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「ウパニシャッド聖典の智慧によれば純粋意識が原因とする考えは同じだ」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.1.10)


はじめに

『ブラフマ・スートラ』は、ヴェーダーンタ哲学の根本教典だと言われていて、まとめられたのが400年から450年頃だとすると、今から約1600年ぐらい前になるようです。

『ヨーガ・スートラ』も今から約1600年ぐらい前にパタンジャリ師によってまとめられたと言われていますので、だいたい同じ頃にまとめられたと言えます。

この『ブラフマ・スートラ』というヴェーダーンタ哲学の根本教典を、今から1300年ほど前にこの世に現れたシャンカラ師が解説したものが今回、翻訳に取り組んでいる本になります。

シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』第一篇第一章十節

10節 なぜなら、(さまざまなウパニシャッドから集められた)知識は(意識が原因であることに関して)同じだからだ。/種々のウパニシャッド聖典に記述されている智慧によれば、純粋意識が万有の根本原因であるとの考えは同じだからである。

もしウパニシャッドでさえも、論理学者の学派と同様に、原因が多様に理解されていたとしたら、つまり、ある場所ではブラフーマンが原因であり、別の場所では無感覚なプラダーナが原因であり、さらに別の場所では別の何かが原因であったとしたら、ヴェーダの「聴覚」などという記述は、プラダーナが原因であるという説(理論)に適合するように解釈されることもあっただろう。

しかし、そのような解釈の違いは生じない。すべてのウパニシャッドにおいて、意識は原因として一様に捉えられており、例えば、次のような文章である。「燃えさかる火から火花がさまざまな方向に飛び散るように、この自己からすべての感覚と器官がそれぞれの場所に発生する。感覚がその主宰する神々を起源とし、神々が出現した後に感覚の対象が出現する」(Kau. III. 8)、「まさにそのような自己から、空間が生まれた」(Tai. II. i)、「まさに自己からこのすべてが生まれた」(Ch. VII. xxvi. 1)、「自己からこの生命力が生まれる」(Pr. III. 3)など、すべてのウパニシャッドは自己を原因として明らかにしている。

そして、「自己」という言葉は意識のある実在を意味していると述べた。このこともまた、ウパニシャッドが有効であることの大きな証拠である。目などが色などに関する同じ種類の知識を与えるように、ウパニシャッドもまた、自己が宇宙の原因であることに関する同じ種類の知識を与えるのである。したがって、全智全能のブラーフマンが宇宙の原因であることは、(与えられた意味の)傾向の統一性から導かれる。

ブラーフマンが宇宙の原因であることを証明する理由がこれ以上あるでしょうか?

最後に

ここでは明確には述べておりませんが、意識あるものが自己つまりアートマン(真我)であって、その対象であるものが意識のないプラナーダ(根本原質)だとウパニシャッドに述べているからそうなんだ、となっています。

現代的な表現で言うならば、智慧ある者たちはここに書いてあることを読めば理解できるだろうけども、もし、理解できない者たちはここに書いてあることを仮説として自らの人生の中で実証実験しなさい、となるのでしょう。

頑張りましょう!

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