孤高の専門学校校長
蕎麦 or カレーなら毎日食っても平気だ。いや 大好物という感覚ではなく、時と場合を選ばず受け入れが可能とでも表現しようか。だから単純に『好きな食べ物は?』と聞かれても蕎麦やカレーが口をついて出てくる訳ではない。毎日三食は厳しいが、毎日一食がそのどちらかだという条件なら、絶対という言葉を頭につけて大丈夫だと思っている。 蕎麦打ちは難しいが だからこそ楽しい。十割蕎麦の美味さは格別だけどあれほど難しいものもない。ゆくゆくは自分で打った細く長い十割そばを ざるでやってみたい
『男というものは浮気する生き物』と、利いた風な口をきく女性(少女から老女に至るまで)は多いが、はっきり言う。それは間違いである。 ただし。 単純に生物のオスとしての話なら、種の保存のために数多くのメスに自分の遺伝子をバラ撒こうとするのは自然の摂理である。ヒトの体を乗っ取っている本能という名の暴君は、種(遺伝子)を絶やさないよう、周到な計画と緻密な作戦で 我々に様々な攻撃を仕掛けてくる。その中でも時限装置を駆使した内分泌の仕組みは、男も女も 心(すなわち行動)まで操縦して
関西以外の方には少々わかりにくいことかもしれないが、大阪にある学校や勤め先には、隣接している全ての県に加え、滋賀や三重、和歌山からも学生や勤め人が毎日通う。 他でもない我が校も大阪にあるが故、お隣の京都から通ってくれている職員がいるのだが、その中の一人であるウチの主任は 世界的にも有名な嵐山に自宅がある。紅葉の季節である今、彼の自宅の周りには佃煮にする程の外国人が行き来しているという。毎年のことゆえ もうたくさんだと笑う彼は、休日のショッピングに京都の繁華街に出ることは可
美容師としての立場で 美容室におけるお客様と美容師とのやり取りに一言。 千年一日のごとく美容サロン内で美容師からお客様に投げかけ続けている質問。その日のゴールとなる髪型が決まると、全国20万軒を超える美容室で、同60万に迫る美容師たちがこんなことをお客様に尋ねるのである。 多くの女性は友達でもない誰かとの無言の空間が苦手だ。だからその無音の時間を埋めるため、仕方なしに定型文のようなやり取りがなされているというのが現実だろう。ヘアスタイルを決めること以外の、美容師による
日本の流行り歌は『愛』という言葉を抜きにすると成り立たないが、同様に『幸せ』も私たちが生きている中にあって 大安売りされていると感じる。『愛』や『幸せ』を Googleで調べてみても、なんだか薄っぺらく感じてしまって今ひとつ腑に落ちない。しかしそんな中にあって 唯一back number の名曲『瞬き』の歌い出しで綴られる『幸せ』の定義づけにだけは『そうだよなぁ』と、個人的にしっくりきている。 〽幸せとは 星が降る夜と眩しい朝が 繰り返すような
教員が朝礼において生徒たちに熱弁をふるっている。そのクラスの欠席や遅刻が、特に最近多いことについて指導しているのだ。その日も全員で30人の生徒中、朝礼に顔が見えない生徒が7人もいた。その状況を教員が指導する。『このクラスは最近出席状況が悪い! 社会で一番信用を落とすのは遅刻と欠勤だから、みんな このまま卒業したら大変だぞ! 自覚しろ!』みたいな話だ。教員は真剣である。生徒もその教員に注目している。 ところで教員という生き物は 教室の生徒たちを一人一人ではなく 一つの塊だ
あいみょんが好きだ。声量があって歌が上手だってこともあるけど、彼女のやり切れなかったり悩んでいたりする気持ちをまっすぐ訴える歌詞が響く。こんなオッさんにはなった私でも、上手く生きられなかった自分の遠い遠い日々を思い出させる。ライブの抽選はなかなか当たらないけど、それでも幾度かあいみょん目当てに城ホールや音楽堂に見に行く機会をいただけたし、満員の甲子園球場では彼女のこれまでの道のりをしみじみ感じて涙が出た。 あいみょんの名曲で、今の人気に繋がる導火線になった(と私は思って
『人は2種類に分かれる』とは昔からよく使われてきた言葉だ。色々な時代で色々な立場の人が色々な事柄について、人のあり方や生き方を2種類に分けてきた。ちょっと前にはローランドさんの「俺か、俺以外か」という、少々演出がかった不遜さが有名になったが、私は 人間の『しょーもなさ度』を計測する手段として『他人を笑う人と笑わない人』というものさしがあるんじゃないかと思っている。 挑戦する人は輝いているものだし、失敗しても次がある。私がこれまでの人生で接してきた中で、色んなことにチャレ
