不二一元論は不二だから、真我・ブラフマンの性質が、存在・意識・至福=サッチダーナンダであるともないとも言えないはず。思うに、多分、あるというのは二元の世界における便法的表現で、実際には、直接知覚するしかない。 この問題を取り扱った本⇩ https://amzn.to/3WkuPT4
“幸せ”とは、究極の最終目標でも必死に追い求める感情でもなく、 日々を丁寧に暮らす“過程そのもの”らしい…。 しかもそれは、自分で“その都度”選べるんだよね…🤔 幸せを感じるのって、実は技術。 嫌いな物を『これ嫌いだなぁ』って表現するのって、実は凄く大事なんだよね。