「ウパニシャッドに記されているように神は個我とは異なる」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.21)
はじめに
以前にも、16節にて触れましたが、復習として、他のものとは真我(アートマン)ではないもの、つまり、個我であり、ジヴァートマンと呼ばれている真我ではないもの、ジーヴァという個別化したものである私たちは、輪廻転生(幻想・夢ですが)に行き着くことになっているように知覚しています。
16節での「至高の自己」とは絶対者ブラーフマン、つまり、神様となります。
シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』第一篇第一章二十一節
21節 そして、神は、(個我との)違いについて言及されているので異なる。
内なる支配者である神は、太陽の肉体などと自己同一化した個我とは異なる実体として存在する。なぜなら、その相違点は、別のウパニシャッドで次のように述べられている。「太陽に住みながら太陽の中にいるもの、太陽が知らないもの、その肉体が太陽であり、内側から太陽を制御するもの、それが内なる支配者、あなた自身の不滅の自己である」(Br III. vii. 9)「太陽の中にいる」および「太陽が知らないもの」と言うことで、内なる支配者は、知るものである太陽とは異なり、知性と同一化した個我であることが明確に示されている。
(*114)intellect: 魂が「私は知っている」と考える同一化による認識の手段。
ウパニシャッドの類似性からして、この実在が(Br.III.vii.9の)まさに太陽の内側にいるとしてここ(Ch.I.vi.6-7)で言及されているお方であるべきなのは道理にかなっている。したがって、神自身がここで語られていることが証明される。
最後に
上記に引用されたウパニシャッドをご参照ください。
『チャーンドギヤ・ウパニシャッド』の6節からすると、仏像が全身金色に輝いているのはわかる気がします。
今回のぼやけた画像に、デカルトの言葉を使いましたが、ウパニシャッドに記されているように、神様つまりプルシャは、ジーヴァという個別化した我が思っている我だとする個我とは違う、真に実在する存在である神様がいらっしゃるということを述べている節だと思います!
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