意思決定の過程が全く言語化されておらず、結論だけの主張を聞いても、全く面白く思えない。面白いのは、どのような意識の働きで、その結論を下しているのかという意思決定の過程ではないだろうか?自分自身や人間存在に関する理解が足りてないように思えてしまう。ご主張は見た感想ではないか?
KY氏やIK氏の付き纏いは本当に執拗だ。いつまで続くのだろうか?同級生という以外の共通点がない。この人達に付き纏われる理由が分からない。会話も強要してくる。価値観が異なるのに付き纏われる理由が分からない。
他者の感情に訴え、事実をはぐらかし、他者を騙す 自分自身が実行した悪事の原因はすべて他者 他者に自分自身のお世話をさせる 間接的な承認では満足できない ストーカーの信念に反する私 ストーカーという同調圧 無視すると逆情する 権利の平等の要求 私に対する敵意
【今日の一言】20240228 「嫌いなものを嫌いと言わない」「好きなものの話をする時も空気を読みましょう」例)あの人嫌い✖ あの人が好き ➡ その人以外は関心が無い、自己中? 釣り合うの?など、他人が思うことは自分と同じではない。
今や、ダイ語と呼ばれている感じだろうか。 私が好きだったこの本の中のKY語は、「MHZ」であった。 「まさかの匍匐前進(ほふくぜんしん)」なのである。 今や「やす子」が体現しているのである。 「MMHZ」マジでまさかの匍匐前進。
空気を「読めない」ではなく「読まない」。 空気を読むことは、周りの雰囲気を理解し、 場面ごとに切り替えられること。 集団生活での協調性、 自身の個性、得意なことのぶつかり合い。 大きく見ると、社会はこれで成り立つ。 空気を読まないことで、 周りに飲み込まれない人になりたい。
今年5歳になった息子くん(年中さん)。順調にKYに育ってます。本日、クラスメートのYくんに「帰らないで〜」と言われてた。が、息子は「うん、でも、僕帰らないといけないから。。。」とブツブツ言いながら去っていった。塩対応にも、程があるぞ。。。