私は元来マスコミというモノには懐疑的だし しょっちゅうハラを立てているのだが、ついこないだ 性加害とやらで芸人さんが書類送検され、所属する吉本興業から解雇されたというニュースを聞くに及んで、また怒りがこみ上げてきた。もちろん彼の味方をするものではないが、芸能ニュースなどというものは、叩いてもいい対象ならブッ叩くもんだなぁと思ってしまう。 マスコミというものは、これまで自分たちの保身や利潤追求に走ってきたのだと思っている。例えば旧ジャニーズの事件では 80年代から暴露本は
しがみついていた物、手放したくない物。持ち続けていたそんな気持ちが、ある分岐点を境に『もういいか・・・』と思えてしまうことがある。達成できないことが明らかになった目標。目指すことに価値が見えなくなった目的。 人は皆、今存在している自分は、諦めと妥協の結果なのかもしれない。・・・なぁんて ここで真面目に語るつもりはない(笑) ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 《私は髪色(白髪)にはフッ切れている》 子供時代から剛毛、また多毛で通してきたが、同
《『元気ですか』という題の朗読 〜『怜子』》 中島みゆき 昭和53年04月10日発売 キャニオンレコード 【プロローグ:朗読】 『元気ですか』」と電話をかけました あの女(ひと)のところへ 電話をかけました いやな私です やめようと思ったけれど いろんなこと わかっているけれど わかりきってるけれど 電話をかけました あの女(ひと)に元気かとききました あの女(ひと)に幸せかとききました わかっているのに わかっているのに 遠回しに 探りをいれてる私
つい先日出かけた先で ひょんなことからアケビ(木通)を手に入れた(実物:テーマ画像)。歓声をあげながら 少し口が割れて開いた果実に触れている内に、私の心は10歳の頃に戻っていた。予期せずこんなものに触れてしまうとノスタルジック・スイッチ(笑)が入り、懐かしくて他のことには注意が向かなくなる。 白黒テレビが年寄りの家にしかなくなりつつあった頃、私たちは竹竿に釘を打った特性のアケビ取り器を手に、この時期毎日のように山に入った。『ヒラクッのおってんあっぱかっぞ(マムシがいるか
石破さんが総理大臣になって、新内閣が発足した。しかし個人的には高市さんが選ばれなかったことの他に、いかにも残念なことがある。新閣僚の集合写真のことだ。あの写真は我が国だけでなく全世界中の人が見る。総理はじめあの写真の被写体の中で、自分たちの姿は 正しいんだろうか? とか、おかしくないのか? と疑問を持てた人が何人いただろう。 私にとってあの1枚は、ここに写る人は、着るものについて 格式や着こなしなどには構っていない人たちなんだろうなぁと感じさせられるものだった。あまりの不
《昭和枯れすすき》 さくらと一郎 昭和49年7月21日発売 ポリドールレコード 〽️貧しさに負けた いえ世間に負けた この街も追われた いっそきれいに死のうか ※1 力の限り 生きたから 未練などないわ 花さえも咲かぬ二人は枯れすすき 踏まれても耐えた そう傷つきながら ※2 淋しさをかみしめ 夢を持とうと話した ※3 幸せなんて 望まぬが人並みでいたい ※4 流れ星見つめ 二人は枯れすすき この俺を捨てろ なぜこんなに好きよ 死ぬ時は一緒と あの日決めたじゃないのよ
いわゆるリーダーシップやリーダー論というものは 世間に溢れかえっているが、リーダーとして絶対必要かつ最も重要な任務は、チーム内の表面的な笑顔を増やすことではなく『決める』ことだと思う。 不遜な物言いになるが、世の中には部下の顔色を見ているだけで、自分の価値観や考え方に照らして最善だと信じる判断をしない上役が多いと感じる。そんな人物をリーダーに頂く組織は少なくないんだろうけど、最近特に増えてきたなぁと感じるのは以下の2つかなぁ。 1.仲良しごっこチーム チームの
今年のマクドナルドの月見バーガーのCMは、月に行ってしまったかぐや姫(宮﨑あおいさん)が、『よっ!』と手をあげて、地球で長年住んでいた懐かしい我が家に現れるのが印象的だ。 このCMには前年の同シリーズに引き続き、松重豊さんが翁(おきな)役で出演している。私の一番好きなTV番組の一つである『孤独のグルメ』の松重豊さんの役どころはホントいい。この世には厚かましい中高年というものが佃煮にするほど存在するが、物語の中での彼はそんな輩の対極にあるような、至極良識的なサラリーマンで