石原清一

人の幸せとは? 世界中の人が幸せを目指して努力しているのに、悩みは複雑になっているリアル。 もしかすると、「目指す幸せ」が間違っているのかも。 一人の人間として感じた幸せへのヒントを、自分自身が忘れないように書き残しています。 PL信仰三代目。布教師。宮崎県延岡市在住。

石原清一

人の幸せとは? 世界中の人が幸せを目指して努力しているのに、悩みは複雑になっているリアル。 もしかすると、「目指す幸せ」が間違っているのかも。 一人の人間として感じた幸せへのヒントを、自分自身が忘れないように書き残しています。 PL信仰三代目。布教師。宮崎県延岡市在住。

最近の記事

「目標が目的化する」生き方は危険かも

イラっとする。 たまにあります。 あなたはどうですか? 要は 「自分」を変えさせられることに抵抗している 「反応」かもしれませんね。 経験則として思うのは、 イラっとして、良い展開は無いということ。 なので、もし イラっとしてしまったら、 「そう」気付いたことを「神」に感謝して、 心を切り替えて決意しなおして、 自ら進んで喜んで関われば、 何ということも無いことだったと体験できるしょう。 そして、 心を向けて関わるなら、 ちょうど良い関りになっ

    • 子供ができると夫婦仲が悪くなるってどうよ

      夫婦がしんから仲良く暮らす方法とは? 無い訳ではないが、 あるとも言えない。 私の過去40年以上のカウンセリングの経験則で言うと、 そういうことだと思うのです。 あなたはどう思いますか? まぁ、そもそも 仲が良い状態っていってもいろいろですが。 あえて言うなら 人間性を尊敬し信頼しあえる関係 でしょうか。 それは難しい、かな。 自由ですからねぇ。 最近のよくあるさまざまな調査結果を眺めていると、 「結婚してまあまあ順調にいっていた二人の関係が、子供

      • 意欲は湧かせられないものです

        今日の何気ない会話でのこと。 「意欲が湧かない」 そんなことを話す人が周囲に多くなっていると聞きました。 そして、 自分も含めて話題の人たちもみんな六十代ということに気が付いた訳です。 これは問題です。 「人間の三大欲求というのがありますけど、食欲、睡眠欲、性欲ですね。基本的な生理的欲求とのことです。その欲求が満たされていると意欲が出るらしいですよ」と、 ネットで知った知識をお話ししながら、 ふと、 「初老以降になると、三大欲求って、全部低下したりして」と、

        • 「みんな幸せ」は実現可能なのだろうか

          世界中の「みんな」が 「幸せとは自分の思い通りになること」だと、 自然に思っているものです。 別にそう思うことは悪いことではありません。 どう生きようと、犯罪以外は、人は自由ですから。 「私の勝手」でも「ほっといて」でも、 問題は無い訳です。 自分自身の日ごろの生活の一つ一つを振り返ってみると 意識していないときは特に 「確かにそうだな」 と、自覚できるのではないでしょうか? 自分の思い通りになることまでは思っていなくても、 「自分の心を悩ませることが

          強情な人はお好きですか?

          人間性を尊敬し信頼していた祖父母と両親の導きで出合った 私の「生き方の指針」となっている PL(パーフェクト リバティー)で、 「人生は芸術である、楽しかるべきである」と、 人として幸せに生きる「理」を知りました。 人の幸せとは何か。 その人生の目的を明確にイメージできることって 本当にありがたいことだと思うのですよ。 人生目的に向かって目標が授かって生きていくのですから。 目的次第で人生って大きく変わるものです。 いつも 心を込め心を行き届かせて生きる

          強情な人はお好きですか?

          「したいことをしたい」が叶うと幸せなのか?

          したいことを、 したいときに、 したいように、 したいだけ、 したい。 それがかなっているときに 「幸せ」 ということらしいです。 気持ちは分かりますけど、 その「幸せ」は 無理があるかなぁって、 私は思うのですよ。 あなたも「そう」思いませんか? でも、それが幸せだという感覚が潜在的にある訳です。 「潜在的」ってところが悩ましいですね。 知識としては知っているけど、 感覚が「そう」ということですから。 なので、 自覚のないままに 些細な

          「したいことをしたい」が叶うと幸せなのか?

          避けられるから困っていない?

          振り返ってみると、 私が駆け出しの頃、 夫婦間だけでなく嫁姑や親子関係、仕事場の人間関係など、 「困った」 ということで、 結構な数、相談を受けていました。 そして、 その関係を修復するために努力されていた方が多かったような気がします。 あれから40年たった現在はというと、 そもそも 「相談する方」が激減。 要は 「困ってません」 と いうことらしいのです。 それはそれで結構ですよね。 困っていないのですから。 ところが 「最悪の状況」になっ

          避けられるから困っていない?

