食べるは楽しく!思いがけない出来事~人脈作りは突然に!~
先日はフードコーディネーター協会の総会、研修会、懇親会に参加。
協会ではこのような交流会は4年ぶりのこと。
現在食に関わる仕事から離れているけど、やはり食の専門家として情報収集しておきたいという思いからの参加だった。
懇親会は午後5時前から始まるので、良いタイミングでお腹が空くように、朝食と昼食は少し早めのブランチとして摂ったわけだけど、都内に出れば田舎と違い誘惑が多いもの。
会場に到着し、受け付けスタッフから「コーヒーを用意してありますから、どうぞ召し上がって下さい」と。
喉が渇いていたし、これは丁度良かった!と思ったものの…
コーヒーを注ぐのはホテルのスタッフが行っているようだけど…自分で勝手に注ぐのは失礼なのか…しかも、私の手には明らかにコーヒーカップがないのだが、私への声かけは一切ない。
ここのスタッフは随分KYだな…
…と、腹黒い心の声。
ようやく若い女性スタッフが「コーヒー入れますか?」と声をかけてくれたので、「お願いします!」と言って、ようやく頂くことが出来た。
こんな時って、自分でコーヒーを注いで良いのか??
ファミレスの飲み放題だったらセルフで入れるけど、今考えれば、自分でコーヒー注げば良かったかな?って思いましたね。
庶民にとっての日本のグルメの始まりは江戸時代から。
なぜ、江戸のグルメが始まったのかというと、人は平和なことが続くと楽しみを求めるからだと言う。
浮世絵やだじゃれといった文化とともに、こうして庶民にも食を楽しむ文化が始まったと言われる。
日本食で美味しいものと言えば、寿司や刺身、天ぷらが挙げられますよね?
当時も刺身は高級料理として位置付けられていました。が、食事として一番価値があるものは「米」。次に「味噌汁」。刺身はランキング第3位とのこと。
御飯と味噌汁はずっと食べ続けてきているのに、飽きないし、御飯と味噌汁が美味しいだけでも、料理の価値は大きく変わりますからね。
刺身と言えば醤油を付けて食べることが当たり前となっていますが、当時は、酢や味噌、塩で味付けして食べていたそう。
当時は冷蔵庫がなかったし、魚の腐敗を抑えるために、このような工夫がなされていたのだろうと。
そして、醤油は非常に高価なものだったのです。
確かに、祖母から「醤油は高級品だったから、無駄にするんじゃない」と言われていました。
時代が新しくなるにつれて醤油の値段が落ち、今では安く手に入る商品も沢山あります。
しかし、安く手に入るということは、原材料の質も良くなく、機械的に作られた粗末な商品であることの現れ。
昔の醤油は長期間発酵熟成して作られているので、それだけ手をかけられている。
今現在、店頭に並べられている醤油は、伝統的製法で造られた醤油とは全く異なる代物が少なくない。
遺伝子組み換え大豆やアミノ酸、カラメル色素が使われていたり、醤油なのに果糖ブドウ糖液糖が使用されているものもある。このような醤油を毎日御飯にかけて食べていれば、あの世行きなのは一目瞭然ではないかと。。。
それだけ、今の醤油は質が落ちてしまっているということです。
また、二八そばと聞くと、小麦粉2割、蕎麦粉8割の蕎麦のイメージがあるけれど、実は2×8=16、つまり16文という値段で売っていたことが、当時の二八蕎麦の意味だったとのこと。
当時の屋台の配置は、そば屋の隣に天ぷら屋があった。つまり、そば屋と天ぷら屋はセットである。
天ぷらは昔は屋台で作られていたとのこと。
昔は七輪で調理をしていたから、屋内調理は頻繁に家事を起こしていたのだそう。
当時は今のように火力が調整しやすいコンロが発明されていなかったし、空調設備が整ってなかったので、屋内での天ぷらの調理が危険なのは確かだったのだろう。
研修会の後は懇親会。
会場に入るとスタッフがワインやドリンクを配布していたけれど、私の手元には飲み物がないにも関わらず、やはり私には配られなかった…
ここのスタッフってKY…w
それとも、私って余程不審者に見えるのだろうか。。。?
