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本当にうまくいっていないのか?


つい疑ってしまう

日頃色んな人の回復のお手伝いをしている。

支援する人、支援される人という関係…それだけではない。

自らも回復の途中にある、と時に振り返って、これまでの私自身の歩みを確認したくなる。

回復している…成長している…

と、もはや上向きしか考えられないようなときに限って、また以前と同じことをやっちまった…

そう思うことがあった途端、いっきにスタート地点まで戻された気分になり、それがきっかけで落ち込むことがある。

本当に回復しているの?
うまくいっているの?

そう思う瞬間だ。

つい疑ってしまう。

疑うって結構簡単。
だから、ついやってしまう。

回復の一滴

行き詰まったとき自分に言い聞かせているのが、

回復途中だからこそ、回復したと思ったとき、次に乗り越えられそうな不安なり課題なりが顕在化してくる、ということ。

なにかできないこと、失敗があると、ついつい、やっぱりだめだ、うまくいかないという思考に陥ることもあるけれど。

職業者として客観的にみていても、
自分自身を客観的にみつめられるときでも、

いずれの場合でも、日々自分なりの精一杯を過ごしていれば、そこから得ているものがあって、それが回復の一滴になっている。

だから、一滴一滴が少しずつたまってくると、それまで見つめることができなかったことやスルーしてきたことが、そろそろこれも解決してよ、とばかり表に出てくるのだ。

このとき、解決すべきことが出てくること自体をモンダイとしてしまうこと。

それこそ本当にもったいない。

それは自分のそれまでの日々を全否定することにつながりかねないから。

もっと信じたほうがいい。

自分の力を。
自分の回復の力を。

結局全てうまくいっている!?

少なからず昨日も今日も自分を生きている。

その時点で経験時間を積み重ねているわけだし、その中には明日生きるための知恵や経験が詰まっている。

〝すべてうまくいっている〟

みたいなフレーズをみかけることがある。スピ系の本に多いかもしれない。

ただそれだけ言われてもね…と思ってしまうけれど、
こうして一日一日を見つめてみると、つまるところ本当にそうなのだと思う。

回復したい成長したいと思っていれば、もうその時点で何歩も進んでいるのだ。

私は常に回復したい成長したいと思っている。

だから少なくとも何歩か進んでる。
二歩下がるときもあるかもしれないけれど、そのときは三歩進んでるのだ。

すべてうまくいっているのだ。

だから、

まただめだ…うまくいかない…

そう思ったときには、

それって本当にうまくいってないの??

そう自分に問い直したい。

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