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満たすものは 自己愛ではなく肯定感

第40週 1月5日〜1月11日の記憶。 それを探る試みです。 
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。

今週は、新年を迎え、一年の抱負をしっかりと達成してゆきたいと目論んでいるのではないでしょうか。そのためには、自己中心的な愛にとらわれるのではなく、自分自身をあるがままに受け入れることや、他者とのつながりの中で得られる肯定的な感覚を大切にすることです。利他的な信念をもち感謝に満ちた一年をすごしてゆきましょう。

では、読み解いてまいりましょう。


 

  

O‘. VIERZIGSTE WOCHE (5. JANUAR – 11. JANUAR [1913]).

40.
Und bin ich in den Geistestiefen,
Erfüllt in meinen Seelengründen
Aus Herzens Liebewelten
Der Eigenheiten leerer Wahn
Sich mit des Weltenwortes Feuerkraft.

Anthroposophischer Seelenkalender, Rudolf Steiners,1913



  こうして、心の奥底にいる、
  わたしの深さに満たされていると
  自己愛から生まれた幻想で
  空疎な感懐かんかいをいだくことがある、しかし
  大いなるもののコトバは、それらを焼つくす。



 自己肯定感への誤解



自己肯定感とは、あなた自身の価値や存在意義を自分で深く受け止めることです。これは内側から湧き出る静かな確信のようなものですよね。しかし自己肯定感ではなく、ふとこれは、自己顕示欲の塊かもしれないことに気づかされることはありませんか。つい他者からの評価を求めてしまうようなことです。

たとえば、SNSで自分のうまくいっている部分や幸せなひとときを投稿してしまう瞬間は誰しもあると思うのです。 表面的には自己肯定感が高いように見えますが、実はその行動の根底には、“認められたい”とか“承認されている”といった切実さが潜んでいるのです。

真の自己肯定感をもつ人は、自分自身を静かに信じていて、いちいち誰かに褒められることなど求めていません。一方、自己顕示欲が強くなっている場合は、何かをするたびに写真を撮って投稿し、「素敵ですね!」というコメントを欲してしまいます。その行動の裏には、アピールして他人と比べて優れている自分を、誰かに認められていないと自らの存在が感じられないという不安が潜んでいるせいなのかもしれません。


要は、そういう自分に気づき
他者からの承認に依存しすぎないバランスが重要なのです。



 自分を縛るもの


あなたは、「自分の表現ができないわたしは、ポンコツ…」と自分を責めてしまうときがありませんか。自己肯定とは、良い悪い、善悪、正しい間違い、好き嫌いなどという評価から距離を置くことが重要です。まず、ただそこに在る感情を置物のように、色やカタチや空間としてそのまま感じることから始まるのですね。

どうしても“肯定”という言葉があると、“良い・善・好きの部分を素直に受け入れる”という意味にとられがちです。しかし、評価しようとする感情は捨てて、ネガティブな部分も、そのままを観察し受け入れる必要があります。

たとえば、制作中に「あぁ失敗した」というときに、その絵をゴミ箱に捨ててしまうのではなく。自分の好みではないといった感情や良い悪いという判断はいったん置いておいて、目のまえにある失敗作を眺めていられるようになることが成長への近道なのですね。

あなたが、もっている才能に長所や短所といった評価を自らで与えないことが重要なのです。失礼ですが、狭く小さな、あなたの感性を超えて、人それぞれがもつ感じ方を学んだうえで、視野を広げ、未熟さにも気づき、自分の特性を受け止められるようになるのが大切なのです。

人間はどうしても、自分が“わからないこと”を、わからないままにしておけず、結論を急ぎ、どうにか答えを探しだそうとしてしまいます。そして、違和を感じるものはゴミ箱に捨ててしまいがちです。

自分自身のことも社会の基準に合わせて、無理矢理にでも、わかるように当てはめて自分を責め立て努力してしまいがちですよね。最悪なのは、親や先生や自らが決めた基準に疑いをもたなくなってしまうことなのです。


実は、「何かの基準に縛られている わたしがポンコツ…」なのです。



大切なのは、顕示欲ではなく、肯定なのですね。

それを獲得するために、自分の強みや弱みを書き出して自己理解を高め、他者との比較をやめて“他人がどう見るか”ではなく、“自分がどう感じるか”にフォーカスし自己評価を高めてゆくのです。