          努力があってこそ幸せです

          主観で生きていることを思えば、 バランスを意識していないときは 私たちはみんな 「我欲」で生きている訳です。 自分の思いや都合や好みを優先している感じ。 それって、 バランスを意識していない生き方なので 関わる「世界」でバランスが悪い生き方になっています。 生きているとは、 気付いて思考し言動をするということ。 一つ一つのさ細な気付きに、 目標というか念願というか、 そんな思考が起こり、 その実現に向けて生きているということ。 その一つ一つの「今」

          努力があってこそ幸せです

          現実が「神」???

          言うことを聞かない子供に対して 悩んでいる訳です。 こんなとき、 どう対応するかで、 自分の癖になっている「思い込み度」が分かります。 子供が小さいときと、大人になったときでは、 もちろん対応が変わるでしょう。 でも、 言うことを聞かないという悩みでは同じな訳です。 子供が大人ならば、 言っても無駄とか、 言うと喧嘩(けんか)になってややこしくなるから というような理由で「諦める」かもしれませんね。 小さな子供ならどうでしょう。 どうでもこうでも親

          現実が「神」???

          人生目的が現実を決めている

          どんな人も日々、 さ細なことから大きなことまで 念願や目標を持って 努力して生きている訳です。 ですよね? そして、 かなうと喜び、 かなわないと落ち込むことを 繰り返しているのかもしれません。 生きるってその連続ですよね。 でも、 よくよく考えてみれば分かることですけど、 それは人生の通過点であって、 人生の目的では無い訳です。 なので、 本当は かなおうと、かなうまいと 人生が終わってしまう?! なんてことは無い訳ですよね。 知らない

          人生目的が現実を決めている

          靴の置き方

          ところで、 玄関に入り、 靴箱に靴を入れるとき、 どんな入れ方をしていますか?  もしかすると、 靴箱があっても、 そのまま玄関に置く人もおられるかもしれませんね。 そんな人も、 靴はどんな置き方をしているでしょうか?  毎日の、さ細なことかもしれないので、 案外、意識していなかったかもしれませんね。 玄関に行って、見てみると分かることがあります。 自分の靴の置き方、 そして、 例えば他の人の靴の置き方を改めて見てみると、 その人の「日ごろの生き

          靴の置き方

          恥を知ることの大切さ

          人は自由です。 なので、もめるのかもしれませんよね。 だって、一つになれませんから。 でしょ。 いつも自由に生きているのなら、 「したいことをしたいようにしたいだけしたい」 って、なっています。 でも、 本当は一つになりたいわけですよ。 そう、円満融和。 平和です。 もめるのは不本意です。 円満融和が実現するには 「したいことをしたいようにしたいだけしたい」 ではなくって、 「全体」にとって必要なことを選択し続けなきゃ、ね。 その時その場、

          恥を知ることの大切さ

          「願いがかなうと幸せ」かどうかは分からない

          「願いがかなうと幸せだ!」 と思う訳です。 分かります。 私もそう思っているときが多いですから。 でも、 こういう生き方になっていると、 「かなわないと不幸せ」 という生き方に自然となっています。 私は、「怖いなぁ」と思うのですよ。 大きなことだけでなく、 日常のさ細な「今」も、 もしかすると 「願いがかなわない」ことが 結構多いかもしれませんよね。 関わる「世界」が広がると広がるだけ、 かないにくくなるかもしれません。 過去を振り返ってみると

          「願いがかなうと幸せ」かどうかは分からない

          「誰でもだまされる」かも

          だまされる「事柄」は違っても 「誰でもだまされるかもしれないなぁ」 と、思ったのです。 例えば インターネットのメール。 以前から「?」というメールはありましたけど、 最近は本当に良くできていますね。 いつも使う銀行などのメールなので、 よくよく見ていないと、つい、いつものような感じで 開いてしまいそうになりますから。 こんなことができるって、頭が良いのでしょうね。 私にはできません。 優秀な頭脳をもっと世のため人のために貢献できることに 使えばよい

          「誰でもだまされる」かも

          「友達がいない」は普通です

          「友達がいないんです」 と、 寂しそうにおっしゃる方にお会いすることがあります。 そういう人にはいつも 「私もいませんよ」 と、笑顔で答えることにしています。 あなたはおられますか? さてさて、 自分からみて「友達」という人って どんな人でしょう。 おそらく 「自分の気持ちを大切にしてくれる人」 かもしれません。 ですよね? 「大切に」という内容は 「全面的に気持ちを肯定して受け止めてくれる理解者」 でしょう。 そんな人が世の中にいるのかどう

          「友達がいない」は普通です

          「分かってるよ」は分かっていないかも

          つい、 「分かってるよ」 と、 言ってしまう人。 その生き方、 あぶないです、ほんと。 幸せな生き方ではないですから。 本当は、 「ありがとう。そうですね」 が、良いかもしれませんね。 心掛けていないと、 案外と 「分かっている」 って、 言っているものですよ。 いやいや、言っていなくても、 態度で「そう」なっていることもありますよね。 例えば、 「いってらっしゃい! 気を付けてね!」 と、挨拶されたとします。 「そんなこといちいち言わ

          「分かってるよ」は分かっていないかも