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カッコにくるんだ「理」を探ってみる〜かたち→(理)→印象〜

「かたちの中に理がある」

ヨガの中には、全身で三角形をかたち作る「Trikonasana」というポーズがあります。

いまレッスンを受けているヨガのTrikonasanaは、Wikipediaの写真とは若干の違いはありますが、いずれにせよ全身を使ってバランスを作っています。

最近あらためて感じるのは、「かたちの中に理がある」ということ。

まずは身体を動かして三角形の「かたち」を能動的に作り、どこかに力の偏りがないように、あるいは曲がったりしないように全身に均等に力がかかっているように気を配ります。

すると、全身に均等に力が分散されている意味で「かたち」が整ってゆくとそれぞれの部位に働く上下、左右の力のベクトルが互いを打ち消しあって、身体の重さを感じなくなるというのか、不思議と身体が軽くなります。

その状態から、力のベクトルが互いに打ち消しあう意味での「調和」を保ちながら、身体の可動域を広げてゆくと、自分の身体は「どこまでも伸びてゆける」というのか、固体というよりも自由に流れることのできる液体に近い感じがします。

もちろん、自分の身体の状態は日によって異なるため、毎回がバランスするとはかぎらないのですが、それでも身体が軽く感じる時の身体の「かたち」には、どこか力強く伸びやかな印象があります。

かたちの中に理があり、理は印象として立ち現れている。

かたちと印象を「理」が介在しているとしても、私たちは介在する「理」の存在を意識することなく、カッコ(括弧)にくるんで「かたちの印象」を捉えていることがほとんどではないでしょうか。

私は「このかたちのどのような要素やつながりが、抱いたような印象の源泉なのだろうか」と問いを立ててみて、カッコにくるんだ「理」を探ってみるのが好きなのです。

人の心を強く動かす水と、そうでない水がある。(中略)今日の都市や建築を見るとき、広場、街路、モール、あるいは屋内化された広場的大空間に、水を取り入れた例がたくさんある。しかし、ペイリイ・パークやヘネラリーフェと同じ素材の水を使っていながら、水の持つ魅力を全くひき出していないものが、あまりにも多い。水を生かすためには、設計上忘れてはならない原理があるはずである。

鈴木信宏『水空間の演出』

では、私たちの心を動かす水には、そもそもどんな水があるだろうか。私たちは水に対してどんなイメージを持っているのだろうか。中でも、心を強く動かし、建築の中にドラマをつくり出す水のイメージは何であろうか。そして、それら水のイメージが、建築を構成する物理的要素に起因するところがあるとすれば、それらの直接的、間接的な要因は何であろうか。また、水のイメージを鮮明に印象づけるためには、物理的要素をどのように操作すべきであろうか。そのための演出目標を何におけばよいのだろうか。これが本書が答えんとする基本的な問である。

鈴木信宏『水空間の演出』

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