
B012_対立を読み解く ~キーワードは「主観と客観」~(3)
今週も無事終わりました。走り切りました。(すでに次のレースは始まってますが…。)ところで、来週、日本のとある場所で実施予定だった研修がそちらの会社で新型コロナに感染した方が多数に上ったことから、延期となりました。個人の判断が何よりも優先されるところですが、個人的には今は要警戒の時期と捉えています。
さて、、それはそうと、、眠いです。疲れが出てきました。でも、なんとか、書きたいと思います…。…。…。😪zzz
…。…。zzz
あぶないっっ!!寝ちゃうところでした😲💦💦
たぶん・・・待って下さっている方がいらっしゃる・・・(と思う)ので、頑張って書きます!♬
今回も前回の続きです。(前回を先にご覧になる方は、以下のリンクへ)
「意見」と「人」を切り分ける
前回のおさらいを簡単に。
発言者は2人。両者が互いの意見を主張し合う。そして、互いの意見は平行線をたどったまま、着地点を見いだせず、両者の隔たりが明確化するばかり。周囲の人は、発言しづらくなった雰囲気の中、どんな発言をしても一方の味方になり、他方の敵になってしまうことを恐れ、発言を控えざるを得ず、誰も身動きが取れなくなってしまう。
これが「人と人との対立」。いわば、「非生産的な対立」でした。
一方で、発言者は5人。一人ひとりが順番に意見を述べていく。それはこの場の取り決めを守る形で進んでいき、まさにその取り決め通り、5人全員が自由に意見を述べ終わった後、一通りの発言が終わり、「さて、このあとどのように進めて行こうか」といった具合である。「人と人との対立」と比べ、特段「無視しがたい不穏な対立」は生じず、しかしながら、この後どうやって進めて行こうかという点においては課題が残っている。
これが「意見と意見の対立」。いわば「生産的な対立」でした。
「本当にそうと言えるか」吟味してみましょう
まずは、この比較がお読み頂いているご自身にとって「本当にその通りと言えるか」あらためて、吟味なさってみて下さい。
「書かれたことは、たしからしく見える」は、往々にしてあります。
しかしながら、「書かれたことは常に真実とは限りません」。
それが真実かどうかを見極める姿勢を持つことは非常に重要なことです。
それは「人が言ったことを妄信しない」ということです。
違う言い方をすれば「人が言ったことをうのみにしない」ということです。
読みながら、聴きながらも「本当にそうかな?」と吟味しながら、事に触れることはとても大切です。
というわけで、こんな話をしてみます。
「人と人との対立」にだって良いところはあるのではないでしょうか。
まずなんといっても、本気度が伝わってきますよね。二人の対話からは、それぞれが「何を優先すべきと考えているか」が明確に伝わってきます。
前回の対話ではありますが、簡単に見てみましょう。
1人目は「noteを使って収益を上げるといっても、そんなことはできるわけがない。」と言い、2人目は「今日のテーマはどうやって収益を上げるかなんですから、収益を上げる方法を考えていきましょうよ。」と返していました。
つまり、1人目は「そもそも収益を上げられるわけがないのだから、そんなことに貴重な時間を費やす暇はあるのか?(ないだろう)」と述べています。分かりやすく言えば「もっとやるべきことがべつにあるじゃないか!」と言っているわけです。
一方、2人目の方は「会社が決めた方向性に沿って案を捻出するのが我々の義務なのだから、与えられた使命をしっかり果たしていこうじゃないか!」との考えが強く伝わってきます。
二人とも「何をすべきか」「何を優先すべきか」について確固たる信念があるのです。対して、他の方々はその圧倒的な熱量に押され、彼らと同じぐらいに熱く、強く言えるほど何かを確信しているわけではないかもしれません。
こんな風な見方をするといかがでしょうか。
「人と人との対立」にこそ、「信念と信念のぶつかり合い」が見られる一方、「意見と意見の対立」は何か小さくまとまってしまっているように感じられてしまう。
さぁ、いかがですか。
混乱してしまったことでしょう。
「意見と意見の対立」の方が生産的で良い対立って言ってたじゃないかと。ちがったの?と。
「悉く書を信ずれば即ち書無きに如かず」
「悉く(ことごとく)書を信ずれば即ち書無きに如かず」
「批判の目を見たず、そのすべてを信ずる(疑わない・鵜呑みにする)ならば、かえって書物は読まない方が良い。」という意味です。
それぐらい、読みながら自分の経験に照らしてみて「果たして、それは本当か?」と疑い・吟味する目は大切ということです。
それでも、「いや、私の経験に照らしてもやはり『人と人との対立』より『意見と意見の対立』の方が絶対に良い!」と思われた場合は・・・
次回もお楽しみになさって下さい♬
ちなみに、先ほどの「人と人との対立」について、前回(非生産的な対立)と異なる解釈(信念と信念のぶつかり合い)をしたというだけの話です。
しかし、このようにある行為を一面だけにとらわれず、多方面から捉えるようになるには、どうでしょう、訓練が必要な場合もあるかもしれません。
そして、多方面から捉えるようになれたら、どんなあなたになっているでしょう。
やはり、眠いと何かが起こりますね…。
気が付けば、「その確からしく見える情報、そのまま受け取って本当に大丈夫ですか?まずは疑ってみましょう?ご自身の知識と情報、経験に照らし合わせて、いかがですか。やはりその確からしく見える情報がいまだ魅力的ですか。魅力的なら、…新たな知識として思いっきり習得しましょう!!」的なことを書いていました…。
はてさて、次回はちゃんと、「見える化」や「外在化」に話を持っていくことが出来るでしょうか…。
失礼致しました…。