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叔母ん家連想日記。 気を張らずにゆるりらと。 猫
日記を書くのは2週間ぶりになります。
2週間ぶりの日記更新です。ほんの少しばかり忙しかった。
少し体調が優れないというのと、明日も早いということで、20分ぐらいで書ける内容の記事になります。
まぁ最近は文字数2000〜3000の記事が続いていて。それが断続的な更新になっていた理由かもしれない……ということを鑑みると、短い記事にも短い記事なりの徳があるのかもしれない。
少なくとも、“軽く書いてもいいんだ”という意識は自分から筆を執ることに対する億劫さを和らげてくれるだろうと信じて、今日は少しゆるめに書きます。
親戚の家に、猫とエスカレーターの話。
親戚の家に行った、ということは前回の記事で話しましたね。
転職の関係で遠くの地方に越していく親戚、その人を送るために叔母の住まいに母方の親族が集まり、ご飯を食べたり。和気あいあいとした時間を過ごしたりしました。
たったそれだけの話なので、この記事に書くか迷ったんですが、前回の記事で“その時に撮った叔母家のの猫を貼る”と約束してしまったので、触れさせていただきます。
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動物はいいですよね、心がなごみます。ただ自分が飼うとなると少し抵抗があって。
自分には愛でる動物というものは、その瞬間その瞬間、刹那に浮かび上がる景色、現象であって欲しい、という思いがあるんです。
駅前のハトとか、ネットに流れてくる可愛いウサギだとか、人生の一瞬間に快を与えてくれる背景としての生物とは違う。
近所のいつも同じ場所でひなたぼっこしている老いた猫。よく遊ぶ友人の家で飼われているハムスターのような、個体として自分の人生に存在している動物たち。
それらは自分の日々に、豊かさと確かな充足感を与えてくれると知っています。自分にとっての大事な人、大切ないつもの景色。それらと同じように。
でもその幸せは、喪失の悲しさや、その予感とは切っても切り離せないじゃないですか。だから苦手なんです。ペットを飼うのは……
人生を真に豊かにするものは、つねに悲しみや切なさと裏表である。という意識が強いのかもしれません。
その悲しみを避けようとする事ではなく。悲しみを了解しながらも、悔いが残らないよう限られた時間を全力で愛す、というのが正しい生き方だなんてことは分かってるんですけど。
それでも自分は弱いので、自分から積極的にペットを家に迎え入れたりはしない……という形で、人生の悲しみの総量を減らそうとしてしまいます。おれは卑怯な人間でしょうか。
話がむっちゃ脱線してビビった。脱すると言えばそういや
エスカレーターの“歩行する側と立ち止まる側”を間違えました。いやうっかりじゃなくて。
そう、叔母の家に行った時の話はまだ続いています。自分の住まいは大阪に、叔母が引越し前に住んでいたマンションは京都にあったんですが………
逆なんですね、エスカレーターの立ち止まる側と歩行する側が
結構ビビっちゃいました。そりゃ関東あたりだとエスカレーターの立ち位置が変わる、東京の人間は左側に立つ…………という認識はありました。
しかしまぁ……隣県で変わる事ってあります?いやビビった。調べてみると右側立ちが常識の県って相当マイノリティ。ほとんど大阪だけなんですね………知らなかった……………
まだまだ続くぞ、叔母の家に行った時のトーク。
親戚が農家をやっていて、無償でコメを20キロも貰ってしまいました。とてもありがたい、お恵みだ……
…………安物のキャリーバッグで自宅まで持って帰る必要さえなければ。
いや気持ちはありがたいんです。ありがたいんですけど…………20キロを持ち上げた時のあの絶望感。無理です助けてください母さんごめん堪忍してくれ……………叔母の家を出立するまではそういった気持ちでいっぱいでした。
実際は言うほど大変ではなかったです。キャリーバッグが壊れないかはすごく心配だったけど、文明様々ですね。エスカレーターやエレベーターのおかげで、ほとんど持ち上げて階段を昇る必要はなかったので安心しました。
ただそれと同時に一切のバリアフリー的配慮のなされていない公共施設だとかの存在を意識できて、その不便さを学べたりもしましたね。
昨今はだいぶ改善されているんでしょうけど、それでもやはり車椅子などでは介助なしに移動することの出来ない場所はゼロではなく。
特に大きな路線の乗り換えに必要な要駅なんかで、大階段をキャリーバッグを抱えて登らなきゃいけなかったのは、バリアフリーの観点から見て本当に問題だと思います。(階段を通らずに乗り換えするためには、駅を出て向こう側の入口改札まで大きく遠回りする道しかない)
自分が高校時代から今まで毎日通学に利用している駅ですから、自分がどこかのタイミングで歩けない身体になったとしたら、そこで学業を修めることを諦めなければならなかったかもしれない。そういった可能性を思うと、はやい改装を望むばかりです。
結局長くなっちゃった。
結局それなりの長さになってしまいました。20分で書き切るつもりが50分に……でもこれぐらいの内容なら一時間で書ける…………と分かって、意識して時間を捻出しやすくなったかもしれません。
今回はちょっと語り口を変えてみました。前回までのですます調より堅苦しさが減って読みやすいかなと。可読性のために柔らかい自然体な文章を意識してみたつもりです。
自分の記事に少しでも興味関心を抱いてくれたあなたの負担が少しでも軽くなったなら幸いです。読んでくれる人たち、反応をくれる人たちには感謝しかないので。
いつも読んでくれる方はこれからもよろしくお願いします。この記事だけでいいや……って方とも、それでもまたどこかでお会いできる機会があることを勝手ながら祈っています。それでは。
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