個と集団
日頃よく考えることを語ってみようと思う。私にとってはとても難しいことなんだが、先達はとっくにこんなことには答えを出しているのかもしれない。
日本人は 集団の中においては小さな頃から謙虚で慎み深く振る舞うことこそ望まれる人物像であり それが礼儀でもあった。しかしここ最近はその考え方が本質的な意味を外れ、下位互換を繰り返したことで 単純に個を埋没させることが、良識ある個人のあり方のようになってしまっているように感じるのだ。
しかし1億日本人が、他者と見比べることで自分の立ち位置を決めてばかりいると、往々にして自分というアイデンティティを失うことに繋がるのだと思う。
若者はしばしば自分が何になりたいのかがわからないと悩み、さらに生まれた意味や生きている理由を見つけられないと嘆く。私見ながら日本の若者がそんなことになってしまったのは、幼いころから周囲との比較による指導ばかりで評価されていたからだと思っている。誠に情けないことに『KY』などと言う言葉が流行って、あたかも場の空気を読んで出過ぎないことが良識的であるという 馬鹿馬鹿しい価値観までが受け入れられるザマである。
さて学校教育の話をする。私は一介の美容師上がりでしかなく、教育については独学だし何ら専門的なことは習ってはいないが、学習塾で教えられていることより何倍も大切なことがあることを実際にこの目で見てきた。その観点から、今の若者に最も必要かつ最も不足しているものは、社会を生き抜く力=社会競争力 だと断言できるし、それを高めるためには集団の中で空気を読んで出過ぎないように振る舞うことではなく、しっかり自分の考えが主張できることだと思っている。
我が校の生徒に確固たる自分というものを芽生えさせ、それを育てる指導ができるなら、またそんな学校を作ることができるなら、もっと社会に貢献できる人材を世に送り出せるのに・・・と歯ぎしりをしながら、現実には何一つ具体的に変えられない不甲斐なさに身悶える。