見出し画像

「ブラーフマンの住居が心臓内の極小とする表現は瞑想する人のためだ」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.2.7)


はじめに

分かり切ったことではありますが、いくら心臓内にブラーフマンの住居があるからといって、解剖学的な見地からすると誰も見つけた人はいない。そして、その大きさは極小でありかつ宇宙よりも大きいとされるウパニシャッドの記述には誰もが疑問に思うことでしょう。

その表現はどういうことかについて、シャンカラ師が解説しています。

しかし、心臓移植によって、移植された心臓の持ち主の記憶がある瞬間によみがえるという話しは、とても興味深く、心臓という物体ではなく微細なものに心素という記憶が宿っているというウパニシャッドの記述からすると、場所的にはそういうことなのかも知れません。

シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』第一篇第二章七節

7節 もし、住まいが小さいからであり、住まいがそのように言及されていることから、ここでは至高の自己が教えられていないと反論されるならば、私たちはこう言います。いいえ、これは空間の場合に見られるように、瞑想のために行われるからだ。

Arbhakaは小さい(極小)、okasは巣(住処)を意味する。「これは心臓の中の我なり」(Ch.III.xiv.3)に述べられているように、最奥なる自己は限られた住処を持ち、ウパニシャッドは「米や麦の一粒よりも小さい」(同上)という明確な言葉でその微妙さに言及しているため、煽り棒の先ほどの大きさ(Sv.V.8)の肉体化された肉体を持つ魂がここで説かれているのであって、遍在する至高の自己が説かれているのではないと主張された。その批判には反論しなければならない。これに関して私たちは言う。それは欠陥ではありません。空間的に限定されたものに対して遍在性を主張することはあらゆる観点から不可能であるが、全地球を支配する王がアヨーディヤーの王と呼ばれることができるように、遍在するものの場合には、あらゆる場所に存在するゆえに、ある意味で限定された存在と語ることは可能である。

反論相手:また、どのような立場から、遍在する神は、小さな住まいと極小性を持っていると語られるのですか?

ヴェーダンティン:私たちは、これは瞑想されるためにこのように宣言されていると言います。その神は、そのような微細さといった一連の性質を有しており、ちょうど(主である)ハリがサラグルドマ(石の象徴)の上で礼拝されるように教えられているように、心臓の蓮の中で瞑想されるように教えられているのです。(ウパニシャッドの教えによってもたらされた)知性のある状態が、そこに神を垣間見る。神は遍在するが、そこで礼拝されると慈悲深くなる。そして、このことは、空間になぞらえて理解されるべきである。空間が、遍く広がっているにもかかわらず、針の穴との関連性という観点から、限られた居住地と微細さを持っていると言われるように、ブラーフマンの場合も同様である。このように、限定された居住と微細さが瞑想のために宣言されているが、これらは本当の意味ではブラーフマンに属していない。これにより、ブラーフマンは心臓を住処としているが、心臓はさまざまな肉体によって異なるので、オウムやその他は異なる住処を持つが、数が多く、肉体によって制限され、無常であるという欠点があるため、ブラーフマンもそのような欠点に悩まされるのではないかという、この問題で生じる可能性のある疑問は解消される。

最後に

今回の第一篇第二章一節にて引用されているウパニシャッドを以下にてご参考ください。

それが心臓内にあるわがアートマンである。それは米粒よりも、あるいは麦粒よりも、あるいは芥子粒よりも、あるいは黍粒よりも、あるいは黍粒の核よりも微細である。しかし、また心臓内にあるわがアートマンは、大地よりも大であり、虚空よりも大であり、天よりも大であり、これらの諸世界よりも大である。

(Ch.III.xiv.3)岩本裕訳

今回の七節を要約すると

心臓内に住まいするなどのように居所が小さいとか、その大きさが極微であるとの記述があるために、聖典中の記述はブラーフマンについて言及しているわけではないことに対して、私たちはそうではないと反論する。なぜならば、そういった記述は瞑想のためにされたのであって、壺の中や針の穴などのような空間と同じことだからだ。

となるだろう。

たとえば、水で喩えるとすれば、利根川の水だろうと荒川の水だろうとミシシッピー川や大気中の水蒸気だろうと、同じ水だろうといういう考え方になります。つまり、H2O(小さい2ができません)は同じだとなります。

このような考え方で、地球の空という空間や火星の空の空間のような大宇宙の空間も私たちの心臓の空間と同じであって、ブラーフマンを心臓内で発見しても宇宙の中で発見しても同じブラーフマンなのだとして、同じ質だとするので、一番身近なブラーフマン(神様)を私たちの内側(心臓内という象徴)に見出そうというのがインド古来からのやり方として採用しているようです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?