しかし、最終的に自己肯定感を高めるには、
“今の自分にあるもの”への感謝が重要なのです。


今日、
生きていることに感謝
健康でいられたことに感謝
サポートしてくれる師匠や家族や友人に感謝
など


感謝の習慣が、心の余裕を生み出し、他者からの評価に依存しない気持ちや静かな安心感を育ててくれるのです。


それって“愛”なのですよね。





 でも自己愛は判断を狂わせる



エーリッヒ・フロムの『愛するということ』という名著があります。どうすれば素直に自分を愛し、他者から愛される人間になれるか。そのような問いの答えが見つかる本です。自分を表面的に可愛がることが自己愛ではないのですね。

ひとりの人をほんとうに愛するとは、
すべての人を愛することであり、
世界を愛し、生命を愛する。

ことだそうです。そして

自分で経験する以外にそれを経験する方法はない。


もちろん、本来の自己愛もそこに含まれるでしょう。



先生が、今週投げかけてきた

  自己愛から生まれた幻想で
  空疎な感懐をいだくことがある

という状態は、おそらくエゴイズムのような自己愛に心が支配されていないかどうか、気をつけろ。といういう警告なのでしょう。あなたの愛が、きちんと、すべての人、世界、生命に向いているか。もし、そこに向いていない光は、光のようで光ではないのです。

そして、外界に対して、“ほんとうの愛”をもった行動になっているか。

これまでの、大いなるものからのメッセージを振返り、あなたの心の深きところにあるものが、きちんとその一部として機能しているのか。ただ、行動もせずに、知ったかぶりの自分に酔っているだけになっていないか。


いやいや、年明け早々、厳しいメッセージなのです。



人は意識のうえでは愛されていないことを恐れているが、
ほんとうは、無意識のなかで、愛することを恐れているのである。

愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。

愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、
わずかしか愛することができない。

『愛するということ』エーリッヒ・フロム


それで、信念です。わずかな信念ではなく、
利己的な心を焼き尽くすような、利他への信念なのです。



誰かから奪うのではなく
認められ、他によって豊かになろうとするために
自己愛を働かせよ。

生きる目的として、物質的な豊かさも必要でしょう。それは、下手をすると他を侵略し搾取する危険性に満ちています。あなたは、生きてゆく中で、見えないものが感じとれる姿勢を学び、実践するするための生命いのちなのです。大いなるものが、ありのままの“あなた”に求めていることとは何でしょうか。

そのようなリクエストに応えられるかが非常に大切なのです。そのためには、心の成長が伴っているかどうか。外界を見つめる感性が進化しているかどうか。を信念をもって確認する必要があります。

愛が、他者の喜びと苦しみを生きることであるとすれば、あなた自身の心の成長を時々気にかける空白の時間をもつ必要があるのかもしれませんね。





2025年1月スイセン



 わからないものは、そのままに




わたしは、歴史的な作品や売れ線の作品を良しとする風潮に疑問を呈し。それらに縛られずに、ただ眺め、観察しながら制作するという姿勢を習慣づけるようにしています。

仕事ではまだしも学校などで、人間の成長よりも、効率や生産性への比重がすべてになり、そこで生み出される価値のみが求められ、学びの本質がどんどんとズレていっているのが現状です。

表現やアート。人間とは。なんて、“わからないこと”だらけです。一生をかけて、わからないことを追究してゆくためには、切羽詰まってありきたりの解答をだすのではなく。“わからないままにしておく”、ことができるように心を整えてゆく必要があるのではないでしょうか。

自己肯定感を高めるためにも、縛られている自分を解放し、わからない自分をそのままにして、中庸の世界、漠としたものを信じてイキイキと表現してゆきたいのです。

愛するということの本質は、自分から、“与える”ことだ
とフロムはいいました。

あなたの喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づいているものすべてを与える。それは、あなたのもてる力のもっとも高度な表現であり、あなたのもてる力と豊かさを実感する瞬間なのです。

与えることは、それゆえに喜びをおぼえることなのです。
勇気をもって、与えられるといいですね。



“わからないものも、そのままに”

 




シュタイナーさん
ありがとう

では、また





Yuki KATANO(ユキ・カタノ)
2025/1/5




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