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「私をスキーに連れてって」だった時代

僕の昭和スケッチ」261枚目

<「昭和スキーブーム」 © 2024画/もりおゆう 水彩/ガッシュ 禁無断転載>


「もはや戦後ではない」と後藤誉之助*が経済白書に記した昭和31年から少し遅れて昭和36年、スキーブームが到来した。

それは政治家の言葉ではなく、ようやく庶民にもこの言葉が肌で実感できる「スポーツの時代」の到来だった。この年にはスキー客が年間100万人を突破したと言われている。

この頃は若者たちがスキー板を担いで夜行列車でスキー場に向かうという時代。ゲレンデをテーマにした加山雄三の若大将シリーズ「アルプスの若大将」(昭和41年)も大ヒット。ただし、若大将は夜行でなどは行かない、もちろん車だ(笑)若大将は一般庶民の夢だったからだ。そこにはギャップがあった。

そして若干の浮き沈みはあるものの、バブル期の昭和62年映画「私をスキーに連れてって」の頃にスキーブームは最盛期を迎える。原田知世さんの代表作ともなったこの東宝映画は大ヒットし、スキーは若者のファッションになった。

この頃になると、20年前にスキー板を担いで夜行列車でスキー場に向かう時代とはうって変わり、大学生や社会人が車でスキー場に向かうのがノーマルな時代になっていた。スキーウエアも華やかになり、まさにバブルここにあり、といった感があった。

日本中が、浮かれた時代だった。

神田辺りにはスキーショップがずらりと軒を並べ、日本はまさに経済大国となっていた。
「戦後は終わった」などと言う時代はとっくに終わっていた(笑)


ちなみに僕もこの頃に何度かスキーに出かけた。
イラストレーターとして飯が食えるようになっていた時代で、スキー関係のイラストも描いており、スキー雑誌の編集部からお誘いを受けて何度か出かけたものだ。

けれど、僕はあいにく寒いのがひどく苦手でイマイチのめり込めなかったのをよく覚えている。残念っつ(笑)


*後藤誉之助(ごとうよのすけ)
経済白書の作成に携わり、通算6期(昭和27、28、29、31、32、33年度)にわたり内国調査課長。特に、昭和31年度経済白書の結びの記述“もはや戦後ではない”、は当時のメディアにセンセーショナルに取り上げられ、経済白書そのものの存在を世間にアピールすることとなった。ほかにも仁徳以来の好景気という呼称など、キャッチフレーズ作りの名手といわれ、経済事象が一般人の身近な話題となるきっかけをつくった。1916〜1960年.
(Wikipediaより)

©2024もりおゆう この絵と文章は著作権によって守られています>
(©2024 Yu Morio This picture and text are protected by copyright.)

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