今日は沼田市の花火大会でした🎇 残暑はまだまだ厳しいですが、利根川の河原では既に秋の虫たちが賑やかに合唱しています。 夏の終わりの花火はなぜこんなにも切ないのでしょうか。 長いようで短かかった私の夏の終わりと、重なって見えたからかもしれません。
結局、思うような釣果に恵まれませんでしたが、川のせせらぎの中、深く静かに思索にふけり、ここ10年の出来事、喜びや苦しみの意味を理解し、また一つステップを上ったのだと感じられました。 帰路、八高線からののどかな景色は、私を温かく包み込み、全て肯定してくれているようでした。
もうすぐ記憶喪失になっちゃうんだ その前にお礼や謝罪をしたいけど 相手が多すぎて間に合わないな 困ったなどうしよう 記憶を無くしても生きられるかな 生きる意味ってあるのかな キミならなんて答えるかな そうかキミのことも忘れちゃうのか 切ないってこういうことなのかな
切なさを表現したくて… ふと思えば、 雨の日は楽しいことを 晴れた日には切ないことを 人は何かを求めていて…
夜中に切なさが込み上げる時、切なさで涙が滲む時、その思いはどこからやってくるのだろうか?過去なのか現在なのか未来なのかわからず、私の切なさは浮遊し続けているように感じる。浮遊しながらハッと我に返る。ああ、私が生きているのは今なんだっけ。https://youtu.be/A0kunasQJfc?si=oawWfz09KsHV4R3I