言わなくていいことを言わない
子どもの頃、僕は正直だった。
思ったことをすぐ口に出す。好きなものは「好き」、嫌いなものは「嫌い」、親の留守中に近所の人が訪ねてきたら「今パチンコに行ってていないの」。
前言撤回、僕はバカ正直だった。
30年以上を生きてきた今では、多少なり発言には気をつけている。
嘘は言いたくない、けれども無加工の言葉をそのまま放出するのはまずい、だから言葉を選ぶ。そんなことは、人と人とが関わる社会ではザラにある。
一昔前は、“KY”(“空気を読めない人”の略)という言葉が流行った。その場の雰囲気にそぐわない言動によってシラけさせる人を、このように侮蔑していた。
僕もその“KY”の一員だったことには、一切の弁解の余地もない。
このような幼少期~10代を過ごしてきたことから、今では“KYKT”(“空気を読み過ぎて勝手に疲れる人”)に昇格した。
しかし、空気を読まないことは必ずしも悪ではないと、最近は思うこともある。
ことイノベーションにおいては、あえて空気を読まないことで、斬新な(ともすれば突飛な)アイディアが生まれることがある。
それに、人目を気にしてばかりでは当然ストレスも溜まるし、空気読みがその場しのぎにしかならず悪い方向に転じることもあるだろう。
日本は同調圧力の強い国だが、それを打開することも時には大切だと言わざるを得ない。
ところで、空気読みと似ている行動に、“言わなくていいことを言わない”がある。
逆の言い方をすれば、“空気を読まないこと”と、“言わなくていいことを言うこと”だ。
一見すると同じような行動のように思えるが、僕は違うものだと認識している。
たとえば、ものすごくダサい格好をしている知人が現れたとする。
その人が「ねぇねぇ、この服よくない?」と聞いてきたときに「いや、めっちゃダサいわ」と言うのは、“空気を読まないこと”だと思う。
一方“言わなくていいことを言うこと”とは、相手が何も聞いていないのに、わざわざ「その服、めっちゃダサいね」と言うことだ。
つまり、“空気を読まないこと”が受け身なのに対し、能動的に失言をしてしまうのが“言わなくていいことを言うこと”だと思う。
たとえが極端だったかもしれないが、“言わなくていいことを言うこと”は日常生活にたくさん潜んでいる。
「あいつがお前の悪口言ってたぞ」とか「あんたがいない日にみんなでランチ行ってきたんだよね」とか、そんなん言わんでええやん的な発言は多い。
昔の言葉にね、「知らぬが仏」っていうのがあるんだよ。あと「口は禍の元」とかね。
空気を読み過ぎず、かといって言わなくていいことを言わないのが、スマートな人間なのだろう。
なんてえらそうなことを言っているが、「言うは易く行うは難し」、これがなかなか難しい。
コミュ障から脱却するのは、まだまだ先のことになりそうだ。