"なるようになる"が、慰めや、諦めとして使われてるよね、、 "砂糖をお水に入れたら砂糖水になる"なんだよ。本当は笑 なるようにしかならない😹笑
世界平和はふつーにガチだよ わたし、めちゃめちゃ、それ話せる笑 鈴木俊貴先生❣️❣️ ほんとにわたしを見つけて欲しい。。😹 "個人個人"が【頭の中】を見ているから分離や対立が起きちゃうの。 《頭の外》(事実)を観てれば、ふつーに当たり前に分離しないよ🌟笑
理には現実には存在しない言葉と概念に依存する知とがある。
物を収めるべきところに収めるように、我々もこの世界の法則を知って、それを腑に修めることで心の整理を付けられる。例えば、この世界は自分の思いが生み出しているということを理解すると自分の心を整えようと思えるようになる。整理とはこの世界の理(ことわり)を知って自分自身を正すことである。
どんどん、変わっていく。どんどん曲も私も命も景色も全てが帰化していく。私であって神様であってっていう方向に統合していく。宇宙と統合していく感覚。抵抗しないことが今の課題。
中秋の名月から満月の空 慈悲心や愛が浮かびます 偏見に反感 たとえ避けられても 大我だからこそ 大我でなければの 忍耐を伴う優しさやしなやかな強さ 真だから傷も怖れない利他の縁起 そこにまた研磨あって 無償の愛 泡沫にある 軽薄な虚ろいを隠した いつわりは さよなら
「のぞむ」。「ウォント」ではなく「シー」。臨むとは観察すること。力を抜いて観察していると、自然と物事の理が見えてくる。理に従って生きれば、悠々と生きていくことができる。ウォントで「のぞむ」と肩に力が入り焦点が狭まってしまう。シーで静かに臨めば、今すべきことがすっと理解できる。
この世の中に、この世の理(ことわり)というものがもし存在しているとするならば わたしは、無理なく気楽に流れるがままに生きる ことを選択するであろう 何にも抗うことなく、この世の道理に従い、ただただ流れるままに生きる まさに無為自然
どのコトワリに 従って 生きるのか 在るのはただ それだけだ