るために。
noteに記事を書き始めたころ。 スキの数が気になった。 本当に誰か読んでくれているのだろうか? スキがつかないとき、苦手だけど書き続けてみる、という最初の強い決意はあっけなく失われそうになった。 今は、スキの数に関わらず書き続けようとする自分がいる。 それはとにもかくにも自分のため。 note記事は、自分と向き合ったときに自分の内側から湧いてきたことを中心に書くことにしている。 時折、いろいろ事前にリサーチして、締切に間に合わせるレポートのようなものを書きたい
夏の朝。 実家の庭でブルーベリーを採った。 すでに太陽が眩しい。 照りつける太陽の下で熟れた野菜を祖母と採っていた、幼い頃の記憶が蘇る。 蒸せる暑さと立ち込める土や草木の匂い。 私の体を通じて、自然の中に存る、あの安心感が呼び覚まされる。 やっぱり都会より田舎の夏がいい。
一目惚れで買ったソファ。 使い込んだ感がある…。 突然そんなことが気になり出した。 そのソファの下に目をやれば、やや色褪せたカーペット。 こちらもなんだか気になる…。 突如として当たり前の風景が違う見え方になるときがある。 日々暮らしている家なのに、そんな体験を何度かしてきた。 こういうときって、私の内側で新たな変化が少しずつ起こってきていて、その僅かな動きを感じようとしているときなのだ。 しっくりこなくなったなにか。 これまでなんとなく気になってスルーし続け