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シャンカラ『ブラフマ・スートラの釈論』で「されど有〔すなわち梵(私注:ブラフマン)〕に〔他の物よりの〕生なし。不合理のゆえに」⇩ これはブラフマンは他の物から発生するものではないというのを説いている。ブラフマンは有を本性とするから ⇩ https://amzn.to/3CxDQRW

シャンカラ『ブラフマ・スートラの釈論』で「されど有〔すなわち梵(私注:ブラフマン)〕に〔他の物よりの〕生なし。不合理のゆえに」 ⇩ 前に20頁以上も議論しておいて、みたいな投稿したけれども、もっと短い議論で結論を出してる所もあった ⇩ https://amzn.to/3CxDQRW

「測りし得ないものとなるブラーフマンが心臓内に宿っている」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.3.24)

金倉圓生『ブラフマ・スートラの釈論の全訳 下』から読み始めたら、20頁以上も哲学的思考をして結論が「空(私注:虚空)は梵(私注:ブラフマン)の結果である」だけ。シャンカラがインド最大の哲学者なことを理解した! ⇩シャンカラの他の著書 https://amzn.to/40oYgVe

シャンカラのブラフマ・スートラの釈論、買うと高すぎる(1万オーバー)ので借りたんだけど、あまりに分厚いから、読めるのか不安。 シャンカラ=8世紀に32歳の若さで亡くなった。不二一元論を大成する。インド最大の哲学者。 おすすめ本 ⇩ https://amzn.to/40qSanc

シャンカラ 原典、翻訳および解説

「人間の形になった真我もまた内部の支配者たるブラーフマンではない」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.20)

「食べている個我と無関係な真我というムンダカ・ウパニシャッドの比喩」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.3.7)

「個我もまた安住の地であるブラーフマンではない」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.3.4)

「サナトクマーラ師が無限なるもの(ブーマン)とはブラーフマンだと述べている」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.3.8)

「見えない存在などの諸性質がブラーフマンである」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.21)

「親指大で心臓内に鎮座するブラーフマンだと学習可能なのは人間のみだとヴェーダ聖典は見なしている」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.3.25)

「バダリ大師によれば常に瞑想し続けるためにヴァイシュヴァーナラはブラーフマンだと言える」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.30)

「ブラーフマンの知識の源としての聖典」(1.1.3)/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』

「心臓内の小さな空間がブラーフマンであるのはよく知られている」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.3.17)

「そして種々のブラーフマンの不滅などの性質のゆえに無限なるもの(ブーマン)にふさわしい」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.3.9)

「ブラーフマンであると悟る者はいかなる行為からも失う物はない」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.30)

「マントラの手法は万物をブラーフマンの一つの脚である等と表すことを可能にする」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.26)

「宇宙の起源について」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.2)

「万物に内在するものは神であり、その性質は既に教示している」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.20)

「悟りを得た聖賢方によっても安住の地はブラーフマンであると知られている」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.3.2)

「食べ物を食べる人の他にそれを観ているものがいるがそれは誰か?」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.9)

「サ-ンキヤが説くプラダーナ(根本原質)は真我ではない」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.8)

「ジャイミニ大師によればヴァイシュヴァーナラをブラーフマンであると瞑想の対象としても矛盾はない」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.28)

「心臓内の空洞に入ってきた二者が個我とブラーフマンであることの救済について」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.12)

「ガヤトリ・マントラに集中することで心をブラーフマンに専念する方法が教えられている」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.25)

「脚について記されていることからして、光はブラーフマンである」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.24)

シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』 第一篇 第一章 前文

「スムリティでヴァイシュヴァーナラが至高の主を意味する有様として言及される故に神である」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.25)

「ヴァイシュヴァーナラがブラーフマンであるのは聖典にて同じ意味で理解され使用されている」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.24)

「プラーナはブラーフマンである」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.23)

「聖典にそれなるお方が至福を有するブラーフマンだと言及されているからだ」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.15)

「ウパニシャッド聖典の智慧によれば純粋意識が原因とする考えは同じだ」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.10)

「ブラーフマンが万物の源であり、個我もプラダーナも相違している」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.22)

「ブラーフマンの住居が心臓内の極小とする表現は瞑想する人のためだ」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.7)

「ブラーフマンについて熟考する」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.1)

「個我は有限性と不可能性の故に目の中のブラーフマンとはなり得ない」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.17)

「サーンキヤで言及されるプラダーナは内なる支配者であるブラーフマンではない」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.19)

「智者(アートマン)たる食べる人とはブラーフマンである」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.10)

「ブラーフマンと個我とは用語からして違うからだ」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.5)

「決意次第でブラーフマンと自らを同一視できる」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.2)

「ブラーフマンは天の中?それとも天の上に存在するのか?」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.27)

「ブラーフマンに到達しようとする者とその対象について解説されているから個我とは異なる」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.4)

「プラーナがブラーフマンであるのはそのように理解されているからだ」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.28)

「心静かにブラーフマンを瞑想する」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.1)

「プラーナがブラーフマンであるのはいくつもの解説が書かれているからだ」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.29)

「ウパニシャッドに記されているように神は個我とは異なる」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.21)

「至福なるもの(アーナンダマヤ)がブラーフマンである」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.12)

「神が私たちのように幸不幸を体験するのか?の答え」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.8)

インドのヴェーダーンタ哲学

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