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疑うのは簡単。信じる事の方が難しい。
案外、答え自体はシンプルなのだと思う。
どうしようもない悪人を信じたって結果は裏切られる。
何故なら内面は悪だから。
善人の行いをしている人なら余程のことがない限り裏切らない。
信じる相手を間違えているだけだ。
ーーー勿論、善の行いのフリをした悪人もいる事を忘れてはならない。
疑おうと思えば全てを疑う事ができる。自分自身を含めて。
これはこれで自己防衛としては正しいのかもしれない。だけど、人はそれほど強くはない。人は一人で生きていけないのである。
そして、自分さえも疑ってしまえばバッドエンド直行だ。
どこまで信じて、どこまで疑うかというライン決めが大事なのだ。
自分自身、悪に落ちている自覚はあるのか?
そもそもな話、人を疑えるほどの身分をその人は手に入れたのかどうかという話。あたかも自分は信頼されているという確信がありつつ、人を疑えるのかどうかという話。
本当にその自信に根拠があるのだろうか。
自分は絶対に裏切らないという謎の自信をその人は持ち合わせているのだろうか。根拠のない自信もまた必要ではあるが、自分自身を少しも疑わないのも多少の問題を生じると思う。
最初の自己開示が必要な理由
「僕は敵意がありません。貴方と仲良くなりたいです。」
卑屈にならずに謙虚でいることは事実必要なのだ。
敵意マシマシの人に対して、本音を言う事はないだろう。
敵意というのはなかなか隠せないものだ。長い間隠すことは至難の業だからだ。嘘を付き続けるのもまた難しい。
他人には変わって欲しいけど自分は変わる気がありません。
これこそ、支配の関係であり態度としては悪だ。暴力的行いではあると思う。自分に一切の非がないと思わせた状況で変えようとするとんでもない人もいる事は事実。疑うことはだから必要なのだ。
疑うのは一種の自分を守るスキルだから。
何を信じればいいのか。答えはシンプル。
時間を掛ける事だ。一ヵ月~三ヵ月。その人のいい所、悪い所を探してみる。すぐに分かる事ではない。一年も掛かるかもしれない。
悪い所だけが出てしまい、第一印象が最悪だったとしても長く付き合っていればその反面いい所も見えてくる。逆も然りだけど。
僕達人間は答えを焦りすぎと思っている。
間が大事なんだよ、間が。
というより短時間でその人の全てを知ろうなんて無理なんだよ。限界があるし良い面も悪い面も何も分からない。
一日で答えを出せるほどの関係性なのだろうか?
とにかく、何事も焦らないことだ。じっくりお互いの事を知りましょう。
時間は有限ですけど。