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嫌われ者列伝・番外編上

 学生の頃、柄にもなく文芸誌を手に取ったのは、いわゆる名作揃いの文学全集や、誰もが手にするベストセラーではない、現代の小説家を知りたかったからだった。そうして、優れた作家もいれば、そうでもない(その作品が文学全集に収められることもなく、話題になることもない)作家もいることがわかった。まあ、当たり前ではあるけれど。

 まことに悪趣味であるけれど、自分なりに最低作家を選定し、その作品を読み耽ったりしたものだ。この人は本当にプロフェッショナルなのか。一体、なにゆえこの人の作品が文芸誌に掲載されるどころか、書籍化されてもいるのか。読めば読むほど不可解であった。

 その作家の名は岡田睦という。

 当時はWikipediaなんてなかったから知らなかったが、1932年生まれ、慶應義塾大学文学部仏文学科卒とある。20代後半で芥川賞に候補になり、以後ゴーストライターや無署名ライターをしながら私小説を書いた。

3回結婚したが最後の妻から家を追い出され、老人ホームに入所、生活保護を受けていた。
2010年に「灯」を発表したが以後消息不明

Wikipedia

 生前(正確にいうと、行方不明になる前)に5冊出版、その最後で唯一文庫化されたのが、『明日なき身』である。

離婚をくりかえし、生活に困窮して生活保護と年金で生きる老人の日常の壮絶。貧困のなかで私小説家は、いかに生きるべきか……。(中略)下流老人の世界を赤裸々に描きつつも、不思議に、悲壮感は感じられず自分勝手を貫く、21世紀の老人文学。

amazon説明文

 ごく最近すっかり忘却の彼方だったこの作家を名前をNOTEで見つけて、あまりに懐かしく、かつ他にも岡田睦を知っている方がいるのかと嬉しく、短編集『明日なき身』を手にしてみた次第である。古本屋でたまたま見つけるぐらいだった岡田睦を、まさかKindleで読む日が来ようとは。

 内容は、おひとり様下流老人の貧乏生活レポートである。病院通い、スーパーの惣菜を中心とした食生活、体の不調、旧友とのやりとりなど。

酒癖が悪いから、酒やめた。飲むたびに妻にからんだのも、彼女が離婚を口にした理由のひとつだ。

『ムスカリ』

 ショックで自殺未遂。10歳歳下の妻が出ていった後も、夫婦名義だった一軒家に居座っていたが、妻の雇ったヤクザまがいの不動産屋に追い出され、アパートに転居。ガスを引いていない。TVが壊れても修理代が払えない。

 妻が出ていったのは、酒の問題だけではなく、稼ぎが少ないからではないのか。そっちの方が大きかろう。

「アンカー、ゴースト、新人賞の下読み、やっぱりどれもアゴが出る」
「聞いただけで、ひどいことがわかります」
「しかし、いちばんひどかったのは、週刊誌の仕事だった」

『ぼくの日常』

 夫婦共稼ぎで、妻の収入の方が上回ることがあった、と。自分も次から次へと雑誌が廃刊になってた時期に出版業界のハシクレにいたので、フリーランスの厳しさはわかる。原稿料前借りの電話がかかってくると、決まって社長は自分に対応させたものだ。真面目に取材して原稿書いて原稿料貰うよりも、誰でもできるようなアルバイトの方が全然稼げるのだから馬鹿馬鹿しい。そんなことAIにでもやらせておけば良いのだ(もちろん、当時は生成AIは一般的ではなかった)。

 岡田さん、もっと若いうちに、動けるうちに出版業界に見切りをつけておいた方が良かった。一流大学を出て、若くして芥川賞の候補になったプライドがそうさせなかったのか。しかし、働きながらでも、小説は書ける。勉強して資格とって、キャリアを築くという選択肢は浮かばなかったのか。さらに言うと、高齢でも、清掃や警備、介護、ドライバーの仕事をしている人はいくらでもいるよ。

 それはともかく、この人は自分が妻から心底疎まれていることにまったく気がついていなかったのだ。サインが何度も、何度も、何度もあったはずなのに、決定的に離婚をつけつられ、去られるまで認識することができなかった。そうして、事が起こるとショックで自殺未遂騒動まで起こすのである。

 嫌われ者とは、ひょっとして自分が嫌われていることに気がつけないでいる人のことなのかもしれない。いや、そうともばかり言えない。たとえば、岡田さんは、最寄りのコンビニのパートタイマー(Pさんという女性)に避けられていることが、気になって気になって仕方がないのである。

最近、その"コンビニ"のレヂ打ちを彼女がやっていて、自分も行列に並んだ。二、三人前になると、誰それさん、ちょっと替わってよといい、事務室に入ってしまった。こういうことが四、五回あった。また、これも近頃、店に入ってゆくと、女店員一人だけで、客にコピーのとり方を教えていた。自分、誰かいないの、と声を大きく出した。奥の事務室からPさんがドアをあけた。自分を目にすると、ドアをしめて引っこんでしまった。なんだろう。自分、男ということもある。ましてや、晩稲おくてなんで、おなごの好き嫌い全然分からない。女を買ったことがない。それに、これといった証拠がないので困る。Pさん、些か下ぶくれなるも、なかなか綺麗な人である。

『明日なき身』

 60過ぎてオクテとか、おなごの好みがわからぬとか、女を買ったことがないとか、何なの、この思考回路。

 どうやら、いや確実に自分は避けられているが、なにゆえに避けられているのか、それがわからない。それが読者にも分からないのは、もちろん作者に見えていないからである。こんな何気ないエピソードでも、面白い短編のネタになりそうなのに、単なる老人の日記になってしまい、さらに最後の一行が気色悪さを煽り立てる。老人ではなく、Pさんの方に同情してしまうのだ。

 そもそも、×3の冴えない年寄りがなんで「なかなか綺麗な人」Pさんに好かれると思ったのだろうか。好かれる要素など微塵もない。資産もない、キャリアもない、未来もない、ユーモアのセンスもない、若さもない、セックスアピールもない、そんな自分が見えていない、そもそも面白くも何ともない生活保護の年寄りが。

 しかし、この年寄り、自分から見るとなかなかに面白いのである。

(続く)

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