無意識に女性スタッフをガン飛ばしていたら、その女性スタッフが「オレンジジュースにしますか?」と声をかけてきた。
私は甘い飲み物が嫌い。
私はジュースしか飲まないお子ちゃまに見えるのか!
トレイに白ワインがあれば、白ワインを選んだんだけど、白ワインがなかったのでウーロン茶にした。
そして乾杯が始まって立食パーティーが始まる。
一応、周りにいる人と乾杯をしたものの…
周りには既にグループが出来ており、私はその中に入れてもらえない状況。
テーブルに居座って一人で黙々食べているのも図々しくて嫌だったので、テーブルから離れた場所で、一人黙々と食べていた。
贅沢出来るのは、こんな時しかない!
早速、生寿司に手を出し、片っ端から料理を取っては食べまくり。
貧乏人である私にとって、エビやホタテはそう年中食べられないもの。
牛肉、エビ、ホタテはしっかりお腹に収めておこうと、悔いなく食べましたね。
前に交流会に参加した時も、何だか浮いてしまったので、今回もそんなもんかと思い、とにかく元を取った方が勝ちだと黙々食べている私は、ただの醜い人間。
私を知らない人間も多いし、私の外見を見る限り、どう見ても食のプロには見えない。
ブラック企業で働いている外道のような外見だし、「料理が不味そうな顔」をしているもので。。。
そう、「あんた本当に料理出来るんかい?」て言われたことがありましたから…
一人で黙々と食べている時に、「私って社会人として必要最低限のコミュニケーション力に欠けているのかな」とナーバスになった。
最近、職場の先輩に、「ここで他のスタッフとコミュニケーションが取れないと、他じゃ通用しないからね!会社の人とコミュニケーションが図れないんじゃ、尚更利用者やその家族、他事業所とコミュニケーション図れないからね!」と言われた。
この言葉を「愛の鞭」と捉えるのか?それとも「ハラスメント」と捉えるのか?
それは、読んだ貴方の御想像にお任せします(笑)
このまま一人で終わるのかと思ったら、ある一人の女性に声をかけられた。
「一緒に食べようよ!」
この一言で救われた。収穫したものはお腹に収める食べ物だけかと思ったので。
声をかけてくれた女性は、脱サラして自分のお店を持っていると言う。
脱サラは私が夢見ていること。
会社に雇われた生き方を、今の若者は「社畜」と呼んでいるが、確かに彼らの言うことは一理ある。
本当のことを言うと、雇われの身で働くことにうんざりしている。
まあ、出来の良い人間であれば、雇われの身であろうと独立しようと、成功するのだろうけど…
仕事の悩みというと、仕事の内容が難しいから云々ではなく、その職場の理不尽なルールやしがらみだったり、拘束されている窮屈さの方がツライ。
人間関係で面倒くさいのなら、確定申告で面倒な方が遥かにマシだと思うし。
彼女には、独立してから軌道に乗るまでのことを訊いた。
それは自分のファンを付けること。
今ではSNSの集客がメジャーになっているけど、SNS歴が浅く、SNS音痴な私には道のりが長い。
でも、近いうちに個人事業主として起業しつつ、これからもSNSを継続していけば、次第にフォロワーが増えていくだろう…
独立して、ネットを通じて栄養や健康に関する相談をする場を設けたり、フードサービスに関してアドバイスだったり、メニューの開発に関わったりと、会社からの束縛をされずに、誰かの役に立つ仕事が出来ればな…
彼女は協会の中に沢山知り合いがいた。
私は名刺を携帯していたので、彼女をはじめ、彼女の知り合いと名刺交換をした。
これがきっかけで、次々と色々な人と名刺交換をし、人脈作りに繋がった。
一つの出会いが更に出会いを広げ、それが大きな収穫となった。
こうして、個人事業主としての道が少し開拓した。
食べることも一つの収穫かもしれないけど、交流会の意義は出会いにあるものであり、知り合った人を通して、また新たな出会いへと繋がり、それが集客に繋がる可能性があるのだから。